第1280回 仏教への先入観 ①

 平成29年8月10日~

 妙念寺の仏教壮年会 例会、年1回は ご夫婦で参加する会ですが
そこで、 こんな お話をしました


  浄土真宗の教えは難しい なかなか分からない、何を言おうとしているのか
よく分からない、理解しがたいとの声が聞こえます。 ・・・

 それは、仏教に対する 固定観念が 邪魔しているからではないでしょうか。
原因の一つは 子どもの頃から 持っている 仏教の常識であり、
まずは、一度全部捨ててみた方が良い。

多く人が持っている 仏教の知識は、お釈迦さまが説かれたものだから、
みんな同じもの、一つだと理解していることです。
ところが、仏教は 一つではなく様々な受取り方があり、常識を捨てること

お釈迦さまはインド釈迦族の王子さま、地位や名誉や財産きれいな奥さん、
息子さん、我々が求めているすべてのものを持った方でした。
我々が、欲しいもの すべて持った方でした。我々には 理想の生活

そのすべて捨てて 出家された方です。
それは、人間としての真の生き方を 求めるためであり、努力に 努力を
重ねて 発見した真理を 説いていただいた。

 ですから、仏教は 我々が求めているものとは 大きく違うのです。
我々は 財産や健康 愛情がすべてで、これさえあれば幸せだと、
追い求めています。しかし、お釈迦さまは、それより、もっと大事なものが  
あることを発見して 教えていただいたのです。

 ところが、多くの人が、神さまに 求めるような、自分の願い、欲望を

叶えてくれる教えだと、仏教を理解しています。
逆に、我々が求めているものを否定された教えそれが、仏教なのです。
現代の仏教の中には 努力すれば 欲望が叶えられると説く宗派もあり、

多くの人が迷わされている。

 お釈迦さまは 王さまになるより、もっと大事で 意義ある教えを
説いていただいているのです。 
親鸞聖人は、仏教に 真 仮 偽 がある 仏教は 一つではないと。


 二つめは ですから 普通 持っている漠然とした 仏教の価値観と
真実の仏教の価値観は まるで違うもの、
前のご門主は 「現代の常識を超える教え」と表現されていました。

私の常識には 良いことをすれば 良い結果が出、悪いことをすれば
悪い結果が出る。自業自得と教え込まれています。


 そして、他人に頼らず努力すること 頑張ることが大事と、受験競争から
出世競争へと、鍛えられています。 
親鸞聖人も 比叡山で 二十年間命がけの修行をされました。

その上で、法然聖人を訪ね、自分の力ではなく、仏さまのはたらき
他力の教えに 進まれたのです。
現代人が持っている、自分の力だけを頼るのではなく 仏さまの

力に気づき救われていく教え、これも自分の力を頼りにする
現代人には なかなか理解しがたいことの一つでしょう。
人間の力が及ぶことと人間の努力が 及ばないことがあるとの 
理解が難しい。

老病死 愛別離苦など人間の力だけでは解決出来ない問題がある。

  三つめは みんな救われる 全員救われる。
光明無量 寿命無量 すべてのものを 一人残さず、十方衆生漏らさず、
救わねばおかないという仏さまのはたらきでも、多くの人は救われて

いません。これは、仏さまのはたらきに 気づいていないため。
人間の場合も、親は、子どものことを、いつも心配していますが、
子どもの方は、それに気づきません。
同じように、仏さまの はたらきに気づいて いない人が殆どです。

 念仏するものを 必ず浄土に往生させる 無条件ではあるものの、
念仏に遇わない人には、仏さまのはたらきに気づかすに いるのではないか。
気づいた人は、一人子のように仏さまは、いつでも どこでも 私のことを
見守っておられる、護られている自分であったと、お念仏を口にし、耳に
聞きながら感動の人生を 味わうことが出来るのです。 

    壮年会のお話 次回1281回に続きます。



          


           私も一言(伝言板)