第400回 雨にも負けず
平成12年 9月21日〜
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
毎週一回内容を変更していますこの電話サービス、
今回がちょうど400回目になります。
今後もよろしくご利用ください。
ところで、「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも
夏の暑さにも負けず 丈夫なカラダをもち 欲はなく
決していからず いつも静かに 笑っている・・・・」 の
詩で知られる宮沢賢治のことは、よくご存じのことと思います。
こうした詩の背景には、子供のころからの環境が大きく
かかわっているようです。
宮沢賢治の父親の政次郎さんは、若いころから仏教に
深い関心をもっており、自分が中心になってお聴聞の
サークルを、岩手県の花巻につくるなど、熱心な
お念仏の人で、集めた仏教書は、自宅の土蔵が
一杯になるほどだったといわれます。
また花巻にある浄土真宗のお寺、安浄寺の総代を
務めていたといわれます。
長男の宮沢賢治も父親のこうした活動の手伝をしながら、
京都からこられた多くのご講師のお話もよく聞いて
いたようです。
父親だけではなく、母親のイチさんもお念仏の人でした。
子供のころ、宮沢賢治に蓮如上人のご文章を、読み聞かせて、
教えながら 「 人間というものは、人のために何かして
あげる為に、生まれて来たのス 」 と、口癖のように
いっていたようです。
この世に生まれて来たのは、自分の欲を満たすため
ではないことを、また、布施をすることこそが人生の
最高価値であるという智慧を授かり、自分でも実践し、
子供にも伝えていったといわれます。
この布施のこころは、雨にも負けずの詩の中に
「 東に病気の子供があれば 行って看病してやり
西に疲れた母があれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人があれば 行って怖がらなくても
いいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらない
からやめよと言い・・・・・」
こうした表現になったのでしょう。
これは、母親が教えてくれた、人間としての生きる意味を、
実践しようとの思いからなのでしょう。
現在はどうも知識だけを、伝えれば良いように思われて
いますが、本当は、人間として最も大事な、智慧を
伝えることこそが、大人の務めなのかもしれません。
南无阿弥陀仏は、人間として生きる意味を教え、
南无阿弥陀仏は、子供に伝えるべき智慧のすべてを
網羅した教えだと味わいます。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、28日に新しい内容に変わります。
「よきひと」とは「智慧の人」
山本敏雄師(福岡県、京都郡・永万寺副住職)を参照
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