お念仏が目的の教え
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
お盆もやっと終わりました。
今年初めて、妙念寺の本堂では、お盆の法要を行いました。
ところが、家族づれの方など予想以上に、たくさんの方に
お参りいただき驚きました。
8月の14日の午前11時から40分少々の法要でしたが、
生まれて初めてお寺での行事に参加された方もあったようです。
ところで、仏教やお寺、それに、お彼岸やお盆などというと、
亡くなった先祖を考えるもののように、
思われているようです。
お釈迦様が説かれた教えを。仏教といいますが、
仏教は、本来、毎日の生活の中で、悩み苦しみながら生きている、
生身の人間たちの、その苦しみを取り去り、喜びや、生きる勇気を与える
教えだったのです。
世界には、キリスト教をはじめさまざまな宗教がありますが、
そのすべては悩み苦しむ人びとを救い取ることを説いています。
しかし、多くの宗教が、特に選ばれた人を救う教えであるように思います。
神や仏を信じて従うもの、命令通りに行動するものや、
その教えをよく理解できる特別の能力がある人だけ、
選ばれた人だけを救おうという教えであるように思います。
これに対して、仏教は、その中でも、
特に、阿弥陀如来のお念仏の教えは、特別に選ばれた人だけではなく、
すべての生きとし生きるものを救わねばおかないという
壮大な教えです。
自分で努力して悩み苦しみを取り去ることができる人、
努力し勉強して、人間の本質が理解できて、
苦しみを解決できたり、苦しみから逃れる事ができる人のためでなく、
どんなに努力しても、どんなに頑張っても、人生の苦しみから
逃れることも解決できない多くの人びと、その誰ひとりとして
見捨てないという教えです。
仏教の中でも、人間が努力をすれば問題は解決するという
聖道門という教えと、仏様の力に頼り、仏様の力で救われるという
浄土門と大きく二つに分かれます。
浄土真宗は、この中で浄土門に当たります。
ところが、間違って受け取られているのは、
将来、理想の浄土に生まれるためだけの教えであるとの誤解です。
この世のことに全く絶望しているものが、せめて未来に、
お浄土に救いを求める教え、この世は仕方がない。
ただせめて未来に助かりたいという教えであるように一般には
受け取られているようです。
しかし、浄土真宗の教えは、こうした教えではありません。
お念仏を未来に往生する手段と考えるのではなく、
お念仏自体が目的の教えです。
お念仏を称えるのが救われるための手段ではなく、
お念仏そのものが目的である。将来の希望のための教えではないのです。
今この瞬間にお念仏をすることで、いまこの瞬間を強く生き抜く
ことのできる教えであるのです。
お念仏そのものが目的の教えである、
勇気の出る教えであると味わいます。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、8月28日に新しい内容に変わります。
( 平成 9年 8月21日〜 第239回 )