八月の爆発 その4

                十二
 翌朝、僕は聞き慣れない音で目を覚ました。訊くと、それが起床ラッパというものだった。僕たちは歯を磨き、ひげを剃って顔を洗い、支給された軍服に着替えてグラウンドに集合した。ところがそこでアクシデントが起きた。僕がただ、何となく列に並ぼうとしていた時、昨日の上官が僕の様子を見て、何も告げずに一発殴った。
「貴様、これから戦場へ行くんだぞ!そんなふらふらした足取りで戦場に立ってみろ、自分から敵の的になりに行くようなものだ。今後はきびきび動け!他の者もわかったな!」
 僕は、テレビの現場でよく殴られていたのでそれほど衝撃はなかったが、あの「嫌」な感じを思い出して萎縮してしまった。
 それから僕たちは、何度も何度も整列や行進の練習をさせられ、昼食が済むと今度は体力の鍛錬を日が暮れるまでやらされた。上官は前線からいったん戻ってきたH軍曹という名で、職員たちからこっそり「鬼軍曹」という彼の二つ名を教えてもらった。
 そういった訓練は五日ほど続けられ、新兵全員の行動が均一なものになってくると、次に銃撃の訓練が行なわれた。まず全員が銃を的に構え、空撃ちをしてすぐに銃の手入れをするというもので、ここでも構え方に少しでも誤りやムダがあると、手加減なしで鉄拳が飛んできた。なぜ空撃ちをするのかというと、実戦用の実弾が少ないからだということだった。それを続けて三日のち、僕たちに実弾が与えられ、ようやくまともな射撃訓練が行なわれた。すると当然上手い奴、下手な奴の差が出てきて、下手な者にはそれだけ多く制裁が下された。
 訓練が始まって二週間後、成績に基づいて二等兵、一等兵の階級付けが新兵になされた。僕はなぜか射撃の成績がよくて一等兵、Tくんも一等兵だった。一等兵は僕らを含めて四人、ちなみにWくんとAくんは二等兵になった。これも職員から聞いたのだが、何でいきなり階級付けをするのかというと、実戦で使いものにならない奴を戦場に送り出すと、それだけムダに人命が損なわれるから、ここで内勤と前線送りを分けるのだそうだ。というとは、一等兵になる方が損だということになる。
 ともかく、僕やTくんら一等兵、補充の下士官を含めた六名は兵舎を後にして、軍用バスで前線基地に送られることになった。その途中、僕たちは変な光景を目にした。僕たちがバスに揺られていると、雨が降って虹が出たわけでもないのに、空が七色に輝いているのだ。最初はうとうとしていて、夢でも見てるんじゃないかと思ったが、空の光はその後十数分にも及び、何ごとかと同乗していたH軍曹に恐る恐る訊くと、
「あれは内地と前線とをつなぐ道で見られるんだ。俺も詳しいことはわからないが、俺たちの住んでいた場所とは違う空間に行くんだそうだ。これからもこんなことはしょっちゅう起こるから、今のうちに慣れておくといい」
 軍曹は意外と優しい声で答えた。後で別の上官に聞いたところ、一発で一等兵になれた者は、いつ大出世されて目上の人間になるかわからないので、今のうちに優しい態度で臨むのだそうだ。
 しかし、あかりさんが書いていたこととまったく同じことを軍曹が知っていたのは、少し不気味に感じられた。こんな軍の内部でしかわからないことを、なぜ民間人のあかりさんが知っているのか。そんな疑問がしばらく頭の中を駆け巡ったが、前線に近付くにつれて、かの疑問は頭から消え失せ、「嫌」の感情が一段と強くなってきた。そして前線基地が視界に入ってくる頃には不思議な色は消えてしまい、どんよりとした曇り空が見受けられた。
 基地に着くと、まず集合して点呼が行なわれ、各自宿舎に行って銃の整備をするよう命令された。その移動中、運良く同じ小隊に配属されたTくんが言った。
「見たろ、あの空。あれが戦場全体をおおっている空間だ。この空間では、ある程度強力なエネルギーが空に吸収されるから、大型の砲弾とか爆弾とかが威力を発揮しないようになってるんだ。それだけじゃない、毒ガスも細菌兵器も使えない。ここで行われているのは、もっぱら白兵戦さ。銃、手りゅう弾、使えるのはそれくらいだ。白兵戦となると、もはや銃の腕がいいとか、身体能力が勝っているとか、そんなのは一切関係ない。弾に当たらない運、長い時間地面に這いつくばっていられる気合い、それだけだ。八月の爆発は、この空間の力を吹っ飛ばして一気に正常にしてくれる、らしい。もっとも、正常な空間に戻ったところで戦争が終わるのか、わかりゃしないがな。大量破壊兵器が使えるようになるんだから、もっと戦況が悪くなるかもな。何せ相手とは物量が違い過ぎる」
 じゃあ、「八月の爆発」って、いったいどんな代物なんだ。と訊こうとしたちょうどその時、集合ラッパの音が宿舎内に鳴り響いた。
「××小隊、集合!…これより、敵主力部隊との交戦に向けて進軍する。各自、銃の整備は行なったか。詳しい作戦内容は小隊長である私、D本が授ける。それでは、車両に乗り込め!」
 僕たちは小隊長の指示で、幌がかかったトラックに乗り込んだ。それは、さっきのバスよりはるかに乗り心地が悪かった。小隊長は隊員にスコップを渡し、塹壕を掘る訓練を前線の一歩手前で行なうという。ザンゴウって何なんだ。Tくんに小声で訊くと、俺が知るか、と小声で返された。
 前線基地には、出発して小一時間で到着した。小隊長は僕たちを会議室に呼んで講義を始めた。塹壕とは、戦場で横一列に穴を掘って、敵の銃弾から身を守るためのものなのだそうだ。いっぺん黒板に図説してもらった後、基地内の北にある空き地で実践演習が行なわれた。理屈はわかったものの、具体的な作業はただひたすら穴を掘る、というものだったので、演習は体力勝負となった。一通り人が入れるくらいの塹壕を掘ると、小隊長がやってきて、ここは造りが甘い、ここはこうした方がいい、などと厳しい口調ながら、軍曹とは違って粗暴な振る舞いをすることなく、懇切丁寧に指導した。しかし、そんな状況に甘えてばかりいてもいけないことに、ほどなく気付いた。遠くから、本物の敵の銃声が響き渡るのだ。ここは戦場なのだ。やがて日も暮れかけてきたので訓練が終わり、僕たちの小隊は兵舎代わりのバラックで就寝することになった。就寝前の一時間は自由時間に当てられたが、小隊全員が昼間の訓練で疲れ果て、みな部屋に入ってすぐ泥のように眠った。夢を見る余裕もなかった。
 それから三日間、僕たちは実弾訓練と塹壕掘りに明け暮れた。ハードワークもいいかげん慣れてきた頃、だんだんと銃声が近くなってきて、戦場に出る実感が湧いてきた。我々はいつ戦闘に参加するんですか、と小隊の一人が隊長に訊くと、小隊長はまあそうはやるな、もう二、三日ほどすれば貴様らも思い存分に暴れられる、とかわされた。
 そして六日目の朝、点呼を取った後に小隊長が、我が小隊は本日付けをもって実戦に投入される、今から相対するのは本物の敵であるから、心してかかるように、との簡単な訓告を述べ、僕たちは再びあのトラックに乗せられた。トラックは先日と違ってかなり速く、三、四十分で最前線についた。その矢先、敵の流れ弾がトラックのわきを走り、隊員はパニック状態となったが、小隊長が「全員、即刻トラックから離れ、近くの塹壕に飛び込め」と指示を出し、僕たちはとにかく外に出て、近くにある穴の中へ転がり込んだ。敵はその時味方の逆襲に遭ったらしく戦線から離れ、弾は飛んでこなくなった。その時たまたまTくんがいたので、あの敵はいったい何者なんだろう、と尋ねると、さあ、俺たちの平和な生活をおびやかす不逞の連中なんだろう、と静かに答えた。緊張が去り、皆ほうほうのていで穴からはいあがった。全員無事で、小隊長は着任したそうそういい訓練になったな、などとあまり冗談じゃない冗談を言った。それから一同は戦線の南へ移動した。そこにはすでに塹壕が掘られており、その穴の中で我ら小隊は小隊長の言葉を聞いた。あまり一ヶ所にたまるな、狙い撃ちされる恐れがある、塹壕から必要以上に顔を出すな、敵には絶好の的となる、などなど、ずいぶん具体的で基本的なことを教えてくれたが、僕たちはそんな基本などほとんど理解していなかったから、小隊長の一言一言を命綱として受け取っていた。
 さて、そこに着いて三十分ほど経った頃、敵の銃弾が僕たちの方へも飛んできて、まず敵兵を銃撃することにした。敵も塹壕を掘って応戦しているので、僕たち素人はほとんど撃つタイミングを失っていた。馬鹿野郎、銃撃はこうするもんだ、と隊長は塹壕からちょっと頭を出して銃を構え、ガッ、ガッと敵に銃弾を撃ち込んだ。すると、遠くの方から悲鳴が聞こえてきた。これが戦闘だ、と言わんばかりに隊長は新人に目を向けた。するとTくんが、俺にもやらせろ、と頭を出して銃を撃った。こちらはどの敵にも当たらなかったようで、敵の銃撃が止む様子はない。それなら僕も、と銃身を塹壕の上に置いて、狙いを定めようとした瞬間、バババッとこちらに向けて敵の銃弾が襲ってきた。
「引っ込むんだM、頭を下げろ!」
 小隊長の声で我に返った僕は、すぐ頭を下ろした。鉄兜や頭に弾を受けていないか手で探り、何もなかったので安心して力が抜けた。そういった間抜けな銃撃戦が十回ほど続いたのち、日が暮れてきたのでその日の戦闘は終わった。だが、これは単に昼間行われる集中的な銃撃戦が終わっただけで、いつまた均衡が破られるかも知れず、少しは場慣れした上等兵が斥候に出て警戒に当たった。僕たちはバラックの寝床に体を横たえたが、神経をやられてよく眠れずに長い夜を過ごした。
 そして次の日も、また次の日も、同じような散発的な戦闘が行われた。そうするうちに新兵もだんだん慣れてきて、敵兵を撃ち殺しても平気でいられるようになった。ここでの唯一の楽しみは食事だ。レーションと呼ばれる缶詰のようなものを、缶切りでこじあけて中身を食べるのだが、副食を受け取る時は適当に渡され、番号しか書いてないのでどれがどんな中身なのかわからなかった。だが、それも一つの楽しみであった。
 そんな単調な日々も、長くは続かなかった。戦線が少し移動して、僕たち新兵の塹壕に近寄ってきたのだ。銃撃は激しくなり、こちらも少なからぬ戦死者を出した。僕たちの隊は二柱亡くなった。上官たちの顔色も日々悪くなり、作戦命令も大ざっぱなものになっていた。そのうちに斥候を担当していた上等兵も殺された。僕たちは、本当に生きてN市に帰れるのかだんだん不安になってきた。そしてついに、僕たちの塹壕に手りゅう弾が投げ込まれた。僕は一瞬何が起こったかわからず、半分耳がしびれ、ただもうもうと煙が舞う中を負傷者がいないか探した。すると、右手と右足が血に染まったTくんを発見した。Tくんはかろうじて息はあるものの、気を失っているのか怪我が痛いのか一言も話さない。僕は応急処置の仕方をまだ知らないので、何も出来ずにただ救護班の来るのを待った。ほどなく救護班が到着し、Tくんは安全な場所に移された。ここへ来て僕は初めて、死に対する恐怖心を覚えた。あの分析的で明晰なTくんまでもが瀕死の重傷を負ったのだ。まだ未熟で状況判断の出来ない僕なんかが、そう簡単に生き残れるのかどうか。いやそれよりも、戦況が目に見えて悪化しているのが最大の問題だ。味方のどの塹壕からも「退却!」「逃げろー!」という怒号が響き、我が小隊も撤退することになる、と小隊長が叫んだ。
 そして激しい銃撃戦が一段落した頃、小隊長の退却を命ずる声が響いてきたので、わずかしかいなくなった小隊は塹壕から抜け出して、仮兵舎に戻った。そこではもう撤退の準備が行われており、トラックが何台も列を作っていた。僕たちもその一部に乗り込み、定員を少しオーバーしたところでトラックが走り出した。その間も敵の銃撃は止まず、いや前よりひどくなって、遅れていたトラックが敵の餌食になったものもあった。
 生き残ったトラックは、例の不思議な色をした空の下を全速力で走り抜け、朝方にN市の駐屯地までたどり着いた。
「小隊長殿、市街地に入って、今後はどのようにするのですか」
 H軍曹が小隊長に尋ねると、
「今度こそは本土決戦もやむなし、というところか」
 と小隊長がつぶやいた。
 戻ってみるとN市はまだ真夏で、朝のうちからうだるような暑さに見舞われていた。心なしか、遠くからセミの鳴き声が聞こえている。ほとんどの兵は戦意を喪失しており、これ以上戦うのは無意味だと考えていた。しかし、将官や士官たちは作戦会議を開き、異空間からやってくる敵軍を挟撃しよう、とあくまで対決姿勢を貫いていた。僕たちの中隊長、つまり小隊長のさらに上の人に当たるのだが、その人は半ば謝りながら僕たちに作戦を説明した。それはこういうものだった。異空間の出入り口であるTツ町に、前右左の三方から待ち構えて、敵軍の車両を挟み撃ちにする、と。それはすなわち、このN市にも戦火が及ぶということを意味していた。そして、これ以上はない、これ以上戦えば、八月の爆発は起きてしまう、それを防ぐためにも、ここを最終防衛線にしろ、と中隊長はお経のように何度も唱えた。確かに「八月の爆発」は、僕たちを解放してくれる手段なのかもしれない。しかしそれと同時に、N市に被害が及べば僕は生きていけないかもしれない、そんなアンビヴァレンツな思いを胸に、銃身を握りしめた。
 やがて、敵はやってきた。だがそれは陸上部隊ではない、ブーンと音を立てながら、彼らは空から現れた、つまり航空部隊だ。まずすぐ視界に入ってきたのは戦闘爆撃機だった。奴らはこちらの車両という車両を爆弾で破壊し、投下が終われば機銃で地上に向け掃射した。対空装備のない我が軍は何の手立ても持たず、ただその場を右往左往するばかりだった。僕は上官の言うことを訊かずに兵舎に隠れていたが、その兵舎さえ爆撃によって火災を起こしていた。上官は皆に小銃で反撃するよう叫んでいたが、空飛ぶ目標に通用するほど、わが国のライフルは強力でない。みな銃身を上に向け、およそ当たりもしない銃撃を喰らわすだけだ。
 しかし、そういった攻撃が三十分ほど続いたのち、敵航空機や車両はN市から撤退していった。我々はそれをただ呆然と見送るばかりだった。N市から手を引いたのか。それとも、単に燃料や銃弾の補給に戻っただけなのか。恐らく後者の方が正しいだろうと小隊長は言い、彼は隊員にひとりひとり回って、ある物を渡した。
「小隊長殿、これはどういうことですか」
 隊員の一人が訊くと、
「これは自決用の手りゅう弾だ。もし万一、敵の俘虜に陥ることがあったら、これで敵もろとも玉砕するんだ」
 僕もそれを手にした。いやだ。死ぬのは嫌だ。こんな望みのないやり方で死んでしまうより、八月の爆発を待った方がましだ。そんな思いが頭の中を去来した。
 その時、ゴォーンと、重い爆音が骨の髄まで響いてきて、みな何事かと辺りを見回した。だが、今までのような敵の機械化部隊や軍用機は視界になく、代わりに空から雷のような爆音が聞こえていた。しばらくすると、上空にきらきらした飛行機状の物体が一つ、飛んでいるところを目にした。
「何だ、あれは。あんなの飛行機か?やたらでっかいぜ」
「あんな高いとこ飛んで、どうする気だろう」
 実際、僕たちの常識ではあんなに大きな爆撃機が、あんな高高度で爆撃を加えるなどありえない。皆がぼうっと上空を見ていると、その飛行機はN市の中心部まで達した。
 その時だった。
 爆撃機の腹から何か、豆粒のようなものが落とされた。いや正確には豆粒ではない、あまりに高いところを飛んでいるので、そこそこ大きいものも小さく見えてしまう。その物体は落ちるにしたがって大きく見えるようになり、終いには落下傘を開いてゆっくり、N市中心部に降りてきた。それが本当に爆弾であるとすれば、今まで見た中で一番大きな爆弾なはずだ。僕はそれが偵察用のラジオゾンデか何かであることを期待したが、側面に書いてある文字が見えるようになった頃、そいつは突然爆発した。
 僕はとっさに腕時計を見た。
 日付は八月九日、時は十一時二分。
 八月の爆発、だ。
 爆発による光は一瞬にして僕の視界を奪い、そのすぐ後にドン、という衝撃が体に伝わった。
 ああ、これで死ぬかもしれない、そう思って、そのあふれる光の中に身を投じた。

                十三
 気が付くと、僕は平和公園のど真ん中に横たわっていた。そこは暑かった。八月の日差しを全身に浴び、着ている服が汗でびしょびしょに濡れていた。そうか、僕はここで爆撃を受けたんだ、そうも思ったが、周囲を見回してもそんな爆撃にあった痕跡はない。着ている服も軍服ではなく、白いTシャツの上に縦縞のシャツをはおっていて、パンツはジーンズといういでたちだった。おまけに両耳にイヤホンをはめており、シャツとジーンズの間にヘッドフォンステレオをはさんでいた。イヤホンからは、ちょっと昔のテクノポップが流れていた。高校時代、好きだったアーティストのアルバムだ。
 僕は起き上がって、改めて視線をあちこちに向けると、公園の奥に平和記念像が鎮座しているのが見え、ぞろぞろとした足取りで去来する観光客たちの列も目に入った。そこには小隊長も、H軍曹もまたその他の軍人もいない、破壊された軍用車両もない、実に平和な光景が広がっていた。しかし、先ほどまでの全滅しかけた戦闘時と、今の時空とが連綿と続いている感覚が、この僕の中に確かにあるのだ。
 あの「八月の爆発」とて幻想とは思えない。あの瞬間、僕は確かにあふれるほどの光を目にしたんだ。そう、僕は助かったんだ、八月の爆発によって。僕はここで思うところあって、例の折れ曲がった鉄塔を見に行った。ところがその鉄塔は、地に横たわってはいなかった。鉄の部分もそうさびておらす、いかにも自分は給水塔の役目を果たしている、とでも言いたげに、天に向かってそそり立っている。僕はびっくりして、それらの事を急いで報告しようと、かの雑談ノートがある図書館へと向かった。
 しかしノートを開いてみると、八月の爆発のことも、あかりさんの書き込みもなかった。もちろん僕が書いたのも。もし彼女が八月の爆発の影響を受けているんだったら、何らかの報告が書かれていてもいいはずだが、それすら見当たらない。まして若い子は、そんなことを気にするかけらもない。僕は失望を胸に、図書館を後にした。
 帰りに事務所に寄ってみようかとも思ったが、Sオさんにああいう形で振られてしまったからには、合わせる顔も、無理に明るくふるまう気力もない。それに、いくら考えても事務所に行くいい口実が見つからず、仕方なく僕は家に帰った。
 家に着くと、いつも通り母親が姿を見せずに「おかえり」とあいさつが返ってくるだけだった。やがて日も暮れ、家族四人で夕食をとった。これもいつもの光景だ。しかしそれも、何のなぐさめにもならない。僕は家族が四人いて孤独だった。
 もう事務所には顔を出せない。それに、そこに勤めるために一年ほど他のバイトをやってこなかったこともあって、長期バイトの探し口がない。戦友だったTやAやWとも生き別れた。あかりさんともノート上で逢えない。父はこの地ではよそ者だから、ろくなコネもない。僕はこのN市で糧を得る術を、まったく失ってしまったのだ。
 僕が本当にしたい事とは、いったい何だろう。それは未だにわからない。しかし、したいことをするために努力するには、このNという街は狭すぎる。そうだ、もういっぺん東京に行こう。前の時は、ドラマの演出家になろうという夢がついえてしまったけど、あそこならバイトの口はいくらでもあるだろうし、便利な就職情報誌もある。けど東京に行って、具体的に今度は何を最終目標にしよう?悩みに悩んだすえ、作家になろう、と思い立った。ここで起きたすべてのことを小説にして発表すればいいんだ。僕と来たら基本的に本を読むのが好きだし、小説も限りないほど読んでいるので、ちょっとした文章を書くのは割りと得意だ。ドラマの演出家になりたかっただけあって、ストーリー作りには自信がある。ただいきなり文壇デビューというのは難しいので、そのつなぎとしてバイトをやればよい、などと考えているうちに、僕はベッドの中で深い眠りについた。そして夢見るのは、「八月の爆発」のあの瞬間ばかりだ。果たして僕たちは、八月の爆発で本当に救われたんだろうか?救われた、というのはまったくのうわっつらだけで、本当は失ったものが多かったのではないか?それも今は、確かめる術はない。大事なのは、これからどう生きていくのか、なんじゃないか。
 もう止そう。明日になれば、きっと何かがわかるような気がする。頭の中で試行錯誤しているうちに、朝が来た。いつもと同じ陽光を浴び、軽い酩酊感を覚えながら、朝起きて誰もがよくそう思うように、生きようと私は思った。

 P.S. 僕は今、インターネット・カフェという場所にいる。そう書くと、ここで小説を書いているんだろうな、と思う人がいるだろう。しかし僕は小説を書くどころか、自前のパソコンを買う金もなく、住居を借りることすら出来ずに、こんなところで毎日寝泊りし、日雇いの仕事に追われている。僕は何をしに東京へ来たんだろう?僕は小説を書きに来たんじゃなかったんだろうか?そんな自問自答をする暇はない。ネットで明日の仕事を探さねばならないのだ。それにしても今年、僕は何歳になったのだろう。

            八月の爆発 終わり      ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。