(その四) 陰謀の海・真珠湾 |
第二次大戦下の欧州では、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の嵐が吹きすさんでいた。ナチスを倒すには、イギリス一国では不可能であり、アメリカの参戦以外に問題を解決する道はなかった。しかし、当時のアメリカの世論は欧州の戦争に介入することに反対であった。しかし、当然イギリスのチャーチル(Winston
Churchill)はルーズベルト(Franklin D. Roosevelt) に対独戦に参戦するよう説得しており、大統領の意志は参戦であった。
アメリカ国民を納得させる方法は、日本を挑発して日米開戦にもっていくことしかない。そうすれば日独伊三国同盟の立場から、ドイツはアメリカに戦端を開くかもしれない。ルーズベルトの閣僚で、最も信任の厚かった、財務長官ヘンリー・モーゲンソー(Henry
Morgenthau)はそう考えた。モーゲンソーはユダヤ人である。同胞への迫害を何とか止めさせたいという気持ちは自然なものであった。ここに、イギリスを救いたいルーズベルトと利害の一致があったのである。
←ルーズベルト モーゲンソー→ |
モーゲンソーを支えていた財務次官は、ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)である。ルーズベルトの周辺には、かなりの数のソ連スパイが暗躍しいていた。ホワイトはそのスパイ・グループの一人であったのである。
ソ連はドイツの猛攻を浴び苦戦を強いられていた。もし、極東において日本軍の攻撃を受ければ、腹背に敵を迎え二正面作戦を強いられ苦しい事態におかれることになる。ソ連の課題は、日本から侵攻されることを未然に防止することであった。「ゾルゲ事件」も、対ソ連侵攻の「北進説」から、南方進出の「南進説」へと日本の国策転換に一定の役割を果たしたと考えられている。こうしたソ連の事情から、ホワイトの役割は日本を挑発し日米戦争を仕掛けることにあったようである。
ソ連のスパイ ハリー・デクスター・ホワイト(写真左) |
ルーズベルトの政敵で共和党のリーダーであったハミルトン・フィッシェの調査によれば、東郷外相が、最後通牒と判断してしまった「ハル・ノート(Outline of proposed Basis for Agreement Between The United States
and Japan)」は、ハル国務長官の意図とはかなり異なったものであるという。「ハル・ノート」の起草者こそホワイトであった。
ハル(Cordell Hull)国務長官が、「ハル・ノート」を野村大使に手渡した後、スチムソン陸軍長官とノックス海軍長官に、「私の仕事はこれで終わった。これからは、あなた方の出番である」とのべたことは広く知られた事実である。
ハル国務長官 |
■真珠湾攻撃の5ヶ月前に、アメリカも日本本土爆撃を計画していたことを示す公文書が発見された。その推進者であったロークリン・カリーという大統領補佐官はソ連のスパイだった。(産経新聞:平成11.7.15)
■真珠湾攻撃の原因となった「ハル・ノート」を作成した当時の米財務次官ハリー・ホワイトはソ連のスパイだった。ソ連指導部は日本の軍事的脅威を除くため、米国を早急に対日参戦に促す「スノウ作戦」をすすめていた。(産経新聞:平成11.8.22)