八月の爆発 その2

                五
 そして四日後、ようやく昼間に自由時間が出来て、僕は図書館に赴いた。さっそく雑談ノートを手にすると、やはり僕が出した質問とは何の関係もない、近況報告や学校で起きたこと、文字通り雑談のたぐいがほとんどだった。しかしそれらを読んでみると、いかにも少女らしい会話をしているような独特の文体で色取られていて、結構楽しい。そしてある程度読み進めると、あっ!と思わず声をあげそうになった。「八月の爆発」という言葉を、僕のではない文章の中に見つけたのだ。それを列記すると、

六月十三日 あかり
 先日、八月の爆発について知りたいという書き込みがここにありましたけど、実は私、その言葉を知っています。知っているどころか、私の生活は八月の爆発によって大きな影響を受けています。初めてこの書き込みを読まれる方に言いますけど、私は十九歳の女子短大生です。ここに来られる方はほとんどが中学生か高校生なので、私は年増の方でしょう。現在、私は八月の爆発のために深い悲しみのうちにあります。というのも、私には恋人がいるのですが、いえまだ恋人と呼ぶには早いかもしれませんが、とにかく想っている大学生の男の人がいます。その人は今、私の手の届かないところにいます。兵隊に取られたのです。そしてその戦争の発端が「八月の爆発」というものなのだそうです。それについては私は詳しいことはわかりませんが、なんでもそれは今から推し量ることが出来ないくらい昔に起こって、それからその八月の爆発を仕掛けた側と日本が戦争状態に突入したと聞きます。そしてその戦争は、現在でも続いているのだそうです。だそうです、というのは、どこで、どんな風にして戦争をやっているのか、私にはさっぱりわからないからです。そして私の好きな人は、その戦争に行かされて、これは誰かから聞いた話、私たちの住んでいるところとは違う空間に送られたということだそうです。

 私たちの住んでいるところとは違う空間?
 なんだそりゃ?
 僕が図書館でたまに読むSF小説じゃあるまいし、そんな場所どこにあるんだ、だいたい日本がなんで戦争しているんだ、と無言で突っ込みながら、さらに読み進めた。

 私の好きな人は、先月二十歳になりました。その時、召集令状が来たということです。彼は私のところに真っ先に来て、その令状を見せてくれました。それによると、二十歳になった時に既婚か、結婚をする明らかな約束をしていない男性は、戦争に行かなければならない、ということです。そして僕と結婚してくれ、でなくても婚約でいい、と彼は言ってくれました。彼は私と同じく、知らないうちに想い合っていたのです。当然私はその申し出に応じ、まず彼の両親と会いました。親や兄弟は私のことを快く思ってくれ、私たちの結婚については難なく許しを得ました。しかし問題は私の両親でした。二人ともまだ学生である身分をわきまえず、しかも徴兵逃れのために結婚するなどもってのほか、そんな考えでうちの娘をめとられたら末代まで名がすたる、と頑迷に婚約さえ断られました。ほどなく彼は二十歳になり、逢瀬の時間をも得られぬまま、出征していきました。私はここのところ、毎晩のように枕を濡らしています。彼とまた逢える機会があるならば、休暇中にN市に帰ってこられるのか、そもそも休暇自体が取れるのか、だいたいこの戦争はいつ終わるのか、気になるのはいつもそんなことばかりで、学校の勉強にも身が入りません。

 二十歳までに結婚か婚約しないと戦争に借り出される?そんな話、いっぺんも聞いたことがない。誰がそんなことを教えてくれるのか、そんな疑問の数々を頭の中に並べつつ、僕はあかりさんの少し長い文章に、再び目を落とした。

 そんな宙ぶらりんな私の心の一つの支えとなっているのが、さっきの八月の爆発です。戦火が広がって、もし万が一このN市が戦場となった時、この八月の爆発がすべてを救ってくれる、とどこかで聞いたことがあります。八月の爆発とはある意味、神の啓示のようなものかも知れません。まるで何もかもすべてご破算にしてくれてしまうような………すみません。何か私情がだいぶ過ぎたようで、でもこのノートは基本書きっ放しだからいいんでしょうね。こんなことは、若い人たちにはぜひ知ってもらいたいと思います。
 ビデオ野郎さん。少しは役に立てたでしょうか。出来うれば、私の彼が無事に帰ってきますように、同時にビデオ野郎さんが兵役を逃れ、あるいは戦争に行っても無事に帰ってこられるように、ささやかながら祈っています。pm1:24

 八月の爆発についてこれだけ詳しい答えが得られるとは、今までの図書館巡りで費やした苦労を考えると、ちょっと拍子抜けしたような感じがした。僕の推理によれば、彼女が書いたような仔細は、彼女の想い人が持ってきた令状の裏にでも書いてあったんだろう。しかしそこにも八月の爆発についての具体的な説明がないということは、軍事上もの凄い秘密なのかもしれない。そんなことを気軽に考えている間、僕はある事実を忘れかけていたが、しばらく経って僕はそのとんでもない事実に直面した。
 ボクガ、ヘイタイニトラレル!!
 そう心でつぶやいて、最初はその言葉にリアリティが感じられず、あかりさんの文章をながめていたが、その意味が理解されるにしたがって、じょじょに全身の毛穴から汗が吹き出る感じがした。一言で言うと、その感じは「嫌」というものだった。それは、高校時代に味わった校外マラソンの直前に抱いた「嫌」という感じと同列だ。あの頃、僕はひよわで運動が苦手だったので、そういう行事が行われる時に「どうして僕がこんなことをする必要があるのか」などと、どうしても思ってしまう、そういう胸が締め付けられるような「嫌」な感じなのだ。ちょうど、第二次世界大戦の時に召集された若者の多くは、そんな感じを抱いていたのかもしれない。
 その日僕は結局、あかりさんへの返礼を書かずに図書館を出た。今の気分では、とうていあかりさんへの適切な謝辞を冷静に書けないと思ったからだ。ああ、まだ動悸がする。
 僕の誕生日は七月十八日だ。つまり、この日が僕が二十歳になる日で、同時に兵隊として徴用される日なのだ。それまで僕はどうしていよう?今まで通りバイトして、おとなしく召集に応じてしまうのか。それとも、何とかして配偶者を見つけ、結婚あるいは婚約でもして徴兵を逃れるか。しかし、相手の女性を見つけられたとして、フリーターの僕ではあまりに甲斐性がなく、そんなもの認められないのがオチだろう。その前に、そういう女性を見つけることが先決だ。そんな恵まれた環境には、僕はいない。
 いや、その相手は、一人いた。
 Sオさんだ。
 もちろん彼女の了解は取ってはいない。でも彼女の言動を見る限りでは、彼女はどうやら一人身らしく、周りのスタッフとも恋愛感情などとは一線を画して付き合ってるようだ。むろん、僕もそのスタッフと同じような位置にいるのは間違いない。
 単に彼女を作るのなら、携帯やネットなどで出会い系サイトを漁るのもいいけど、結婚が前提となると、それらで女性を引っぱってくるのは得策だと思えない。第一僕はパソコンはおろか携帯さえ持たない貧乏、もし持っていたとしても使い方がわからない(ビデオの編集は奇跡的に出来るが)アナログ人間なのだ。
 それに比べると、Sオさんは某有名大学卒の才媛だし、僕の方は高校しか出ていないという負い目はあるが、ある程度図書館に通いつめて独学でいろんなことを学んできたし、それでもまだ分不相応な感じはあるけど、彼女のようなしっかりした人間なら、人を学歴や収入だけで選ぶような打算高さはない、と僕は信じ込んでいた。
 そんな妄想を抱きつつも、僕の中には第二の問題点がしばらくのち心に浮上してきた。召集令状が届く前にSオさんと婚約までこぎつけるためには、わずか半年の時間しか残されていないのだ。
 果たしてSオさんは僕と婚約までいってくれるのだろうか、だいたいSオさんは僕に明らかな好意を持ってくれるんだろうか、強引に押して押して押しまくるという手もあるが、弱気な僕にはそんな嫌味なまねは出来っこない。ではどうするか。やはりここは、当たってくだけろという精神で、まっすぐ自分の想いを伝えるより他に方法はないだろう。

                 六
 あかりさんの八月の爆発についてノートに書き込みがあった次の日、僕はバイト先の事務所へ足を運んだ。目的は、次の作品の素材をどのように編集するかについての打ち合わせなのだけど、それは半分口実で、実はSオさんの僕に対する気持ちを確かめに来たのだ。そこで僕は、事務所が開いてすぐの時間に訪れた。Sオさんがいつも早めに来ることを知っていたからだ。それに事務所のホワイトボードには、ほぼ一週間分のスケジュールが書き込まれているので、遅く行くと彼女が来なくて歯がゆい思いをすることだってあるのだ。もちろん僕が彼女と積極的に話をすることはまれで、たいがい遠目に、彼女が僕の方を意識していやしないか様子を窺っているばかりだ。そんな僕が、彼女と上手く話しながら、結論への糸口をつかむことが出来るか実に心配だ。こういうのを、フハクしてる、っていうんだ多分。
 事務所に入った時、少し時間が早かったかなと思っていたら、すでにSオさんは部屋にいて、書類棚の整理をしており、僕が入ってきたのに気付くと、
「あ、おはようございます、Mさん」
 とあいさつしてくれた。
 幸い事務所に他の人はまだ来ていないようで、僕はわざとらしく、
「Kバシさんはまだのようですね」
 と訊くと、
「そうですね、皆さん今日は出てくるの昼前になるでしょうね。待っていられます?何か時間の都合がつかないなら伝言しときますけど」
「はい、僕は待ってても構いませんが」
 とはからずも僕はSオさんと二人っきりになってしまった。そこでとにかく彼女と会話を続けようと躍起になり、
「今日はひどく早いですね、何かあるんですか」
「はい、明後日のイベントの詰めをやっているんです。こういうの直前になったらバタバタで出来ないことが多いですから」
 まったくよくSオさんは働く。フハクしている僕とは大違いだ。
「この夏は、どこか遊びにでも行かれるんですか?」
「そうですねえ……休み取れるの短いんですけど、スキューバダイビングなんかをする予定は立ててます」
 休みの日も豪快に遊ぶ。実に活動的な人だ。
「Mさんはどこか行かれます?」
 僕はどきっとした。彼女が僕のことについて訊くというのは初めてだったからだ。僕は答えに窮してしまい、
「はい、あの……たぶん、高給の夏季限定バイトでも入れようかと思ってます。何せ貧乏なフリーターですから、『働けど働けど我が暮らし楽にならざり』って感じですよ」
「大変ですね。がんばってください」
 彼女はどんなときにもまったく冷静だ。というか、人当たりがちょっとよそよそしいのはこの地方の特色なのだろうか。冷静というより軽くあしらわれたような感じなのだ。
 ダメだ。この人には遠回しに言っても通じない。ここは一つ単刀直入に申し込んでみるしかない、と心に誓った時、運がいいのか悪いのか、Kバシさんが事務所にあらわれた。
「今日は早かったねMくん。あ、Sオさんも来てたの」
 と、邪魔が入ったところで僕とSオさんの会話は終わり、各々仕事に没入していった。当然その日に計画していたプロポーズ級の告白は、なされずじまいだった。

                 七
 またその日から僕は仕事に忙殺され、四日ほど図書館参りには行けなかった。そして、やっとの思いで図書館に行ったが、この間のあかりさんへの返事をまだ書いてないことを思い出し、ノートに先日の情報に感謝する旨の書き込みをした。今日はこれで終わりだろうと思ってページをぱらぱらとめくっていると、あかりさんの名前があの書き込み以降のページにあることに気付いた。何ごとかと僕はあわててそのページを開くと、前回の二日後の日付けでこのように書いてあった。

六月十五日 あかり
 ビデオ野郎さんは、もうこの間の書き込みをごらんになりましたか?この話は、なぜか大人の人たちの間でのみささやかれている噂で、私よりはるかに詳しい人というのは、実はいるそうなんです。そのことはひょっとしたらビデオ野郎さんの方が詳しいのかもしれませんが、その詳しい人たちというのは、確かN市の真ん中に平和公園というのがありますよね?私はずっと地元に住んでいるのに一度も行ったことがないのですが、そこに隣接している平和祈念館というところの学芸員の方が、いろいろと戦争について詳しいそうです。でも、又聞きの話だと表向きは太平洋戦争のエピソードばかりで、八月の爆発には触れてくれない、ということです。確かに現在のN市には、そういう爆発が起こった形跡はほとんど見受けられません。しかしこういうことも考えられます。実際に八月の爆発が起こっているということになると、その遺構が現代にまで伝えられていて、それらがあまりにも私たちの目に近いので、それが遺構だ、などと思わなくなったんじゃないか、というふうに思います。ことわざにもあるでしょう。木の葉を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、って。N市のお偉い人たちや公権力の人は、あえて遺構をいくつも残していて、八月の爆発みたいなことが起こる懸念を払拭させようとしているんじゃないかと思います。もちろんそれがどこにあるのか、私には全然わかりません。もしかしたら平和祈念館というくらいだから、そこに行けば何かわかるかもしれません。でも、あなたの年齢くらいの人になれば、説明はしてもらえるのではないでしょうか。私はこの身が辛すぎて、足を運ぶことすら出来ません。もしよろしければ、ビデオ野郎さんに平和祈念館に行ってもらって、このノートに感想などをお願いしたく存じます。それでは。pm2:18

 そうか、このN市の歴史を調べればよかったんだ。
 第一この市でその手の情報を手に入れるには、こんな図書館の他、テレビや新聞や雑誌なんかで、「八月の爆発」を取り上げるような社会派っぽいところなんてどこもない。しかも「平和祈念館」なんて露骨な施設があるということさえ、まったく知らなかったのはなんなんだろう。そう思って図書館の地域資料を探してみると、一冊だけその施設についての記述があった。その本は、第二次世界大戦についてのみ記されてあって八月の爆発への言及はゼロだったが、施設の住所だけは明記されていた。
 よし、明日にでも行ってみよう。
 あかりさんの話では、学生以下は「八月の爆発」について教えを請うことは出来なさそうだから、社会人に偽装して、いや僕も高校を出てからバイトで糊口をしのいでいるんだから、社会人には間違いない、学芸員からいろいろと聞くことは出来るだろう。明日からはまた仕事で忙殺の日々がちょっと続くが、今度は納期がまだ先なので、近いうちにじっくりと平和公園および平和祈念館を回ることにし、その旨と謝辞をノートに書き込んで家路に着いた。

                 八
 次の日、僕は実に軽い思いで平和公園に向かった。交通手段はもちろん、この街のど真ん中を走っている電車だ。もう梅雨も明けた頃で、ただでさえ南国にあるN市は八月に勝るとも劣らない暑さでたまらない。
 平和公園はまさしくN市の真ん中にある。僕もよくそばを通ったりすることはあるんだけど、「平和公園」を見よう、なんて崇高な目的で入ったことは一度もない。まあ地元民(僕は半分ぐらいの地元民だが)の普通の感覚ではあると思う。東京に住んでるほとんどの人が東京タワーに行くわけではないし、大阪の通天閣だって似たようなものだろう。それに、僕はバイトや図書館巡りに忙しくて、そんなところ見に行くひまがなかった。おおかたの地元の人間は、ごく近くの観光スポットなんて目に入らないだろう。
 ともかく、今回は反省して平和公園に来てみたのだが、敷地内に入ってまず目に飛び込んできたのは、観光旅行者や中高生の修学旅行の団体さんだった。そんなに有名で意義深いものがあるのに、僕たち地元民はなんと意識がないんだろう。正面の入り口を入ってすぐの広場には、なんとも迫力のある巨大なブロンズ像(なのかは定かではないが)が鎮座していた。その像は男で、裸体に布を巻いて座っており、右手を垂直に、左手を水平に指していて、よくこんな像を作ったな、と何気なく思うぐらいの巨大さだ。その台座の前にはたくさん献花がされていて、「N市の平和と発展を願う」云々という言葉が台座に彫られていた。これだけを見ると、昔ここで大規模な空襲があって、その犠牲者をとむらうために作られたみたいだ。ただ、東京ではあんなひどい空襲があった割に大した施設は建てられていないのに、こんな地方都市の空襲程度で、まるで破格の扱いなのではないか、とも思った。その他にも、「グラウンド・ゼロ」と台座に彫られた柱があったり、その爆撃で破壊された教会の残骸も近くにあったが、どれも「八月の爆発」という名にふさわしいほどの遺構だとは思えなかった。
 次に僕は、目当ての「平和祈念館」に行ってみることにとした。こちらも広い敷地面積を占める、コンクリート製の二階建てだ。僕はこの建物にただで入れるものと思っていたが、意外にも入館料を取られてしまった。しかしやむをえまい。不特定多数の市民が利用する図書館のような公共施設ではないし、こういった場所は維持費も大変だから金を取らざるを得ないのだろう。そんなのもすぐに気にならなくなって、僕は建物へと足を踏み入れた。するとそこには、爆撃で被害を受けた建物の遺構や破片、被弾直後に針が止まったままの時計、損傷した教会の巨大な石像、等々、教科書なんかに載っていそうなものばかりで、いまいち新鮮味に欠けた。たまたま近くにいた団体客に説明しているガイドの声にも耳を傾けたが、これもまた退屈を誘うように響いた。
 ここで僕はあかりさんが書いていたように、学芸員の人に聞いてみることにした。
 展示室の中を見回すと、一人の女性が椅子に座って周囲の様子を窺っているのを見つけた。学芸員の習性だ。彼女はまだ若く見え、眼鏡をかけていて、事務系の仕事をしているような雰囲気だった。僕は勇気を出して彼女に近付くと、声をかけた。
「あの、すみません」
「はい、何でしょうか」
 彼女の声は意外にハスキーで、聞いてて快かった。
「あの、ちょっと質問よろしいですか」
「はい、何なりと」
 この時まで彼女は笑顔だったのだが、
「八月の爆発って、ご存知ありませんか」
 と僕が訊いた途端、彼女の表情が少し固くなり、そして小さな声で、
「はい、あの………その件につきましては、いずれおわかりになるものと思いますので、そ……すみません、私の口からは、これだけしか言えないんです」
 学芸員の女性は目を伏せ、それ以上は言い辛そうな顔をした。
 僕としても、ここは平和祈念館ということもあって事を荒立てるつもりはなく、ただ「申し訳ありません」と無感動に言ってその場を立ち去った。
 やはり、八月の爆発のことを直接尋ねるのは難しいらしい。
 建物を出ると、僕は何だかいたたまれないような気分になって、まっすぐ家に帰りたくなくなり、公園の周囲をもういっぺん散策することにした。そうしていてわかったことだが、公園は最初思ったほど広くはなかった。たぶん公園の大半が平和祈念館で占められていること、巨大なブロンズ像があることから、見た目には広く感じられたのだろう。しかも、足元にあるのはアスファルトで舗装されている道だったり、石で組まれた階段だったり、緑の植え込みが道端にあったり、街灯や電柱があったりと、他のちょっと大きめの公園にありそうな光景しかなく、格別に「八月の爆発」と関係があるような雰囲気は希薄だった。
 やがて、僕は公園に入ったのとは反対側の出入り口にさしかかった。これ以上何もなかったら、もう帰ってしまおうと思ったその矢先、僕はその階段の左わきに、何かよくわからないものがあるのに気付いた。そして階段を下りきり、壁と繁みの間にある何かを目にした。最初、僕はそれがなんなのかわからず、何か錆びた鉄のかたまりが曲がりくねって倒れている、そう思った。そして時間が経つにつれ、それが鉄塔らしいということに気付き、次には鉄塔の上(つまり構造物の一番向こう)に大きなタンクのようなものが認められた。そのタンクから下の方に真っ赤にさび付いたパイプが走っているのを見て、僕はそれが横倒しになった錆びだらけの給水塔であることを確信した。何でこんなところにこんなのがあるんだろう、と思い、この構造物を余すところなく凝視したのち、これが横から何かもの凄い力がかかったように、給水塔の根元からぐにゃりと曲がっていることがわかった。
 コレガ、八月ノ爆発ノチカラナノカ?
 まったく不気味だった。どんな力が及べば、こんな堅牢そうな鉄塔が壊れるのだろうか。単に倒れているというのではなく、何か巨大な怪獣がいとも簡単に踏んでいった感じで、ばらばらにならずに曲がっているのだ。これは何なんだろう。僕はこの不気味な光景に恐れおののきながら、近くにこの構造物についての説明書きがないかどうか探したが、そのようなものは何もなかった。
 そして次第に、この給水塔に対する僕の印象は、不気味さから明らかな恐怖へと変貌していった。これは普通の爆撃による壊れ方ではない、むしろ何かとてつもない高熱が浴びせかけられたのだろう。これが本当に「八月の爆発」の仕業だとすると、人間などあっという間に焼けきってしまうに違いない。だがそれ以上に、単に鉄塔が折れ、人間が焼け死ぬといった現象面だけではなく、自分という存在が主観として残ることは出来ても(それはちょっと宗教の領域に入ってしまうが)、客観としてこの世から消えてしまうかもしれない、ということに脅威を感じたのだ。つまりそれは他者の喪失、自分以外の存在すべてをなくしてしまうことなのだ。自分ひとりが死んでしまうのと、その代わりに自分の周りがなくなってしまうということは、等価なのだ。そしてその恐怖を具体的な言葉であらわそうとしても、何も浮かばない。言いようがないのだ。ただ、瞬時ではあるが吐き気がした。それから僕はその場にいるのがいたたまれなくなり、急いで出口へ向けて階段を駆け下りていった。
 家に着いてもまだあの恐怖は消えず、自室でそこら中をのた打ち回った。そして、何とか昼間見た光景を忘れようと耳をふさぎ目をつむったが、あの陰惨なイメージは僕をとらえて放さなかった。僕は飲めない酒をあおり、この心象から逃げ出そうとつとめ、疲れていたのかそのうち眠ってしまった。


           八月の爆発 その3へ続く