女の敵は女

男同士は本来 互いに無関心なものだが、女は 生まれつき 敵同士である。(ショウペンハウエル)

1.団結できない女性たち
 あなたの周囲を見回してみれば、「女の敵は女」ということが実際にあることに気づくはずである。女性が女性の地位向上を妨げている実例は枚挙にいとまがないのではなかろうか。選挙でも有権者の半数以上が女性というのに当選した顔ぶれを見ると、そのほとんどが男性である。
 今職場ではセクハラが喧しいが、
セクハラで退職した女性の数より、女性から集団でいじめられた結果退職していく女性が多いのではないだろうか。職場の“お局さん”が若くて美しく優秀な女性をいじめ出す場面に筆者は何回も遭遇したものである。男女雇用均等法もセクハラより先に女性同士のいじめを問題にすべきではないのだろうかという気がする。どうして女性たちは団結できないのか。不思議な話である。

2.嫉妬の嵐
 嫁姑や近所付き合いにおいても昔から女性同士の葛藤が存在する。嫁の敵は舅ではなく姑であることが圧倒的に多い。姑が嫁や孫娘までも攻撃し、物を隠したり手紙を開けたり電話を盗み聞きしたりする例さえあると言う。その姑もまた、ほんの少し昔には嫁であったのにである。
 女性特有と言ってもよいのが、美しさに対するあからさまな「ねたみ」とそれに伴う敵対心である。側から見てとても仲の良い二人の女性の間でも結構牽制しあっていることが多い。「貴女ぜんぜん太っていないわよ」と言う本人がやせていたり、「少しぐらいお肉がついていたほうが、女らしいわよ」といいながら自分はエアロビックスに精を出していたり。ブティックの綺麗な女の店員に向かって「あなたは若くてスタイルが良いから、自分に似合うものだけ置いているわね」と嫌味をとばすオバハンが一杯いる。
若くて綺麗な女性に対する悪口、陰口、足引っ張りなどは女の常識である。
 また、キャリアもあり自立している女性が、既婚の女性から陰湿な意地悪をされたりするのもよくある話で、京都大医療技術短大部の菅佐和子教授の、「彼女がイジワルなのはなぜ?」(とびら社)には、同性の後輩の抜てきを阻もうと裏工作する女性上司など女性同士のトラブルの実例が数多く紹介されている。
女性の社会進出を妨げているのは女性であるという構図である。

3.女性に同情しない女性たち
 さらに、性犯罪の被害者に対しては昔から、「女性にも非がある」との言葉が必ずと言っていいほど浴びせかけられるが、その声の多くが同性からのものであるということに刮目すべきである。
 さて、男社会の中で努力して地位を築き上げた女性だからといって、女性の味方とは限らないようである。筆者のよく知る女性の地方議員も例外ではなかった。彼女は子供の頃大変な辛酸をなめて育った。継母による虐待も経験したが、優秀な頭脳と養父の愛と経済力で女医になった。結婚したあとは全くの順風満帆の人生を送ったらしい。筆者がDVによって離婚を余儀なくされた女性の再婚相手を捜してくれるように依頼した際に
「DVを受ける女性にも非がある」と当然のように言い放ったのには正直驚いた。
 「女の敵は女だ」というのは男が仕掛けた罠で「女の敵は男だ」、というのが一部のフェミニストの見解である。しかし、「女の敵は女。男の敵は男。年寄りの敵は年寄り。海外では、日本人の敵は日本人。そして、人間の敵は、人間。」と言うのが現実ではなかろうか。近くにいればいるほど、同類であればあるほど、似ていれば似ているほど、ダメな部分が目につきやすい。息子の方が母さんに優しく、娘は気持ちがよく分かる分だけ母親に対してとても厳しい。宗教が異教よりも異端に対してより厳しく敵対するように、世間では、条件をより多く共有している者にこそ敵視されやすいのである。



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