八月の爆発 その3

                 九
 夢うつつに起きると、頭がガンガン鳴っていた。典型的な二日酔いだ。その日は仕事が休みだったので、僕は昼ごろまでごろっと横になって、これまでのことを整理してみた。まず、八月の爆発という言葉を偶然知ったこと、図書館に通いつめてそれを調べようとしたこと、その図書館にあった雑談ノートに情報が寄せられたこと、そして八月の爆発を言葉によってではなく、その遺構を目の当たりにしてじかに恐怖を感じ取ったこと。八月の爆発については、だいたいそれくらいだ。そうして得た、あまり信用ならない情報からはじき出した取るべき道は、何とか徴兵から逃れて暮らし、N市以外のところで終戦を迎えること、もう一つは、進んで戦争に行き、N市に侵攻された時に起こるはずの「八月の爆発」を未然に防ぐこと。前者にすれば、誰かいい配偶者を得られればよいが、それはなかなか難しそうだし、後者にするにはいささか自信がない。いや前者でも危ないものだ。第一、僕が密かに想っているSオさんは大学出でバリバリのキャリアウーマンだし、僕と来たらビデオの編集しかとりえのない高卒のフリーターだ。とうていつり合いは取れないだろう。
 しかし、これが結婚ということになると、少し話が違ってくる。今の時勢、女が働きに出て男が家を守る形の家庭が少なからずあると聞く。僕は父と母と妹との四人暮らしなので、掃除や洗濯といった家事はほとんどやったことがない。でも料理の腕は(安くて単純なものばかりだけど)少しばかり覚えがある。家族に食べさせても文句が出ないくらいだから、これは自他共に認められる所業だろう。だが掃除は出来ない。絶望的に出来ない。主に母や妹が掃除をする他のところに比べ、僕の部屋はそこら中に綿ぼこりが散っている。ここは僕の仕事に関するビデオデッキやその他精密機器などが置いてあり、本当はちょっとしたほこりすら厳禁なのだ。たぶん僕の中にはずぼらな部分とずぼらでない部分があって、それらがせめぎあって僕の人格を形成しているのだろう。まあ、洗濯に関しては、今は全自動の洗濯機があるからよいのだが。ということで家事については二人で分担し、僕が他市のビデオ制作会社にでも就職できれば、晴れて結婚が出来、八月の爆発から影響を受けないような生活が送れるはずだ。
 と、ここまで考えて、この将来設計はまったくの机上の空論であることに気付いた。彼女はまだ、僕に好意を持っているかどうかわからないのだ。同じ独身であるKバシさんからもさりげなくアプローチがあるが、彼女はうまくかわしている。その他の男性にも、むろん僕にも全然なびくそぶりがないので、実は男性には興味がないのではないかと思ったことがある。しかしそんなのは単なる憶測だ。彼女は男女のへだてなく、誰に対しても人当たりがやわらかい。それを女に飢えた男は単純に、優しくしてくれるから、自分に好意を持っている、と錯覚してしまうのだ。
 僕は彼女に少しでも近づけるよう、いろいろと方策を練った。まずダメモト(駄目でもともと)アタクダ(当たって砕けろ)で直接告白してみようか、などと思ったが、これは高校時代に一度使って見事に砕けてしまった経験があるので、これは止しとした。それからああでもないこうでもないと考えて、結局行き着いたのは、彼女にちょっとした小物をプレゼントして気を引こう、というものだった。いくらSオさんがインテリだと言ったって、しょせんは女だ。女性は花に弱いという定説もあるが、花束を抱えて求婚のメッセージとともに届ける、なんてのはもっと仲よくなってからのことだろう。仕事場でろくに世間話もしないうちにそんなことをやったら、かえって呆れられるに違いない。それが小物だと、さして意味を詮索されずに受け取ってくれるかも知れない。しかし、仮に受け取ったとして、そのあと進展があるかどうかはわからない。多少強引な手段も使わなきゃいけないんじゃないか、とも思って、考えに考えたあげく、小物を入れる箱の中に「よかったら電話ください。間違ってたらゴメン」というメッセージを添えることにした。「間違ってたら」というのは、もし彼女が僕に気がまったくなかった時の保険だ。
 僕はデパートに行って宝石売り場の当りをうろうろし、安価で見栄えのいいサンゴのブローチを発見した。僕は財布と相談して購入を決め、包装する際に例のメッセージを書いた紙片を入れてもらった。さあ後はプレゼントを渡すタイミングだ。やはり二人きりの時がいいだろう。プライベートで顔を合わすことは皆無なので、僕が会社に行く時に渡すしかない。だが彼女はいつも奥の執務室にいるので、仕事中でもあまり顔を見ない。一休みする時顔を出す程度だ。そんな時はたいてい他の社員たちと一緒だから、なかなか二人きりになれる機会はない。
 しかし、いっときだけ二人きりになるチャンスを作れないことはない。それは、退社後の通勤路だ。Sオさんは家が近所らしく自転車を使って通勤していて、僕も家はちょっと(というよりだいぶ)離れているけど、幸運にも帰る方向は一緒だ。だから、その時に渡せばいいのだ。
 僕はその機会を待った。残りはあと三週間ほどしかない。はっきりした返事をもらえるまでのタイムラグを考えると、二週間を切ってしまう。ここは男を示すところだ、とプレゼントを購入した三日後の夜、僕はその日の仕事を終えたのち、事務所の一階にあるコンビニで彼女が事務所から出てくるのを待った。
 そして十分後、果たしてSオさんは階段を下りてきて、自転車の鍵をはずしてサドルにまたがったその瞬間、
「あの……Sオさん、ちょっといいですか?」
 Sオさんは、いきなりコンビニから現われた僕を見てびっくりしながら、
「はい。いいですけど、何でしょう?」
「あの……ちょっと受け取ってもらえないでしょうか」
「?」
 彼女は何だか要領を得てないらしく、不思議そうに僕の顔と僕が手にしているプレゼントの包みを見ていた。
「えーと、これなんですけど」
「え、これ、私に下さるんですか」
 僕は得意になって、
「はい!」
 彼女は、微笑んでいるのか困っているのかよくわからない顔をして、
「えーと、…これ、この場で開けてもよろしいでしょうか」
「いえ、」
 僕は一瞬とまどい、
「それは、自宅に帰ってから開けてください」
「はい、わかりました。ではこれ、いただいていきます。ありがとうございます」
 Sオさんは、プレゼントの包みを背中のデイパックに詰め込むと軽く一礼し、軽やかに自転車を駆って家路についた。
 さあ、僕も帰ろう。予定していた一緒のツーリングは果たせなかったけど、とにかく目的は遂行した。今の彼女の様子だと、まんざらでもなさそうである。今になって失敗したと思ったのは、自分の電話番号をメッセージの中に書いておかなかったことだけど、事務所に僕の履歴書があるはずだから、それを見ればわかるだろう、そう楽観して僕も帰宅の途についた。

                 十
 それから一週間ほど過ぎ、その間僕はKバシさんからFAXでもらったタイムコードを元に、スタジオでずっとビデオの編集作業をしていた。そのため事務所にはまったく顔を出さなかったが、もちろんSオさんの返事はずっと気になっていた。僕の作業は昼の三、四時間費やすのみで、朝と夜は基本、家にいることになっている。彼女も朝から夕方まで忙しく働いてるはずなので、電話が来るとしたら夜中になる可能性が高い。幸いにも家の電話は僕の統制化にあるので、いつかかってきても問題はなかった。しかし電話口で、彼女からNOを突きつけられるかもしれない。そういう場合と、うまくいった場合の二つのシチュエーションを想定して、半分心待ちに、半分恐れを抱きながら、僕は宵の口から深夜まで電話の前に座っていた。しかし、いつまで経っても電話はかかってこず、いいかげんあきらめムードが僕の心の中に漂ってきた。
 そんな折り、僕宛てに一通の手紙が届いてるのが、八日目の朝わかった。裏を返すと、Sオさんの名前が見えた。返事だ。
 僕は喜び勇んで自室にこもり、封を開けようとしたが、封筒の下の方がぽっこりとふくれているのに気付き、何だろうと取り出してみたら、それはサンゴのブローチだった。もちろん、彼女にプレゼントしたものだ。手紙も同封されていたが、もうその時点で手紙の内容はわかってしまった。だが不思議にも落ち込みはしなかった。そして、八月の爆発のことも頭から吹っ飛んでしまって、笑いの衝動がこみ上げてきた。実際、ほんの少しだけど、声を出して笑ったくらいだ。
 僕は、普通みなそうするように手紙を封筒の中から引っ張り出して、それを目の前に広げた。そこには、こういうことが書いてあった。

 前略 Mさん
 Mさん、ごめんなさい。私は今、Mさんのお気持ちに応えることは出来ません。あなたのメモに「間違ってたら」という言葉がありますが、私には何をどう勘違いしておられるのかわかりません。それから、大変申し上げにくいことですが、おそらくMさんはいま行われている戦争の件で、私にあのようなメモを渡されたんだと思いますが、私はそのことについて卑怯だとは思いません。本音を言えばやはり戦争は嫌ですし、そのようなものに巻き込まれたくないとは思っています。でも、だからといって安易にあなたのアプローチに応じるなどということは、今一つはばかられます。私たちはまだ、そんな段階を踏んではいませんし、親しくしたという覚えもありません。また、こういうことを言うのはなんですが、やはり徴兵逃れのために付き合う、というのは納得行きません。ということで、あなたからのプレゼントはそちらにお送りします。別に欲しくないというわけではありませんが、恋人でもない人の贈り物を後生大事に持っているというわけにも行きませんので、ここに謹んでお返し致します。なお、職場ではこのことは絶対内緒にしておきますので、これまで通りにお仕事を続けていきましょう。そして戦地へ行かれる際には、よき御武運を。
                                           Sオより

 手紙を読み終わった瞬間、僕は悲しみに暮れるどころか、大笑いをしてしまった。そしてひとしきり涙を流して笑ったのち、Sオさんの手紙をビリビリに引き裂いて、即時ゴミ箱のへ捨てた。むろん、送り返されたブローチも。それから何をしていいのかわからなくなり、ベッドに横たわって何を考えるでもなく、ぼうっとしていた。もちろん失恋はショックだったが、彼女のあまりにもあっさりした返事は、当を得ているがゆえにおかしくもあり、腹立たしくもあった。これが大人の対応というものなのか。
 ここでもまた疑問は生じた。どうして彼女は戦争のことを知っているのだろうか。大卒なので、周囲の男子が兵隊に取られたという光景を見てきたのか。それとも成人式で、秘密裏に偉い人が新成人に教えるものなのか。僕は成人式に出たことはないから、よくはわからないけど。でも、近年の成人式のあの荒れようからすると、そんなことはないかも知れない。
 とにかく、どうも僕とSオさんの間には、埋めようもないジェネレーション・ギャップがあるというか、意識に幼児と大人ぐらいの差があるようだ。そういえば、Kバシさんもとっくの昔に二十歳超えているはずなのに、兵役には行ってないんだろうか。だいたい、そこら中に大学生や独身の大人がうようよいるのに、どうしてこの国が戦争状態だと言えるのだろうか。僕たちは何のために戦うのか、それすらもわからない。ただ僕に今できることは、心の準備をする、ということだけだった。こういう形でSオさんと別れた以上、兵役に取られる可能性はほぼ百パーセントだから、いくさに出る心構えをしなきゃいけない。でも僕は、本物の軍隊のことなど全然知らないのだ。やっぱりテレビでやっていた昔の映画のように、若い人はよく殴られるのだろうか。軍隊には軍曹というのがいて、新米兵士をよく殴ったり蹴ったりしていじめるのだそうで、そんな暴行は上の人間は歯牙にもかけないらしい。そうすると、僕がAD時代に受けた仕打ちと変わりはないじゃないか。僕の頭の中でまた、高校時代に味わっていた「嫌」の念が湧いてきた。

                十一
 どうしてこう、人間の人生とはうまくいかないものなんだろう?
 ついにこの時が来た。
 僕に、召集令状が届いたのだ。乙種合格。
 よくわからないけど、体がそこそこ健康だから、兵隊に来い、ということだろう。
 実はSオさんから拒絶の手紙を受け取った数日後、僕は市の体育館へ呼び出されたのだ。そして、そこで体力検査を受けた。その時は何ごとだろう、新成人は健康診断を受ける義務でもあるのかな、程度に思っていたが、それは兵士として体力的に耐えられるかを測るものだったのだ。
 令状が届いたのは僕が誕生日を向かえた朝のことで、郵便受けに新聞と共に入っていたのを母が見つけたのだ。それを僕に見せた時、母は少し残念そうな、また一方で引きつった笑いをないまぜにした表情を浮かべていた。父はちらと令状を見て、黙したままだった。妹は意味がよくわからず、不思議そうな目で令状を僕に渡した。
 令状は、昔話でよく言われるような「赤紙」、つまり赤い紙に文面が印刷されていた。表には、名前と現住所などが書かれており、裏を返すと何やら小さい字で注意事項のようなものが載っている。よく見るとそこには、「独身若しくは結婚する予定の無い新成人男子は、××法××条××行に従い、日本帝国陸海軍に徴用される義務を持つ」だの「本文の内容は国家機密に当たるため此れを漏洩する事は厳禁である。若し其れに従わない場合は帝国の規定に拠り、厳罰に処す」などとある。なるほど、みんな兵役のことについてしゃべりたがらないわけだ。
 しかし、これが八月の爆発と、何の関係があるのだろうか。図書館のノートに書いてたあかりさんも、平和祈念館の学芸員の人も、八月の爆発と徴兵が何かからんでいるような口振りだった。しかもあかりさんの話では異世界の戦場に連れて行かれるとあったし、その上N市が戦場になれば八月の爆発が起こり、最後の救済が行われる、とも。考えるに、この八月の爆発とは、成人した男子が初めて行う「イニシエーション(通過儀礼)」の一種ではないのか。今はテーマパークのアトラクションとなっているバンジージャンプも、もともとはアフリカかどこかの国の村で行なわれる、死をも賭した成人の儀式なのだ。他にも生死にかかわる儀式を行うところは少なからずあり、日本の成人式もかつての元服の名残だ。国はそれを現代の日本で、より原始的な形でやろうとしているのか。
 しかし、そんなことを考えていられる余裕はほとんど残っていなかった。近所へのあいさつ回り、壮行会の準備、身の回りの品の荷造り、このような雑事はほとんど家族や周囲の人にやってもらって、僕自身はひまだったんだけど、彼らにつられて僕まで忙しくしなければならなかった。
 令状をもらって以降、家族とゆっくり話す機会も、ことのほか少なくなった。本音を言えば戦場に行ってくれるな、というところだろうが、国が出した令状を誰も否認することが出来ず、口をつぐんでいるのだ。だが、本当にこれが現代日本の姿なのか?憲兵(軍隊内の警察機構)も特高(戦前、思想弾圧をした警察の一種)もいないというのに、みんな何を恐れているんだ?周囲の人もまるで判を押したように、
「Mくん、ばんざぁーい、ばんざぁーい」
 と連呼するのだ。僕には何がめでたいのかよくわからないが、戦争に行くということは、それだけこの国に対して責任を持つことだと漠然ながら理解できた。しかしこれは本当に戦争か?戦況も戦果もマスコミには一字として現われないのに、これだけ国民が盛り上がっているということは、やはり単なる戦いということだけはでなくて、一種のイニシエーション(通過儀礼)として見た方が合点が行く。では、八月の爆発はどう関わってくるのか。こんな問答を、夜寝る前に頭の中で浮かべていたら、あっという間に僕の出征の日が来た。
 玄関から表通りへ向かう道のわきに、小さな日章旗(日の丸の旗)を掲げた町の人がずらりと並んでおり、飽きもせずに万歳、ばんざいをくり返している。何だか悩んでのがバカらしくなってきた。兵役に就かなくてもどうせバイト生活のくり返しだし、生活が安定しないのならいっそ兵隊を続けてどんどん出世するか、みじめたらしく死んで周囲の同情を買うか、どっちにしても悪くないと今は思っている。例の「嫌」という感情も薄れてきた。完全に切れてはいないが、ある程度は開き直れたのだ。
 それから僕を送別するご一行様が近所の駅まで付いていった。そして電車に乗り込む時も発車する時も、例の万歳三唱をするのだから、僕の方はげっそりする。ただ家族だけはおとなしく涙をこらえ、三人寄り固まって寂しげに見送っていたのが胸を突いた。
 誤解されないうちに言っておくが、このとき僕は軍服を着てはいなかった。夏の暑い盛りなので、Tシャツにジーンズといういでたちだったのだ。そんな軽装で僕は、半分心が躍り、半分消せない「嫌」の感情を抱いたまま、N市の北西部にある帝国陸軍の駐屯地に着いた。
 すると同い年くらいの男が十数名、僕と同じような格好をし、中央の広場に立ち尽くしていた。それから係員がやってきて、僕たちは少し狭いロッカールームのような部屋に移され、歩兵の軍服を渡された。着替えが終わると再び広場で横一列に並ばされ、上官らしきカーキ色の軍服を着た男が僕らの前に立ち、兵隊の心得などを滔々と語った。そののち彼は僕らをじろじろ見て「髪が長い」と大声でどなりつけ、すたすたと兵舎に帰っていった。僕らは係員に連れられて敷地内の理髪店に行き、全員スポーツ刈りにされた。
 それから皆で兵舎に行き、各々荷物を部屋に運んだ。新しい仮りの住み家は四人部屋だった。片付けが終わった後、僕は上のベッドに寝ることになった男と差し向かいで言葉を交わした。一緒に入隊した同期と話すのは、これが初めてだ。
「あなたも徴兵で?」
 僕が訊くと、その人は、
「いや、志願兵だ。俺は二十二歳で、大学が医学部で普通徴兵は免除されるんだけど、何かこんな時勢で安穏としていられなかったんだ。ああ年上だと思って敬語なんて使わなくていいから。タメでいいよタメで。どうせ階級で偉さが決まっているから。俺の名前はT。よろしく」
「僕はMです」
 それから同室のAくんやWくんとも話をし、Aくんの淹れた紅茶を皆で飲んだ。
「へえ、みんな意外と志願で来るんだねえ。Wくんは本当に十九歳?」
「うん、そうだよ。もっとも、面はいつも三十路に見えるって言われるんだけど」
 TくんやAくんの話がはずんでいるさなか、僕はこの集団にある質問をぶつけたくてしかたなかった。けどこんな質問をしたらきっと小馬鹿にされるに違いない、と最初は思っていたけど、次第に話の流れが軍の機密とかいう領域まで及んでいたので、僕はこの機を逃すまいと切り出した。
「あのさ、みんな『八月の爆発』って知ってる?」
「八月の爆発?」
 二十歳前のWくんは知らなかったようだけど、TくんとAくんは何か神妙な面持ちで僕の顔を見て、
「それなら、聞いたことがあるよ」
 とTくんが言ってくれた。
「本当?」
「ああ、あくまで噂だけど」
「じゃあ、それが原因で戦争が始まったわけ?」
「それはたぶんデマだろう。少なくともこの戦争は、何か経済的な理由で始まったんだろうね。でも実のところ、戦局はあまりかんばしくないらしい。日本帝国は南方まで戦線を拡大したらしいけど、植民地にするはずの国から資源が円滑に輸送されず、軍は慢性的な資源不足に陥ってるみたいだ」
 さすがはTくん。医学部にいただけあって頭が良く、詳しく情勢を読んでいる。
「そこで敵が各国の輸送ルートを押さえにかかってて、日本はもう両手足を縛られた状態なんだ。そして敵軍はすでに沖縄まで迫ってきている。そこが陥落したら、次に戦場になるのはQ州だろう。ここ、N市が戦火にみまわれるのもそう遠くはない。何せ韓半島を敵が押さえてて、帝国本土への包囲網が張られてるからね」
「八月の爆発も、敵が引き起こすってこと?」
「たぶんな。本州への無差別爆撃がもう始まってて、ここもじき何らかの動きが見られると思う。あ、言っとくけど、爆撃と八月の爆発はどうも関係がないらしい」
「それじゃ、八月の爆発はここへの攻撃じゃないのか」
「推測の域を出ないけど、戦争を終わらせるための手段として使われるらしい。もし本土決戦となれば、N市だけでも数十万人の死傷者が見込まれてる。そんな悲劇を起こさせないために八月の爆発が必要だ、ってのが今まで得た情報を分析した結果だ」
「どこで調べたの、そんなこと」
「実は内緒で短波ラジオを購入して聴いてたんだ。大学というところはそういうことに融通が利くからな。研究用の資材、とでも言っとけばその手の情報はいくらでも入る。まして帝大だからね、発覚してもお咎めなしだ」
 何ということだ。フリーターで無知で貧乏な僕に比べて、大学在学中のTくんは僕の何十倍もの情報を手に入れている。この辺が頭の良さの違いなのか。ともかく今は八月の爆発より、先の見えない今後への不安が心に重くのしかかっていたので、消灯の午後九時を回ると皆、おとなしく床に就いて明日を待った。


           八月の爆発 その4へ続く