第477回 いのちの言葉

  
平成14年 3月 14日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

八年前の妙念寺巡番報恩講に、ご講師として大阪から
おいでいただいた豊島学由先生が一冊の本を送って
いただきました。


お寺の門前にある掲示板のための法語集
「いのちの言葉」という本です。


その中にこんな言葉がありました。

〇 霊魂があってもなくても
   さしつかえないが仏教徒

近ごろ若い人の中には、霊魂があるということを
信じている人が多いようです。


TVや映画の影響もあるようですが、自分にとって不都合な
ことが起こるのは、迷っている霊魂が、生きている人間に
悪い働きをするためだと、思われているようです。


お墓にお参りするのも、お仏壇もこうした霊魂をなだめ
静めるためのように勘違いし受け取っている人もあるようです。


しかし、お念仏の人は、例え霊魂があってもなくても、
そんなことに関係なく、どんな苦難にあっても、くじけず
生きて行く力を与えられる教えです。


霊魂があってもなくても、南无阿弥陀仏のお念仏の人には、
一切さしつかえない。そう言いきれるのが仏教徒なのです。


また、
〇 合格祈願のお寺さん 
   不合格になった学生さんはどうなるの

という法語もありました。
誰でも自分の思いどおりに成りたいものです。
希望の学校にも是非合格したいものです。
受験生全員が、合格したいと思っていても定員があり、
全員合格とはいかないのが現実です。

仏教は、合格した人も合格しなかった人も、供に精一杯
努力出来る力を与えてくださる教えです。


この受験が決勝点ではありません。人生の一つの節目、
長い人生の途中の一つの山であり、一つの川でしかありません。
いま希望どおりの結果が与えられなくても、能力に見合った、
本人にとって一番素晴らしい結果が待っていると思います。


今、目前にある結果が望みどうりでなくても、やがて全ての
ことが無駄ではなかった、お蔭さまで学ばせていただいたと
言える将来がきっと待っていると思います。


合格した人は、有頂天にならずますます努力し、
不合格の人は落胆せず、一歩一歩着実に進んで
いきたいものです。


自分に与えられたこの道を力の限り努力して
いきたいものです。


南无阿弥陀仏は、この私を応援してくださる
阿弥陀さまの呼び声です。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月21日に新しい内容に変わります。


   

          

本願寺・りビング法話へ