歴史の中に消えた土蜘蛛と国栖族−−土蜘蛛は山で猟をし、国栖は地祇を拝した
日本の古文献の中に「土蜘蛛」あるいは「国栖」と称された蛮族がある。実は国栖は土蜘蛛である。彼らは時には「八掬脛」、あるいは「山の佐伯」、「野の佐伯」とも称されていた。土蜘蛛の名は、手が長く足が長いクモの類のようなという意味から来ている。八掬脛は足のとても大きいという意味である。山の佐伯あるいは野の佐伯は、荒れ山や野外で大声でさわぐ人を指した。要するに、これらの呼び方は原始的生活をする人を軽蔑する呼び方にすぎない。「国栖」という語は多少異なっている。それは国の神(地方の神)を拝む人である。換言すれば、天上の神(天照大神など)を拝む朝廷、皇室、豪族に比べてて、国の神を拝む民族の地位が一段低くなったということである。奈良の吉野に住んでいる国栖は、皇室が大嘗祭を開催する時はいつも、彼らは貢物を提供しそして歌や笛を演奏しなければならなかった。
彼らは最初は皇室と敵対し、しかし後には皇室に帰順して、皇室の忠実な追随者になった。ゆえに吉野の国栖はクモと蔑称されることはない。それから、大嘗祭に参与する国栖は、実は吉野に住んでいる普通の農民が演じたのである。「日本書紀」とその他の古代文献の記載した土蜘蛛あるいは国栖は、かなり古い昔の事である。奈良時代後で、土蜘蛛は二度と日本で歴史の舞台に現れてこない。大和朝廷が全国征服を始めた時期は、およそ3世紀の後半から4世紀である。この時期、各地の絶えず現れる小首長を占領した、しかし、深山などの僻地に依然として人がいて、狩猟をしたり魚を捕ったり生活をしていた。彼らは依然として縄文時代のさながらの生活をし、縄文時代の信仰を維持した。しかし、朝廷の統治する範囲の拡大に従って、この人たちもすべて農耕民族になった。現在の土蜘蛛関連の叙述は、大和の王朝の人が、これら縄文時代的生活をしている人と遭遇した時の印象に基づいて編纂したものである。日本の古書の中で出現する神武天皇の東征の伝説のように、「土蜘蛛」が消えてなくなった2、3百年後に、やっと編纂したものである。そのため、土蜘蛛の叙述に関しては、大部分が後世に創作されたため、信頼できる歴史記載とはいえない。
「常陸国の風土記」の穴居人土蜘蛛の記録
土蜘蛛関連の伝説には、日本の全国各地で会うことができる。これは各地の首長がすべて狩猟民族を手なずけ、彼らを農耕民族にかえた経験があることを証明している。奈良時代、「風土記」を編纂して、もっぱら各地の古代の伝説を探し集めた。その中の「常陸国の風土記」は当時の詩人の高橋虫麻呂が文章を書いた。虫麻呂は各地の風景と現地の独特な伝説にたいへん関心を持っていた。ために、「常陸国の風土記」の中の土蜘蛛の記述には、民間伝説の質素な面をすべてもっている。例えば、ある伝説はこんな感じである。「老人は言う:昔、民族がひとつあって国栖と呼ばれていた、彼らはまた土蜘蛛、八掬脛、山の佐伯、野の佐伯と呼ばれた。彼らは洞穴に土居を掘った。人が来ると洞穴に隠れ、人が行くと再び出る。彼らはいつも農民が注意していない時に乗じて、出てきてものを盗みあるいは人を殺す。ある時、黒阪命という人がいて、彼は土蜘蛛を消滅させる一つの方法を考え出した。彼は土蜘蛛が外出する時に乗じて、イバラで穴の口を塞ぎとめて、それから更に騎兵で彼らを追いかけた。その結果、土蜘蛛はすべてイバラにつまずいてころび、最後に消滅させられた。」今の観点で見ると、土蜘蛛は農耕民族の財産の略奪によって生活を維持していたわけではなかった。彼らは狩猟に依存して生を維持していた、しかし時には農民と紛糾が起きることがあり、さらに進んで農地を攻撃したこともあった。最初、農民は彼らと決して大きい衝突を起こさなかった。しかし後から、黒阪命のようなこのような強大な族長が現れて、土蜘蛛を消滅させて、農民の生活を安定させたいと思った。そこで、大挙して土蜘蛛討伐を開始した。大和朝廷は朝鮮半島からウマを運んできた。土蜘蛛はまるっきり馬に会ったことがない。結局、彼らは自分たちが走るよりずっと速い騎兵に負けた。土蜘蛛が投降した後に、族長は彼らに荒地を開墾するように命じ、彼らは農民になった。昔、土蜘蛛が疾走した原野は、すぐに農村になった。
諏訪市の手長、足長神社−−土蜘蛛と民衆との関係
「肥前国風土記」の中に、一匹の土蜘蛛が現れて天皇の祖先を助けた伝説がある:天照大神の孫の瓊瓊杵尊は、国を統治するために九州を訪れた。しかし、当時の九州は一面の暗黒であった。この時に2匹の土蜘蛛が現れた。彼らは瓊瓊杵尊に四方に籾をまくように教えた。その結果、空はすぐにあかるくなり始めた。
大和朝廷の正史「日本書紀」の中で、土蜘蛛は差別された民族である、しかし日本各地で、土蜘蛛は実は民衆とかなり親しい民族のひとつである。例えば、長野県の諏訪市内には、手長神社と足長神社がある。そこにまつられている神は、諏訪の神の部下で、手長、足長という二人の巨人である。福島県新地村では、手長明神を尊ぶ。このような縄文時代の神の信仰と類似する、日本全体に恐らく数百の神社がある。換言すれば、大和朝廷に抹殺された土蜘蛛の宗教が、今に至ってもなお、依然として続いているのである。