第1230回 本願招喚の

 平成28年 8月25日~

梯實圓師の最晩年のご法話に、こんなところがありました。

ご開山は、「お念仏は本願招喚の勅命だ」と。
阿弥陀さまが願いを込めて、招は「まねく」、喚は「よぶ」ということですが、
これをご開山は「ヨバフ」と訓をうっておられます。


「ヨバフ」というのは、「よぶ」というこれ動詞ですね。
「よぶ」という動詞に、「ふ」という継続を表す助動詞がついてある。
これが「ヨバフ」です。
これは「よび続ける」ということです。
如来さまは生涯私を喚び続けていてくださる。

 何で仏さんは、喚び続けんならんかいうたら、なに、私たちの相(すたが)
見たら、今、聞いてるかと思たら他のこと考えたり。

ぽーつと横のこと考えたり。念仏しながらでも、他のことばーっかり
考えてるでしよ。
お経読みながらでも、どこを、なにを読んでるやわからへん。気がついたら
終わっとった。そんなことでしょ。

実に我々は心があっち向いたりこっち向いたり、うろちょろうろちょろ
してるでしょ。
だから仏さまは喚び続けるわけなんですよ。


 「気づいてくれよ。どうぞ、気づいてくれよ」と、喚び覚まし続けて
くださるわけですね。
で、それで私は「あっ、また喚んでいてくださるんやな」と。
またじゃないわ、ほんとズーツと喚び続けていらっしやるんだけど。
そういうことでね、如来さまは喚び続けてくださる。
そして私は喚び覚まされる。

そしてね、お念仏を通して「ああ、そういや仏さまは、こんなときには
こういうふうに考えろ。こんなときにはこういうふうに味わうんだぜ。
こんなときにはこういうふうに思たらええんやで。
こう考えたら奈落の底へ落ち込んでしまうで。
こんなこと考えたら、腹立つばっかりやで。

それよりもこう考える、こう味わうんだ。こういうふうに受け取るんだ」と、
仏さまは親切にいろいろ教えてくださってる。

それをお念仏の中で自然に思い出す。

「あっそやそや。仏さまこんなときにはこういうふうにせいと、
おっしゃってたなあ」と思い出すでしよ。
その教えが私たちを軌道修正しながら、少おしずつだけれども、
仏さまのお心にかなった生き方をしようとする。

そういう人間に私たちをね、少おしずつ矯め直し(ためなおす・曲がった
ものを,正しい状態に直す)してくださるんですよ。
これがね、仏さまの救いのはたらきなんだ。

生きるってことはね、こうして仏さまに喚び覚まされ、そして、
仏さまの教えによって少おしずつ軌道修正してもらいながら、
ものの考え方、味わい方を少しずつ矯め直してもらいながら生きる。


そこにね、教えに育てられ続けながら、そして浄土を目指して生きて行く
私の人生には、「お浄土」という目標がある。
そして、私の浄土への道を照らしてくださる仏さまの教えの光がある。

その教えの光に導かれながら、お浄土への道を歩んで行く。
それが、我々の人生というものですわなあ。
往生極楽の道としての人生を、生きているわけです。
親鸞聖人が生きられた法然聖人の教えというのは、
こういう教えだったんですね。

                伝道 2015 №84 から


         


           私も一言(伝言板)