第1238回 好き嫌い

平成28年 10月20日~

 壮年会の集まりで、会食していると、食べものの好き嫌いが多い方があります。
大人になっても、好き嫌いは、なかなか治らないもののようです。

 ところで、一般には、好き嫌いが多い子どもは、協調性がない
ワガママな子になるともいわれ、親とすれば、嫌いなものを
様々な方法で食べさせる工夫をするものですが、これが、
苦手なものを受け入れる一つのトレーニングになるのだろうと思います。


 好き嫌いを許してしまうと「苦手なもの、嫌な事は受け入れなくてもいい」と
思って育ち、人間関係や学校の勉強、大人になっての仕事にまで影響が出て
嫌な事や、嫌いな人がいたりすると、すぐ逃げたり、避けてしまう可能性が
あるのでしょう。

「嫌いなピーマンは,人参は入ってないよね?」と嫌いな物探しから始まり、
これが対人関係でも、初対面の人に対して、「この人、私に嫌な事言ったり
しないよね?」と嫌いなことを探すことからスタートする
癖になってしまうようです。

食べ物の好き嫌いが多い人は、人の好き嫌いや悪口をいう方が多く、
好き嫌いがほとんどない方は色んな人と打ち解け、交友関係が良好であるという
傾向が見られると云う学者もあります。

 大人になるとともに、多くの人は、食べ物に関しては、好き嫌いは
なくなったように感じているでしょうが、実は本質的には治っていないようです。


 仏教で云う 老病死の苦しみは、自分の好きなことだけを求め、嫌いなことを
避けようとするために 苦しみとなって受け取っているもののようです。

 人間として生まれてきたからには 必ず年齢を重ね、老いていくことは
間違いないことです。どんなに気をつけても、病気になるのも当然です。
そしていのちが終わることも、全員間違いなく決まっています。

 しかし、何時までも若さを求め、健康であることを、求めて、老いること
病気になることを嫌っています。
お念仏にあい、お聴聞している方々と接していると、
どんなことであっても、好き嫌いをしない力を受け取っておられるように感じます。

堂々と歳を取り、病気を受け入れて、死ぬことも恐れない、好きなことだけ
追い求めるのではなく、嫌いなことも嫌なことも、素直に受け入れて、
おられる感じがしてなりません。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の価値観を受け取るということは
好き嫌いをなくす力を与えられること、食べ物だけではなく、人生の
さまざまな出来ことに、好き嫌いをいわず、ありのままに受け取ることが
出来る能力が開発されるのだろうと思います。

一つとして無駄なことはない。人生には意味のない出来事は決してなく
嬉しいことも悲しいことも、辛いことも苦しいことも、より好みせずに、
全部嫌わずに受け入れていく、それが、お念仏の生活ということではないかと
味わいます。

南無阿弥陀仏を口に、好き嫌いがなくなる生活に出会うと、世界が広がり、
明るく楽しく喜び多い、豊かな人生を充分に味わわせていただくことが
出来るのです。


         


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