第409回 この私一人の為だけに

 平成 12年 11月23日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

お念仏の教えは、報恩感謝の教えです。
これから、何かをくださいとお願いする教えではなく、
いただいている物に感謝して、お念仏する教えです。


ただお念仏だけで救われるという教えですが、ご恩を感じると、
じっと座っておれない教えでもあります。


親鸞聖人がお読みいただいたご和讚の中に、
恩徳讃という和讚があります。


 如来大悲の恩徳は 身を粉にして報ずべし
 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし

と、ご恩を味わったら、感じたら、もうじっとしておれない
報じても謝しても、こんなことでは、あいすまないというのが、
お念仏の人の生き方です。



  私たちは、既に、いただいているもの、もっているものを
忘れて、新たなものを手に入れようと追い求めています。


また、誰でもが持っているものは、当たり前となって、
感謝の気持ちさえ持ちません。


これは、人間同士の関係だけではありません。
人間と自然との関係でも、有り難く感じることもなく、
不足なものを探し、思い通りに成らないことを、
悔やんでの毎日を過ごしています。



 よくよく感じて見ると、あれもこれも当たり前ではなくて、
あれもこれも、みんなみんな喜んで良いことばかりです。


しかし、それに気づかずに、無くしたものや、自分が持たない
ものばかりに気をとられ、苦しい日々を送っています。


よくよく考えてみると、あらゆることが、この私の為に準備
いただいたものだったと感じられれは、感激一杯のことばかりです。


みんなのためと思うと感激の心も薄まるものですが、この私一人の
ためにこの教えが説かれ、この私一人のために、法蔵菩薩は
ご苦労になり、この私一人のために、七高僧も親鸞聖人も、
蓮如上人も、そして多くの先輩方も、この私一人を救おうとご努力、
ご苦労いただいたと思えたとき、私ほど幸せで、私ほど喜んで
いい者はいないのだと、うなずけます。


そう感じられたら、もうじっと座り込んではおれないのかもしれません。

いただきぱなしの、お世話かけぱなしのこの私であったと気づくと、
せめて私が出来ることを精一杯やらせていただきたいという、
前向きの積極的な生活が始まります。


これから、何かをいただくためではなく、この私が既にいただき
ぱなしであったと気づかせていただく生活、それが念仏の生活
なのでしょう。


この私一人のために、仏様も皆様も自然もありとあらゆる私の周りは、
この私一人のために、ご苦労ご努力いただいている、そう思えると、
この私の人生は、今まで以上に価値あるすばらしい毎日に転換されて
いくことでしょう。


この私一人の為だけにと味わえると、有り難いことばかりで、
南无阿弥陀仏の言葉が口に出てきます。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月30日に新しい内容に変わります。



          

本願寺・りビング法話へ