煉獄華 その2

 滝が連れて来られたところは、この付近に点在する長屋状の炭鉱宿舎ではなく、町の外れにある立派な屋敷だった。恐らくこのあたりの地主であろうこの家からは、和洋折衷の造りだが不思議な威厳が感じられた。

「ここの主人は、まあ大層な高齢ですが、このあたりの山を持ってらした、典型的な土地成金ですよ。経営されているわけではないので、忌憚のない意見がうかがえるはずです」

 玄関先で、相澤はそう説明した。

 玄関に入ると年かさの女中が応対して、客間へ通された。そして、出された茶が冷えないうちに、当主がゆっくりとした足取りで現れた。

 しみだらけの禿頭に長いあごひげをたくわえ、薄茶色の上品な着物を着て、高価そうな杖をついている。女中の介添えで、彼は滝たちの上座に座った。

「お久し振りです。伊東さん」

 相澤はうやうやしく頭を下げてこう告げた。滝もあわててそれに合わせる。

 伊東と呼ばれた老人は、黙って頭を下げた。

 そして滝はスムースに名刺を出す。

「町役場の方ですか。それで、私に用件とは」

 相澤は滝の代わりに、事の仔細を説明した。まるで相澤が役場の人間に成り代わったようだ。生来の話し好きなのであろう。滝は暇を持て余して、相澤の語りにいちいち相づちを打った。

 そしてひとしきり説明が終わると、伊東翁はこう切り出した。

「そうですか。私も、子供があんな目に遭うのはたまらない気持ちでおりました。でも致し方のないことです。これは山の神のたたりなのですから」

「山の神のたたり……」

 滝はこの、非科学的な言葉を口に出してみた。

「そうです。このあたりの炭鉱は、ほとんど私の祖先が代々伝えてきた山でした。まだここに田畑しかなかった頃から、みなで材木を切り出したり、草やたきぎを取ってきたり、肥やしをこさえてたりしていました。思えば、山の神がそんな実りをめぐんでくださっていたのでしょう」

 伊東翁は茶をすすると、

「ですが、山に石炭が埋まっていることがわかると、すべてが変わりました。鉱山会社の連中が、大金を携えて私のところに大勢やってくるようになりました。田畑はどうする、と聞いたら、埋めて労働者用の家を造る、と言ってきたんです。私も当時はそれほど豊かではなかったので、土地をみんな会社に売ってしまいました」

 滝は、話が何だか本筋から遠くなっているな、と思ったが、年寄りの言うことだから、と黙って聞き続けた。だが相澤の方は、まんざらでもなさそうな顔で、

「たたりというのは、やはり先祖代々の土地を売ってしまったからですか」

「いえ、それなら私の身にたたりが降りかかるはずです。ですが山の神はもっと残酷でした。あのお方は、私や山を荒らした男たちにでなく、国の宝である子供たちに罰をお与えになったのです。何の罪もない子供たちが死んでいくのは、大人にとってこれほど辛いことはありませんから」

 ここで滝はしびれを切らして、

「伊東さん。あなたは、どうやって山の神は、子供にケガを負わせたと思われますか」

 相澤は無駄なことを、という目で滝を見たが、伊東翁は先と同じ調子で、

「花が、子供の血を吸ったのです」

 花?二人には話がよく見えなかった。

「坑道の入り口に赤い花があったでしょう。ご覧になりましたか」

 二人はそろって首を振る。

「いつ、どうやって来たかは知らないが、炭鉱のあたりにはあの赤い花が生えています。山を売る前は、あんなものは生えていなかったような気がするのですが。実は、子供がケガをするようになったのは、炭鉱が開かれた頃からなのです。それでいつしか、山の神が怒ってやったのだ、と言われるようになって、それを鎮めるために、町民が坑道の入り口にあの花を植えたんです。ただ、あの赤い色はあまりに毒々しくて、きっと子供の血を吸って赤くなったのだ、と、私には思えてならないんです」

 それから伊東翁は山に関する伝承と薀蓄を、老人ならではのくどさで延々と並べ立てたのち、二人は適当な理由を付けて老体の家を辞した。

 外はもう、だいぶ日が傾いていた。

「まったく、あのじいさんも困ったものですね。先生も先生ですよ。収穫ゼロではないですか。何であんなおとぎ話を聞きに行ったんですか」

 滝はひとしきり毒づいたが、相澤はなんでもない顔で、

「そうですな。でも、傾聴の価値はあったと思いますよ」

 そして相澤は歩みを速め、

「今度、見に行きますか。炭鉱を。遠出になりますので、また後日、休診日にでも行ってみましょう」

「そうですね」

 夕陽の赤い光に包まれ、二人はそれぞれの家路に急いだ。



 調査の当日、滝がK原の駅を降りると、相澤はすでに改札口のところで待っていた。そしてその足で、二人は乗り換えの切符を買ってプラットフォームに戻った。

 滝ははじめ、炭鉱は町の近くにあるのだろう、と勝手に思っていたが、その意に反して存外離れており、電車を使わなければならない。

「ここは山間部でしょう、炭鉱から離れた場所に町を作らなきゃならなかったんです。まあ、おかげで鉄路は発達しましたけどね」

 車中、相澤はそう説明した。

 二人は「T蔵炭鉱」という駅で降り、少し歩いた。まわりは山ばかりだ。鉱山があるため、道は整備されて歩きやすくはあった。やがて「T蔵炭鉱」と一本木に直に大書された看板が見えてきた。

「戦前のものですよ、あれ」

 相澤は得意げに言う。

「伊東さんがまだ若い頃、売ったという話でしてね、いえ前に聞いたところ………」

 滝は相澤の話をろくに聞かず、黙って門のある方へ進んだ。そこには立ち入り禁止の札も、バリケードも設けられていなかった。

 そしてどこからか、子供の嬌声が響いてくる。敷地内で遊んでいるのだろう。

「いいんですかここ、封鎖してなくて」

 不安げに滝が問うと、

「いいんですよ。坑道は完全にふさいでありますから、子供は入れません。外の施設もほとんど撤去されているので危険はないはずです。ここは、格好の遊び場となってましてね」

 そして二人は坑道の入り口に着く。するとそこで目にしたものに、彼らは心を奪われた。

 炭鉱は山の中にある。当然、坑道は山の裾野を切りひらいて造られている。

 だから、山の上には木が生い茂っているのに、その下にある鉱坑のまわりは草木を取り払った岩場になっている、というのが普通だ。

 だがそこでは、まるで鉱坑を覆い隠すかのように、花が一面に咲き乱れていた。

 実際には、坑道の開口部には黄色く塗られた木のバリケードが設けられているが、あたりを埋め尽くす花の陰になっていてよく見えない。

 そして、その花は確かに、人の生き血を吸ったかのような、毒々しい赤色を呈していた。

「あの人の言った通りだ」

「ええ、私もいままで気付きませんでした。こんな花があったなんて」

 二人は膨大な花の量と、その色のまがまがしさに圧倒されて、しばらく何も言えず、その場に立ち尽くしていた。やがて、子供の声が近くで聞こえて我に返り、見ると五歳くらいの男の子が花の中に分け入ろうとした。

「おい坊主、そんなところに入ったら危ないぞ。もっと広いところで遊びなさい」

 相澤が声をかけると、

「こんなとこ、ここにはいっぱいあるよ」

「え?鉱坑が?」

 滝はびっくりして、声がひっくり返ると、

「違う。花がだよ」

 と言って子供は更に分け入ろうとした。相澤は彼に近寄り、無理やり鉱坑から引きずり出した。そしてそこにあるバリケードを指し、

「この奥がどんなに危ない場所か、君はまだわかってないんだ。バリケードの黄色い板の色は危険を教えてくれてるんだから、ここで遊ぶ時はよくまわりを見ること。いいな」

「はーい」

 男の子は悪びれる様子も見せず行ってしまった。それを苦々しい表情で見る相澤に、滝は聞いてみる。

「ひょっとして、ケガした子はバリケードの透き間から入っていったんじゃないでしょうか?」

「それはない。ケガは男の子も女の子もしていたし、子供でも入るのは難しいでしょうから」

「今の女の子は昔と違って活発ですからね、わかりませんよ」

 そして滝は、バリケードの間から中をのぞこうとした。暗くてよく見えず、懐中のライトを取り出そうとした瞬間、


 ぎゃーっ!


 二人は同時に振り返り、

「今の叫び声、どこからですか」

「たぶん、あっちの残土置き場の方でしょう」

 二人が駆けつけると、子供たちが輪になって群がっており、その中心から泣き叫ぶ声が響いてきた。

 相澤はその群れに突っ込んでいって、

「そこをどきなさい!私は医者だ!すぐにその子を診るから!」

 滝があっけに取られるほど相澤はすばやい挙動を見せ、さっきの叫び声の主であろう男の子を抱き上げて群れから抜け出した。その子の右手には白いハンカチが包帯代わりに巻かれ、ハンカチは血でにじんでいる。子供たちはパニック寸前までおちいり、相澤の周囲を取り巻いて泣いたりわめいたりしていた。

 滝は子供たちをかき分けて相澤に近寄り、

「相澤さん、これは」

「滝さん、すぐに車を手配してください。まだ事務所の電話は生きてるはずです」

 滝は急いで事務所に行き、事務員の許可を取って救急車を呼んだ。そしてまた急いで戻り、相澤に向かって、

「相澤さん、ここには危ないものが何もないのに、どうしてケガなんか」

 相澤は額に玉の汗をかき、

「私にもわからない、ただ」

 彼は子供たちがさっきいたところを指した。そこにも、赤い花が群れて咲いている。

「あの花が、あそこにある」

「毒の棘でも持っているんじゃ」

「いや、そんなものはない。見ろ。彼岸花のように葉もなく、つるつるの茎しかない。花自体が毒を持っているなんて考えられないし」

 相澤はケガ人の手をゆっくりと持ち、そこに巻いてあるハンカチを慎重にはずした。すると、手首の肉はいくぶんかえぐれたようになってはいるが、欠損するまでにはいたっていなかった。それを確認すると、彼は独り言を言うように、

「よかった……この子は、私が近くにいたから助かったんだ。もしそうでなかったら、あの子たちのようにかたわになっていたかも」

 滝は興味が先に勝ち、恐れを忘れて子供の傷口を見た。すると、傷口あたりに赤い粉末状のものが、ケーキに砂糖をまぶしたごとく付着しているのに気付いた。

「相澤さん、その手――」

「え?」

「赤い粉が付いてるみたいですけど」

 相澤は眼鏡をかけ、子供の傷口を食い入るように見た。

「これは……砂か何かが、血の色で赤く染まったものではないですか?」

「いえ、血がついていないところにも。ほら、そこ」

 滝は少年の右肩を指した。見ると、確かにそこにも赤い粉が付着している。

「本当だ……ん?ちょっと待てよ」

 相澤は懐からルーペを取り出すと、かけていた眼鏡をはずして、肩の赤い粉を調べ始めた。

 子供たちも滝と同様、少年のぐるりを囲み、不安そうに彼らを見守る。

 そして五分ほど経った頃、相澤は顔を上げ、

「滝さん、あなたはこの花を持って炭鉱の人に見せてください」

「え?見せてどうするんですか。救急車もまだ来てないし」

「車はじき来るよ。それに、この花がどこから来たのか、この花を植えるようになって何か起こらなかったか、ということを聞いてください」

 滝は少し考え、

「まさか、あのご老体の言うことを真に受けているんじゃないでしょうね」

「それをこれから調べる、私は今すぐ、この花を診療所に持って行きたい」

「この子はどうするんですか!後回しですか!」

「いや、子供は町立病院に送る。私は手足がすでに欠損した子しか診ていないから、そうした方が処置が早いし、向こうでも何かわかるかもしれない」

 その時、けたたましくサイレンを鳴らしながら、救急車が炭鉱の敷地に入ってきた。

「ちょうどよい、搬送するとき滝さんも手伝ってくれ」

 しかし車の中には三人ほど救急隊員が乗り込んでいて、滝たちの前に来ると彼らは素人技では真似できないほどの手早さでケガ人を収容した。

 車が去ると相澤は落ち着いた声で、

「さあ、行ってきてもらえますか。私は戻るので、何かわかったら診療所までお願いします」

 と残して廃坑を後にした。



 事務所へはさっき電話を借りに行ったので、もっと堂々と入っていってもよいのだが、二度目の訪問は滝にはなぜか気が引けた。先ほどは電話しか見えなかったが、改めて見ると事務所の中は、廃鉱のそれとは信じられないほどきれいだった。まだ残務整理をやっているのだろう、細かいところにも掃除か行き届いているし、机の上にも、書類が散乱しているたぐいの乱れはない。

 部屋を見渡すと、まだ四人の事務員が立ち働いていた。もう本仕事ではないのだろう、ライトブルーの作業着を着た、年配の人ばかりだ。

 滝は勇気を出して、そのうちの一人に声をかけた。

「あのー、」

「ああさっきの人、ケガ人は大丈夫でしたか?」

「ええ、町立病院に送ってもらいました」

「それはよかった」

「それより、一つおうかがいしたいことがあるんですが、時間もらえます?」

「いいですよ、役場の方でしたね?」

「ええ、ええと、これですが」

 滝は赤い花を彼に見せ、

「ご存知ですか?」

「はい、ここにはいっぱい咲いてますから」

「これはいったいどこから来たんですか?自生してたんですか?」

「それは、自生していた……というより、確かにもとからここにあったんですが、生えていたのではなくて、炭鉱の中から発掘されたものなんです」

「発掘?」

 滝の眉根が自然に寄った。

「立ち話も何ですから、ここにお掛けになってください」

 事務員は、事務机から引き出した椅子を滝の方に押しやり、自分も近くの椅子に座った。

「では遠慮なく」

 と滝も席に座る。

「この花は、炭鉱の試掘をした際、種子の状態で山の中から発見されました。その当時、私はここで働いてなかったので詳しい話は別の者が知っていると思いますが。何でもその時一緒にいた技師が園芸農家の出身だったらしくて、その人が掘り起こした土の中から発見し、それをどうたらこうたらとかいう技術で発芽させたんです。せっかく芽が出たんだから、ということで技師たちが炭鉱の敷地内にこれを植えてみたそうです。そしたら、あっという間に繁殖しちゃって、今ではこのありさまです」

 地中に種が埋まっていて、それを現代の技術で花を咲かせる。どこかで聞いたような話だなと滝は思ったが、それは言わず、

「それでは、この花が咲くようになってから、何か起きませんでしたか?」

 事務員はちょっといぶかしげな表情を見せて、

「何かと言いますと」

「えーと、何か事故が起きたとか、ケガをする人が出たとか」

「べつにそんなことはなかったと思います。ただ、ご存知だとは思いますが、子供がよくこの敷地内でケガをしていた、ということはあります。ここは基本、関係者以外立ち入り禁止ですから注意はしていたんですが、子供ってこういうところに入っちゃうでしょう、金網を張るとかいろんな対策を練ったんですが、いたちごっこでしたね」

「大人はケガをしなかったんですか」

「はい、子供ばかりでしたね。大人は注意力が高いからでしょうか」

 ここで滝は伊東翁が言っていた、子供がケガをするのは山の神のたたりだと思い込み、それを鎮めるために町の人がこの花を植えるようになった、という話をした。

「その話は町の噂という形で聞いたことがあります。まあ、どっちが先でしょうね。私にも詳しくはわかりません。これは私の推測ですが、炭鉱で働いてた人たちが花を植えたという方が、正しいんじゃないかと思います。なにぶんすぐ殖える花でして、どう種が飛んだのか知らないけど、坑道の中にも生えているくらいです」

「坑道の中にまで!」

「といってもまるっきり暗くては草は育ちませんから、坑道の口くらいまでですがね。あまりに広がるのが早いから、たたりを恐れた町の人がいっせいに植えた、という話になったのではないでしょうか」

 何だ、やっぱりたたりじゃないんだ、滝は大した信仰心もないのに、事務員の言葉で安堵した。

 彼は事務員の話を聞いているあいだ、無意識のうちに花を手でもてあそんでいた。そのさなか、ぴっ、と指に軽い痛みが走ったのを、滝は感じた。

 見ると、右手の人差し指に血がにじんでいた。いや、それは花の持つ赤い花粉かもしれない。彼は耳だけは事務員の方にに向けながら、指先を注視した。

 すると、そこから真っ赤な血がだんだんと吹き出して球状となり、やがて赤い糸となって流れていった。

 間違いない。滝は指先にケガを負ったのだ。

 しかもその指は先ほどから、花とその花粉にしか触れていない。

「あの、すみません!」

 突然の大声に事務員は少し驚いて、

「はい、何でしょう」

「私ちょっと急用を思い出しましたので、お話をうかがってる途中、申し訳ありませんがこれで失礼させていただきます!」

「そうですか、子供さんのことがありますので、何かあったらまたおいでください」

 にこやかに見送る事務員を尻目に、いくぶんか恐縮しつつ滝は急いで事務所を出て行った。


          煉獄華 その3に続く