第520回 世界で ただ一つの

 平成15年 1月9日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

お正月、TVの紀行番組を見ていて、気づきました。
女性レポーターが観光地を訪ね、川の中に入って
宝石を探し出していました。


すくい上げた砂に、少しずつ水をかけていくと、
キラキラ光る小さな鉱石が出て来ました。


歓声を上げて、その小さな石を見つめ、自分だけの
宝物、世界で唯一つの宝石を発見したと大はしゃぎです。


また、美術館を訪ね、この版画は世界にわずか七つしか
残っていない貴重なものですと、説明を受けて
感激していました。


お正月であるだけでなくTV放送が開始されて五十年を
迎えることもあってか、日本の国宝を一日掛かりで紹介
する番組もありました。
世界でこれ一つしかない唯一のものだ、歴史的に見ても
貴重なものだとの解説を聞きながら、気づいたことがあります。


そうだ、私だけの貴重な宝物が、ここにも一つあるのだと
いうことを発見しました。


世界で唯一つの、他の誰とも違う、また将来も決して
同じものが無いであろうと思われる貴重なものです。

それは、それは、外ならぬ、この私自身のことで
あったのです。


しかし、よくよく考えてみると、この私は私一人で
ここにいるのではありませんで、長い長い間の
先輩たちの思いを受け継いできたのが、この私で
あるのだとも思いあたりました。

そう考えてくると、私だけの身体ではなく、私だけの
命でも、私だけの人生でもなく、ここに生まれるべくして
生まれ、大きな命に支えられて、ここに生かされて
いるのだと、味わうことができます。


そうすると平凡な人生だと思ったことも、老いを迎えて
自由がきかなくなってきたこの体も、かけがえのない
貴重なものだったのだと思えてきます。


南无阿弥陀仏のお念仏を口にするとき、この私は
何のためにこの世に生まれ、何をするために、
今ここに生かされているのか、世界で唯一の
この私の存在には、どんな意味があるのか。
それがはっきりと確認でき、それを感じとること、
聞き取ることが出来るのだと感じました。


南无阿弥陀仏を聞くとき、阿弥陀如来の願いを、
この私に伝えて頂いているのではないかと、感じます。


うれしいとき悲しいとき困ったとき、南无阿弥陀仏を
口にしていると、自分が進むべき方向が、
今しなければならないことを、聞き取ることが出来る。


阿弥陀如来に相談すると、この人生には、どんな
ことにも意味があり、今何をしなければならないか、
はっきり分かってくるのです。


お念仏とは、私に生きる意味を示してくれる
すばらしい宝物だったと気づかせていただきました。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、一月十六日に新しい内容に変わります。


          

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