八月の爆発 その1

                 一
 僕は電車に乗る時、いつもそう思っていた。
 この電車はどこまで乗っても百円だ。子供は五十円になる。つい先日までは八十円だったけど、合理化がどうとかで、少し値上がりした。値上がりはしたけれど、どこまで行っても百円だ。でも僕にはそれが不思議だった。僕が最初電車に乗った場所をAとすると、電車が進むにつれB、C、Dという場所に僕の存在は移動する。そしてEという場所で降りたとして、そのEという場所で僕が自分の存在を意識した時、Aという場所にいた僕の存在というのは、いったい何なのだろう。Bでの僕の存在は?Cは?Dは?
 それでも、どこまで乗っても払うお金は百円だ。
 その日は晴れてて、初夏の心地良い風が電車の中を駆け抜けていた。もっとも、その風は排気ガス混じりだったのだが。
 電車は街のど真ん中を走っている。道のど真ん中に線路があるから、電車もど真ん中なのだ。よく車とぶつからないな、と思う。実際、ぶつかる事もあるらしい。そのために電車の前後には、西部劇で出てくる蒸気機関車のような、大きなバンパーが付いている。僕が乗ってる時にぶつかったらな、と思うのだが、残念ながらまだそんな経験はない。
 実のところ、僕はこの電車に乗るのはあまり好きじゃない。なら何で乗っているのかというと、どこまで行っても百円だからだ。
 あまり好きじゃない原因は、乗ってる最中に起こることにもよる。僕は電車の中で、よく他人に話しかけられるのだ。今日のような天気の良い日は「いい天気ですね」程度で済むこともあるが、友だちと好きな映画の話をしていた時などは、変な頭の禿げたオヤジがしゃしゃり出てきて、先に降りた友だちの後を引き継ぐように薀蓄を聞かされた。また別の時、社会の或る問題に対していささかわがままなプロテストを友だちと展開していたら、上品そうなおばさんが真面目な顔をして、僕だけを(そう、僕だけを!なぜかいつも話しかけられるのは僕一人なのだ)えんえんと叱り、説き伏せようとした事もあった。こう書いていると、僕にはいっぱい友だちがいるように思われるだろうが、実は友だちが少ない。電車に乗るのも、一人の時が断然多いのだ。
 そして僕が電車に乗る時、目的地が定まっていることは少ない。繁華街に出る時はとにもかくにも電車に乗るのだが、どこで降りるのかは特に考えない。しばらくぼうっと乗った後、あ、ここで降りよう、とふと思った所で降りるのだ。降りても僕は何もしない事が多い。降りたところで本屋でもあれば、立ち読みでもして時間を潰すかするのだが、そうでなければただ街を歩くほかはする事がない。歩いたところで、この街には坂が多い。坂の上は住宅ばかりでますますすることがなく、そんな時は坂の石段に座って、ぼうっと眼下の街を見ることにしていた。場所が良ければ街全体を一望することが出来る。
 風が吹いた。
 今度は排気ガスの混じっていない、本当にさわやかな初夏の風だ。
 街の外れに広がる山の、きれいな緑色も目に飛び込んでくる。
 街にもいろんな色がある。赤、青、黄、緑、茶、紫、たくさんの色が灰色の中に点在している。先の電車のいろんなボディーも、その中の一つだ。でもそんな街は、僕は好きじゃなかった。山の方が断然好きだ。山は好きだけど、まだここの山には行ったことがない。何故かは自分でもわからない。
 それが僕の住んでいるNという街であり、そんなNという街に住んでる僕だった。

                 二
「あれ、どうしたの」
 呼びかけられて、僕は気付く時がある。
 僕は、フハクしてるんだな、って。
 フハク、ってどう書くんだっけ。たぶん、フ、ていうのは浮くの字でいいんだろうけど、ハクって何だったかな。白、じゃないし、情けない意味っぽいからハクジョウのハクでいいのかな、でもハクジョウのハクって、どう書くんだろう。
「打ち合わせするの、今日だったかな」
 Kバシさんが僕に話しかける。これは電車の中のとは違って、必然性のある話しかけだった。つまりは、仕事の話だ。
「もう作業終わったんですよ。で、出来た分持ってきたんです」
 僕は、持ってきたビデオカセットと資料をカバンから取り出しながら言った。僕はこの事務所で働いている。小さな、イベント関係の会社だ。働いているといっても、ちょっと貰う額の大きなアルバイトをしている、という感じだ。給料を貰う時も、領収書に「アルバイト代」と書いてある。
 そんな時、僕はフハクしてるんだな、って思う。
 僕の仕事はビデオの編集だ。ここの会社で主催しているイベントを撮ったビデオを、僕が編集して人に見せられる形にするのだ。撮るのはKバシさんの仕事だ。Kバシさんはイベントのディレクターをやってるんだけど、別にフロアーディレクターもいるので、会場の後ろでキュー出しながらカメラを回す。そしてその撮影済みテープをKバシさんから受け取って、僕はスタジオへ行く。そこでの作業は実に簡単だ。映像を切ってつなぐ、ただそれだけだ。他の人に聞くと、大変な作業だ、って言われるけど、僕はそんな風に感じたことはない。切ってつなぐ、ただそれだけだ。
 テープはカセットに入ってるから、本当に切っているわけじゃない。エディターという機械で、複数のビデオデッキを操作して、マスターテープに映像と音をワンカットずつ移していくのだ。その構成の作業は僕がやってるんじゃない。Kバシさんから素材のテープと一緒に渡され、構成表通りにやるだけだから、本当に単純作業だ。
 そして時々、作業中に僕はエディターと一体化した気分になる。ただ入力されたことだけをやる、機械に入力している僕のやることも、僕に入力されたことだけだ。だから僕は機械と一体だ。作業が終わると、当然僕は機械から引き離される。引き離された僕に何が残っているかというと、機械の方には一本のマスターテープが残っているのに、僕の方には何もない。
 そんな時、僕はフハクしてるんだな、って思う。
「いや早いね、いつも…次の奴、まだ決まってないんだよな。だからそれはまた今度にして、とりあえず今日の分見せてくれ」
 僕がカセットをデッキに挿入すると、出てきた映像をKバシさんがじーっと、真剣な目で見ている。僕は編集スタジオでこれと同じものを何べんも見倒したから、今の気分は見るのも嫌で、Kバシさんの表情を窺いながら、基本的にそっぽを向いていた。
 その、僕が目を何となく向けていた先のドアから、Sオさんが現われた。Sオさんは、ここの服飾コーディネーターをしている人だ。Sオさんは僕とKバシさんに軽くあいさつすると、ビデオモニターにすっと近寄って、
「あら、私が映ってる」
 僕は即座に目をモニターに向けた。舞台の一番手前で総指揮をするプロデューサーの所で、Sオさんが何かしゃべっている。立て込んだ話をしてるみたいで、Sオさんは中腰になっていて、ちょうど照明の具合が良くて(現場的には悪くて)彼女の顔が画面にくっきり浮かび上がっている。僕は本人を目の前にしているのに、なぜかモニター上の彼女の顔が気になった。
 端的に言えば、僕はSオさんが好きだ。
 僕とSオさんが出逢ったのは半年前のことだ。個人的に逢ったんじゃなくて、僕がこの会社に来たのがその時なだけだ。彼女は僕よりちょっと上、正確には三歳上だ。平均的な僕の背丈よりもだいぶん低く、仕事の割には化粧っ気のない、少年ぽい容姿の彼女に、僕は始めの頃は大して興味を持っていなかった。ところが、僕がここで仕事をするということを知って、今後も上手くやっていきたいという儀礼的な意味だろうが、ありったけの笑顔を作って、高く可愛い声で「今後ともよろしくお願いします」とやられた時、僕の胸にピンク色の矢が突き刺さった。それ以降、寝ても覚めても僕の心臓は痛みっ放しなのだ。
 でもたぶんダメだろう。彼女はバリバリ仕事をしてて、どんな細かいところも気が付くし、暇があったら打ち合わせしてるかてきぱき書類を片付けてるような人なんだけど、僕はぼんくらで、よけいに仕事を抱え込むのが嫌いで、機械に没頭してぐじぐじちょこちょこやる以外にまるで能のない人間だから、ろくに相手にされなくても仕方がない。でも一人で勝手に想い続けているのは自由だから、想い続けることにしている。だから彼女の、他の人に対して振りまく笑顔がヤケにまぶしいのだ。
 そんな時、ああ、僕はフハクしてるんだな、って思う。

                 三
 Sオさんは暇があると仕事してるけど、僕は暇があれば図書館へ行く。
 とかく無趣味な僕だが、昔から本だけはよく読んでいた。中高生の頃なんかは、学校の図書室にある本を全部読み尽くそうと思ったくらいだ。結局、読みきる遥か以前に卒業の時期が来ちゃって、野望は果たせなかったけど、今でも街の図書館にはよく行く。実際、Nという街はそんなに大きくないのに、図書館だけはやたら多い。そこで僕は読み尽くすなんて不毛な真似はやめにして、目に付いた本をかたっぱしから広げて、仕事のない日は暇を潰している。
 図書館というところは、不思議な場所だ。とにかくたくさん本がある。たくさん本があるということは、それだけ本を書いた人がいるということだ。もちろん一人で何冊も書いている人もいるけど、一冊の本に何十人もの人が係わってる本だって多いから、大まかにはそうだ。そしてそれらの本は当然一つ一つ違う。同じ題材を扱っていて、まったく違う意見を書いてある二冊の本だってある。つまり、本の数だけ違う考え方があるわけだ。
 でも、そんなことはまったくあてにはならない。
 そりゃ図書館にはいっぱい本があるけど、そこにある本だけが本じゃない。日本の中だけでも一つの図書館に収まりきらないぐらい本が出てるし、まして外国のも合わせると、もうとんでもない。でも図書館は、自分のところにはすべての本がある、みたいな顔をして建っている。僕らは図書館にごまかされてるんだ。
 それともう一つ、図書館が嘘をついていることがある。正確にいうと、嘘ついてるのは本なんだけど、僕はいろんな本を読んでて、何て世の中は整然とした考え方で動いてるんだろう、と思った時がある。
 活字がまっすぐ並んでいるからだ。
 本を読むようになってから、僕はまっすぐ並んだ活字のように整然とした考え方を持ちたい、とずーっと思っていた。
 でも、本当はそんなんじゃない。
 人は人と話す時、たいていの人は本当のことを話さない。本当のことを話すと、自分の利益にならないからだ。だから人は平気で人に嘘をつく。じゃあ、本はどうなのか。本を書く人は本当のことを言いたいためなんかじゃない、基本的に商売のため書いてるんだ。商売をするには、嘘をつかなきゃいけない。だいたい、物に値段なんて付けられるはずがない。モノはお金に換わらない。だからモノを売るのは嘘のことだ。本を書く人もお金を貰う。だから嘘をつく、嘘をついて書く本の中身なんて、みんな嘘だ。活字がまっすぐ並んでるように、人は考える訳がない。だから本は嘘をついている。おまけに、図書館はその嘘をかき集めてるんだから、大嘘の総合商社みたいなもんだ。
 それでも僕は、図書館に行ってしまう。
 僕は他人と話をするのがヘタだし、嘘どころか本当のことさえ話せないような、フハクで空っぽな人間だから、きっと図書館で嘘のつき方を勉強したいんだろう。
 それと、僕がよく図書館へ行くのにはもう一つ理由がある。
 それは、一つのある調べたい事柄があるからだ。
 そのことは、僕にとっては大きな謎だった。
 それにもう一つ、この街にかかわる大きな謎でもある。
 八月の爆発。
 これが、その謎の名前だ。
 名前、というのは、僕がそう聞いたことがあるだけだから、そうとしか言いようがなく、本当はもっと大層な事件名が付いているのかもしれない。
 このことは、この街の大人なら誰もが知っている。
 でも、誰も僕にこのことを教えようとしてくれない。
 大人になったらわかるのかな、と未成年の時思ってたけど、大人と呼ばれる歳になろうとしている今でもわからない。
 なぜみんな教えてくれないのか、それもわからない。しつこく回答をせがんでも、ひどく嫌な顔をされるばかりで、それからは一言も口を聞いてくれない。僕の両親は出身がここじゃないから当然知らないし、親族郎党は県外の人だからなおさらだ。では、何でそんなに人の口に上がらない「八月の爆発」という言葉を僕が知っているかというと、それを知っている人同士ではどうもそれについて話しているみたいで、うっかり人前で話してたのを耳にひっかけたことが、何度もあるからだ。そんな場合、聞いてない振りをするのが、知らない人間のここでの礼儀らしいが、僕みたいに知らなくて知りたがっている若者は何人もいる。そんな中の一人が、図書館に「八月の爆発」について書かれている本があるらしい、と話していた。その人によると、その本を読んだかどうか覚えはないが、検索カードに載っていたことだけははっきり覚えているので、もし何らかの命令がその筋からあって図書館から回収されたとしても、どこかに残っている可能性はなきにしもあらず、ということだった。また別の人の話では、それなら古本屋でひそかに高価で取り引きされているかもしれん、というのもあったが、それほど高額のものを買える財力は僕にはないし、密売ルートを開くのも面倒だろう。そう考えて、図書館をかたっぱしから当たることにしたのだ。最初のうちはみんなで回ってたけど、いっこうに見つかる気配がなくて一人ずつ抜けていき、しまいには僕一人になった。もっとも、もともと図書館巡りのついでだったし、僕自身も望みを捨てかけているので積極的に探してはいないが、それでも分類されてそうな書架を端から探すことはするし、時には書庫を見せてもらうこともある。
 それでも、なかなか見つからない。
 でも、それくらいであきらめるには、「八月の爆発」という名前は好奇心の矛先を収めるのをためらわせた。

                 四
 八月の爆発。
 その言葉は何かを訴えかけるように、僕の脳の奥底に響き渡っていた。
 八月の爆発というくらいだから、何か八月に爆発が起こりでもしたのだろう。でもそれ以上のことは、何もわからない。
 再び、知らない仲間内のおしゃべりを引用。
 相当、人が死んだらしい。
 いや、人よりか、建物の被害がひどかったらしい。
 俺の聞いた話だと、爆発みたいなことは起こったけど、それ以外のことは何も起こらなかったようだ。
 これによって街が全滅したっていうけど、今の街はこんなだから、案外大したことはなかったんじゃないの。
 それよか、逆にすごくいいことが起こったって聞いたぜ。
 人によっては、天国みたいになったって言うし、別の人だと地獄みたいに思えるんだって。
 八月の爆発っていうのは別の場所では起こったけど、ここでは起こらなかったって言うから、後の人がそう思い込んでるだけじゃないの。
 その話、本当はここで起こるはずだったんだが、予定が変更になって、別の場所になった、っていうのが真相らしい。
 予定って、誰の予定だよ。
 とまあ、この場では話がまとまらなかったのは言うまでもない。そして次第に、みんなの関心が薄まってきて、彼らは僕の前から姿を消した。
 しかし僕はやっぱり仲間が欲しかった。だいたいその仲間は、前のバイト先でちょっと話をしていただけで、そう親しい間柄じゃなかったから、べつだん強い絆もなくたがいに離れやすかった。現実離れていったし。
 だけど、そんな仲間を得る手立てを、つい最近知った。
 田舎の分室ならいざ知らず、N市ぐらいの大きさの街に点在する図書館には、伝言板という便利なコーナーがある。民間のサークル勧誘や、友だち募集といった、仲間を集めるのに使う張り紙を張るところだ。まるでインターネットの掲示板のような役割をしているが、こちらは公に張り出されることもあって、いい加減な書き込みは出来ない。そこに僕も「八月の爆発」について投稿してみようと思ったが、その気になって改めて伝言板を見ると、利用しているのは圧倒的に女子中高生なのだ。中には目の大きい、少女マンガ風のイラストが描いてあったりして、僕みたいないい歳した男が堂々と張り付けるのは、正直はばかられた。しかし、他に手がかりがないので仕方ない、僕は伝言板の記入用紙を取り、なるべく目立たないように小さな字で、「八月の爆発」という言葉について何か知っていないか、と書き込んで、伝言板の下に置いてある投票箱に用紙を入れた。上手くすれば明日にでも板に張られることになっているので、僕は図書館を後にした。
 翌日、期待に胸をふくらませて図書館に行ってみると、僕が書いた伝言は果たして張り出されていたが、その紙の余白に「この伝言は一週間以内にはがします」と書かれてあったのだ。あ然として紙を見てみると、「こういったおたずねの件は、横の書架にある雑談ノートに書かれたほうがいいですよ」とその後に書いてある。
 雑談ノート。
 伝言に注意書きがされてるのは少しショックだったけど、それ以上に雑談ノートというものがあるのには、少し希望が湧いた。僕としても、何か疑問があるたびこんなマンガみたいな絵の中に張り出すのはちょっと恥ずかしいし、それにそんなノートだと伝言板のように周囲の目にさらされることなく、遠慮なく書き込めそうで気分がいい。僕は自らの手で伝言をはがすと、隣の書架にあるはずの雑談ノートを目で探し、茶色い色をしたノートをほどなく見つけた。そしてページを開いてみると、いろんな色のペンで書かれた、丸文字といった若者言葉がずらずらと並んでいた。しかしその手にしたノートは最後のページまでびっしりと書き込まれており、再び書架に目をやると、同じようなノートが何冊も並んでいるのがうかがえた。それらには背表紙にナンバーがふられており、そのナンバーの一番大きいのが最新のものらしかった。読んでみると、ノートの書き手は伝言板と同じく圧倒的に若い女の子が多く、また書き込む頻度の高い常連さんが結構いて、彼女たちの近況報告(主にテストの出来とか学校でこんなことがあったとか、マンガの話とか)で占められていた。またも僕は書き込むのをためらわれたが、「八月の爆発」について大人に聞くよりもあてにはなるだろう、と思って書いてみることにした。
 まず自己紹介からだ。僕はここで自分の素性を明らかにせず、ただフリーターをやってます、ぐらいしか書かなかった。名前もノートの女の子たちにのっとり、今の仕事に基づいて「ビデオ野郎」というハンドルネームを使った。そして伝言板と同じように、「八月の爆発」について知っている人はいないか、と書き、図書館を出た。
 それからしばらく、僕はバイトに忙しくて図書館には足を運べなかった。もちろんバイトとはビデオの編集だが、切ってつなぐだけとはいえ、これで結構神経を使う。二時間も椅子に座ってエディターを使ってると、よほど気が高ぶってないと疲れが出てくる。三時間もやればへろへろだ。だいたいこの仕事は午後の一時から四時ぐらいまでするんだけど、これを一気にやってしまうと、他のことが手に付かなくなるくらい消耗する。タバコでも吸えれば気分転換になるだろうけど、僕は吸えないからお茶をがぶ飲みするばかりだ。編集スタジオを貸してくれてるおじさんも、あまり根をつめてやらないように言ってくれる。このおじさんは優しい人で、こわもての顔をしている割には、親切に編集のアドバイスをしてくれるのだ。そしてよく、僕ら二人は仕事の合間にテレビ業界の話をする。実は僕はテレビ局でバイトをしてたことがあり、ドラマのAD(アシスタント・ディレクター)としてスタジオを駆け回っていた。
 でも、アレはまともな人間のする仕事じゃない。
 ADといってもチーフからフォース(四番目)の四人がいて、一番下のフォースをやっていた僕は、よく先輩に叱られていた。特に一番上のチーフはよく殴る人で、僕が聞き違いや役者さんに失礼なことをしたりすると怒るだけでなく、鉄拳が飛んできた。それにフォースが受け持つ雑務に追われて、夜寝られないこともよくあり、ロケで使う移動中のバスの中や、リハーサル中でも立ったまま眠りそうになったりして、そのたびにガンガン殴られた。いくら殴られても、僕は正社員になるべく耐えてきたが、あるドラマ製作が終わった日の夕食で、僕はAD四人、同じものを頼んだ。するとそのチーフは、お前ごときが先輩と同じものを頼むなど百年早い、百円でもいいから値段の低い料理を注文するべきだと怒鳴り、疲れて頭の回らない僕はあいまいな謝り方しか出来なかった。チーフは僕の口が切れて血が出るまで殴り、僕をテレビ局から出入り禁止にすると宣言したのだ。僕はドラマの演出家になりたかったのだけど、それ以降、決してテレビの仕事はしないと心に誓った。
 でも、その時培った技術が、皮肉にも今のバイトで役に立っていた。編集スタジオを経営してるおじさんも、僕の手際のよさを買ってくれていた。彼もまた昔テレビ業界にいたらしく、休憩時にいろいろと懐かしい業界話をしたりもした。


           八月の爆発 その2へ続く