いわゆる学歴差別と人権屋のたくらみ その(1)
1.はじめに
今の日本社会が、「偏差値重視の詰め込み教育」「偏差値輪切り」による「学歴差別社会」「学歴至上主義社会」である、との意見がある。しかも、我が国では、この考えが自明の真理のごとく世間に流通しているようである。果たして本当に日本には「学歴差別」なるものが存在しているのか。以下に、論じてみる。
2.差別とは何か
差別という言葉の意味には大きく二つがある。現在では一般的に用いられないが、佛教関係などの古典において使われている差別は、差異、区別といった意味であって、英語のdifferenceにあたる言葉である。これに対し、今日一般に使用されている「差別」という語句の意味は英語で言うところのdiscrimination
= make difference いわば人為的に差異・区別をでっち上げることである。ちなみに差別の定義をみてみると、「差別とは、個人に帰することができない根拠に基づいた有害な区別である。つまり社会的、政治的ないし法的な関係において正当化できない結果をもたらすような根拠(皮膚の色、人種、性など)、あるいは様々な社会的カテゴリー(文化的、言語上、宗教的、政治的意見その他の意見、民族系列、社会的出身、社会階級、財産、出生または他の地位)に所属しているという根拠に基づいた有害な区別である。」とかいったものがある。
このように「差別」の定義には、非人為的差異・区別の存在が前提となっている。つまり、非人為的区別が存在することそのものは「差別」ではなく、むしろ「差別」を否定するための前提である。このように「差別」と「区別」の違いをきちんと理解し、誤った事柄に対して「差別だ」と騒ぎ立てることがないようにしてこそ、本当の「差別」を撃つことができるのである。