第1269回 本願寺Q&A

 平成29年 5月25日~

京都・西本願寺のホームページの中に、本願寺QAというくだりがあり、
こんな質問と答えがありました。

Q お守りやお札はありますか?

A 本願寺ではお守りやお札はありません。
 私たちは日々迷いの世界に生きています。何か悪いことが起こると、
自らを省(かえり)みずに人や物のせいにしてしまう、そのような
弱い私たちを救わんと阿弥陀さまはいつも見守ってくださっています。
そんな私たちにはお守りやお札は必要ありません。
阿弥陀さまの願いの中に生かされていることを、お念仏をいただく生活の中で
味わい、心から安心して力強く生きて参りましょう。

このような意味から、本願寺ではお守りやお札は扱っておりません。


Q お祈りはしないと聞きましたがなぜですか?

A 浄土真宗は「祈りなき宗教」です。私の方から祈ってすくわれるのではなく、
むしろ逆に、阿弥陀仏の方から「悩み苦しむあらゆる人々をすくいたい」と願われ、
そのはたらきによって私がすくわれていくところに、浄土真宗の真髄があります。


自分の生き方や考え方などの自己点検を繰り返すのが本来の仏教。
「病気が治りますように」とか「試験に合格しますように」など、自分の欲望を
仏さまに押しつけるような行為は、仏教の因果(いんが)の道理(どうり)からも
ありえないことです。ですから、浄土真宗は自分勝手な祈りを説きません。


しかし、頭ではわかっていても、自らが大切とする者のために祈らずには
おれない不完全な存在なのです。
その願わずにはおれない人の心を、阿弥陀仏は大きなお慈悲の心で包んで
抱きとめてくださっているのです。


私たち人間が不完全であるということを阿弥陀仏は見通され、私たちが願うよりも先に、
すでに私たちに向かってはたらきかけていてくださいます。
ですから、そのはたらきをそのまま受け容れ、感謝する以外にないのです。



Q「戒名」ではなく「法名」というのはなぜですか?

A 浄土真宗では「戒名」とはいわず「法名(ほうみょう)」といいます。
浄土真宗は厳格な規律である戒律を授かる教えではないからです。
必ずすくい浄土へ迎えとるという阿弥陀仏のはたらきを「法」と呼び、
その法のなかに生かされる私たちがいただく名前であるので「法名」というのです。
出家せずに浄土真宗の教えのもとに社会生活を営む仏教徒としての名前です。


法名は、帰敬式(ききょうしき)を受けて授与されます。「仏弟子」となった証しとして
本願寺住職(ご門主)から名づけられる「釋○○」という名前です。
「釋」の字を冠するのは、釈尊の弟子となることを表しています。
「○○」の二字は、すべてお聖教(しょうぎょう)のお言葉からです。


法名をいただくということは、み教えの言葉を人生の鏡として生きていくことの
表明でもあるのです。
ですから、「法名は死んでからの名前」ではありません。
今日、ただ今の私たちが、阿弥陀如来のお慈悲に支えられ生かされていることに
気付かせていただくのです。帰敬式を受式して、法名をいただきましょう。



 いくつか質問がある中で、三つだけ選びました。

是非、他の質問も本願寺のホームページで、ご確認ください。
仏教の中でも 浄土真宗は 他と違って、非常に特色ある教えです。


          


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