第1255回 わが身ひとつ

 平成29年 2月16日~

 私たち、誰のことが気になるといっても、わが妻、わが子ほど気になるものはありません。
私たちは何よりもわが妻の幸せ、わが子の成長を願って生きています。


 ところが、私たちはこの願いを実現するために、案外的はずれなことをしているのでは
ないでしょうか。お金を与え、物を提供さえしておけば妻の幸せが実現し、子の成長が
順調にすすむと思っているならば、それは的はずれです。


 確かにお金も物も大切ですが、それより大切なものは、世の中がどう変わろうが、
この身の上に何が起ころうが、ビクともしない確かな「いのち」のよりどころです。

 この、どんなことがあっても間違うことのない「いのち」のよりどころを教え、
すすめることこそが、本当の幸せ、本当の成長を願う行為なのです。


 ところが、いくらそう思っても、自分の力だけではどうにもならないこともあります。
いや、そういっている自分はどうなっているかと、自らをふりかえるとき、自分は本当に
確かなよりどころを聞き開いているのかということになります。


 どんなものでしょうか。
蓮如上人は「わが妻子ほど不便なることなし。それを勧化(かんげ)せぬは、
あさましきことなり。宿善なくばちからなし。わが身ひとつ。それを勧化せぬものが
あるべきか」といわれています。

 「本当に妻子を思うならば、妻子にみ教えを勧めるべきです。それをしないほど
悲しいことはありません」といわれ、「そのためにも、まず自分自身がみ教えに
遇わせてもらうことが何よりも大切です」と教えてくださったのです。


              北御堂『聞法』(著者 : 藤田 徹文)より



          


           私も一言(伝言板)