第352回 こっそりと水あめを
平成11年10月21日〜26日
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
お参りのときにいただいてきたお茶菓子を、鞄の中から
取り出したとき、ふと思いました。
日本の昔話に、和尚さんの大事な水あめの話です。
小僧さんたちに内緒で、壷に入っている水あめを
こっそりと一人でなめていた話です。
小僧さんたちは、中身は何か分かりませんが、欲しくて
たまらないのです。そこで和尚さんが留守の間に一人の
トンチのきいた小僧さんが、なめてしまったという話です。
この話は、欲張りな和尚さんが、もったいない、もったいない
と一人だけで、こっそりと甘いものを食べていた、けちん坊の
話だと思っていましたが、ことによるともっと奥深い意味が
あるのではないかと思えてきました。
仏教の教えを、独り占めにしている話、自分だけ味わい、
多くの人に説き聞かすことを忘れている僧侶を、痛烈に
批判したお話ではないかと思えてきました。
また、仏教の教えを、水あめのように、甘くおいしく、身を
楽しませるものだとの誤解を、皮肉っているようです。
しかも、誰かに渡すと、減ってしまって無くなってしまう
ものとの思い込み、自分だけこっそりと、他人の見て
いないところで、一人味わい喜ぶことのおかしさです。
ところが、仏教の教えは、こっそりと独り占めにする
ものでもなく、誰かに渡すとだんだんと減っていくものでは
ありません。
誰かに渡しても、私の物は減るものではありません。
いや、私が持つものではなくて、阿弥陀如来から信心を
いただき、お念仏するだけであり、品物のように受け取
ろうとするところに、間違いが起こるのかもしれません。
お念仏をいただくと、もう仏の仲間、命終わるとお浄土に
生まれ、阿弥陀如来と同じさとりの仏様にして、迷える
多くの人びとを救う働きをするのが、お念仏の働きです。
一人で喜ぶだけではなく、仲間と一緒にみんなで
喜べるのがお念仏の教えです。
私だけが喜ぶだけでなく、多くの人のために活躍できる
私にしていただくのが、お念仏の教えです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月28日に新しい内容に変わります。