第476回 仏法をあるじとす

  平成14年 3月 7日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな文章に出会いました
梯實圓先生の「仏法をあるじとす」という文章です。

蓮如上人の法語に「仏法をあるじとし、世間を客人
(まろうど)とせよ」という言葉があります。


仏法とはひたすら生死の迷いを超え、愛と憎しみを超えた
浄らかなさとりの領域を目指して生きることであり、
世間とは、生にとらわれ、死に怯え、愛欲と憎悪に
揺れながら生きている世俗の生活をいいます。


真理について無知と、煩悩が支配している世俗を
否定するのが仏法ですから、仏法に生きるためには
世間を捨てなければならないといわれていました。

それが出家仏教なのです。


 ところが、蓮如上人は、仏法と世間とに主客を立て
「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」いわれるのです。
それは仏法を基準として世俗を生きるならば、世俗の
生活がそのまま仏道になるといわれたものです。


煩悩の大地を離れることのできない凡俗の身であっても、
本願を信じ、念仏する中で営まれる世俗の生活は、
喜びにつけ、悲しみにつけ、さまざまな出来事が
そのまま仏法の真実を確かめる道場に転換されていくからです。


 しかしもし「世間を主人とし、仏法を客人とみなす」ならば
仏教の堕落でしかありません。
それはこの世をうまく生きるための手段として仏法を
利用しようとするものです。


仏法を主とし、世間を客とみなす生き方は、世間を
仏法化していきますが、世間を主とし、仏法を客と
するような生き方は仏法を世俗化してしまいます。


世俗化した仏法には、もはや世俗の人を救う力は
ありません。・・・・・


勧学の梯實圓先生はこのような文章を
お書きいただいています。


仏法はこの世をうまく生きるためのものではなく、
世俗の中に生きるこの私を救う働きのある教えです。


南无阿弥陀仏のお念仏とともに、力強く喜び多く
生かさせて頂きたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月14日に新しい内容にかわります。

月間 大乗 3月号 巻頭言より



   

          

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