第401回 責任は自分で

    平成12年 9月28日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

現代の特徴は、無責任ということのようです。
自分でやったことの責任は、自分で取る必要があるのに、
その原因を、他の誰かのせいにして、他の人を怒ったり、
恨んだりして逃げているのではないでしょうか。


自分が作った原因は、自分自身でその結果を受け取る、
自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかありません。


しかし、現代は、悪いことをしても、見つからねばいいのだ。
皆がやっていることだと、自分の犯した罪に気づかないで
いるようです。

そして、人間は生きているときだけで、死んでしまえば、
すべては消えて無くなってしまうものだと考える方が
多いようです。



 昔は、よく、そんなことをすると地獄へ落ちるとか、
地獄で鬼がとか、人間の行いによって、受ける結果を、
生きている間だけではなく、死んでからでも、責任を
とらねばならぬ苦痛の世界があるのだと、日常的に
語られていました。



 現代は、地獄など、そんなものはない。
この世で逃げとうせば、それでいいのだと、自分の行いに、
自分で責任を持つ気持ちがなくなってしまったようです。



 仏教は、原因があって結果があると説き、人間の行いに
よって自分自身が受け取らねばならぬ結果があることが
説かれています。



殺生を犯した者、盗みを犯した者、ウソをついた者が、
それぞれに、行かねばならぬ苦しみの世界があることが
説かれています。



 法蔵菩薩の四十八の願いの最初は、わたしの国に
地獄や餓鬼や畜生のものがいるようなら、わたしは
決してさとりを開きません。とあります。

阿弥陀如来のお浄土には、地獄、餓鬼、畜生のものがいない。

そして、第二の願に、お浄土へ生まれたものが、命を終えた後、
ふたたび地獄や餓鬼や畜生の世界に落ちることがない。
とあります。


われわれが日頃行っていることは、自己中心で地獄へ
落ちるようなことばかり、それが余りにもかわいそうで、
何とか救わねばというのが、阿弥陀如来の願いです。


自分が作った原因で、地獄へ落ちることしか出来ないこの私を、
南无阿弥陀仏で、お浄土へ生まれさせ、阿弥陀如来と同じ働きを
させようという教えです。    



自分のことしか考えなかった私を、南无阿弥陀仏で
仏の仲間として、仏の願いにかなった積極的な活躍を
させようとの願いです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月5日に新しい内容に変わります。



          

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