いわゆる学歴差別と人権屋のたくらみ その(3)
5.「一流大学を出てないと一流企業には入りにくい」は差別か
日本を牛耳るスパーエリート公務員の学歴をみてみると、最高裁判所長官:京大法、検事総長:東大法、会計検査院長:慶應院、国家公安委員長:東大経済、公正取引委員長:京大法、人事院総裁:京大法、宮内庁長官:東大法、金融庁長官:東大法、警察庁長官:京大法、事務次官(東大法7、東大教養1、京大法3、京大経済1)等々である。
また、一流企業に就職するには学歴がモノを言う事も周知の事実である。不況の現在、高卒者に対する求人数は減少している。また、求人数の減少のみならず、求人職種についても、以前であれば事務職や販売職等での募集も多く見られたが、最近では事務職・販売職での求人が減少し、結果として求人職種の半数が技能工に偏っている。さらに、求人企業の規模にも変化が見られ、以前では従業員規模の大きな大企業からの求人も見られたが、近年は求人企業が中小企業にシフトしてきている。
このように高学歴が就職に有利なことは事実であると考えられる。さて、ではこのことは不合理な差別にあたるのかが問題となる。
膨大な志望者の中からある程度能力のある人材を選出しようと思えば、学歴というのは有用な客観的目安のひとつになりうる。高学歴者は、与えられた「受験」という課題に対して、いかに自分にとって最適な方法を見つけ出し、それを実践するかという力をもっているが、企業に入っても同様に、課題があってそれをいかに解決するかが問われてくる。高学歴者は、少なくとも与えられた課題を消化する能力の基盤が優れているという経験的な事実から、総合力が高い人間として採用の際に優遇されている。実際に、高学歴者は、計算も速いし、ビジネス・コミュニケーションの能力も高い。なにより、高所から物事を捉えるという行為をスムーズに行える。もちろん、一流大卒の人にも無能な人間もいるが、その割合は、低学歴者にくらべて少なく、人事課の期待通りの能力を持っている者の割合は高い。
また、昭和初期なら家庭の事情や社会情勢でやむを得ず高卒・中卒の人もいたが、昭和末期・平成ではそのような者は少ないといった判断もあり、多くの組織の採用担当はリスクを冒してまで「学歴の低いユニークな人材」の採用はしない場合が多い。
実際、日本経営者団体連盟が東京経営者協会に加盟する東京都内の企業を対象に平成13年1月に実施した「高校新卒者の採用に関するアンケート調査」の結果によると、採用(応募)者に対し、「勤労観、職業観」、「コミュニケーション能力」、「基本的な生活態度、言葉づかい、マナー」などの面で不満を感じている企業が多くなっている。特に「勤労観、職業観」については、「不満」または「やや不満」と応えた企業が45.7%とほぼ半数に達している。
以上のように、企業は能力と出身校が相関することを経験的に知っているから高学歴者を採る。企業は利益を追求する合理主義だから無駄なことはしないのである。企業の人事担当部局が採用に際して学歴にこだわる理由は、個々人の能力を推測するのに、学歴を見るのが一番手っ取り早くて、しかも一番確実であるとの判断からである。就職面接の場合でも、僅かな時間で他人の実力、能力を見抜くような神業を持った面接官など皆無に等しいことも理由の一つであろう。
一流企業の経営陣も、まともなベンチャー企業の経営者も殆どが高学歴である。学歴は「実力」を計る上で重要なバロメーターであると考えても間違いではない。現に、実力主義のアメリカは学歴至上主義社会だといわれている。実力が無いから低学歴になる、よって低学歴はえてして使えない、との判断であろう。もちろん、低学歴者のなかにも実力を有する者もいるから高学歴をメインに採用し、一部ですでに実績をあげている中途採用者なども採用する。
筆者にはこれを不合理な差別などとはとても思えない。全く合理的な考え方であり合理的な行動であると思う。なぜ、一部の人たちは、これを不合理な「差別」ととらえるのであろうか。
筆者はむしろ日本は学歴が大して評価されない社会であると思う。たとえば、収入と学歴の相関関係は比較的薄い。このことはキャリア公務員の実態を知れば自ずと納得がいくと思う。
6.「学歴社会」は不正義な社会か
学歴社会は、本人の努力と実力次第で報われる、公平な社会である。例えば日本の大学のトップである東大には、どんな貧乏な家庭に育った者でも学力試験の点数さえ取れば合格し入学する事ができる。経済的に大学に行けない、という人は現在ではごくわずかであろう。経済的に苦しくても、本人の努力で大学に通っている人も大勢いる。だから、低学歴=努力を怠った、能力が劣るとの判断もかなりの確率であたっていると思う。もちろん、学歴の高低は相対的なものだから、「低学歴=低能力」を主張する者は、自分よりも高い学歴の者が自分より高い能力を有していることを認めなければならないのは当然である。
労働者階級や中産階級など住みわけが厳しい英国などでは、どんなに勉強ができようが、低所得層から、オックスフォードやケンブリッジなどの名門大学に合格するのは不可能に等しい。しかも、英国では低所得層から名門大学に行っても低所得層と上流階級の両方から叩かれるという。
筆者は、学歴社会反対を唱える人たちに、あなたは英国のような社会と、学歴社会とどちらが公平・平等な社会であると考えるのか、と問いたいのである。