第1231回 還相の菩薩

平成28年 9月1日~

(本願へと私を導く)

 浄土に往生して仏になった人は、浄土で ただ安逸をむさぼって

いるのではないのです。
阿弥陀如来と同じさとりを得たものは、その瞬間から 阿弥陀如来と同じ
大慈悲の働きに 専念することになります。

かつての子やあるいは父母のいるこの世に再び還って来て、さまざまな
手だてをつくして浄土への信心をすすめるのです。

 浄土からこの世に還って来られた人に特別の目じるしがついて
いないので、いったいどの人が浄土から還って来た人か、あるいは
そうでないのか区別はつきません。

かつて佐藤春夫は朝日新聞に『極楽から来た』という小説を連載しました。
極楽から来たといわれたのは法然聖人のことで、法然聖人は生前からも
勢至ポサツの再来とか弥陀の化身と敬慕されるほどに、人々を念仏に
導かれたのでした。

聖徳太子も同様ですし、親鸞を聖人と仰ぐのは浄土から私に本願を
伝えるために来られた聖なる人という意味です。

 このような方々は浄土から還って来られた人と一応うなずける
のですが、そのような方だけが浄土から来て私に信心をすすめる
のではないのです。

 法然上人の父は源内定明という武士に夜打ちにあって死亡されました。
もしこの父の死という事件が起こらなかったら、法然上人は仏門に入って
お念仏を広められることもなかったでありましょう。

そのような視点から見ますと、父の仇であり不倶戴天(ふぐたいてん)の
源内定明もまた、浄土から来て法然聖人を念仏に導いたボサツであったと
知ることができるのであります。

 倫理学者で聖徳太子の研究者としても名高い白井成允先生は、
最愛の長男を第二次世界大戦で亡くされました。
旧満州で兵役についていて敗戦後シペリアに抑留され、ついに
不帰の人となられたのです。

岸壁の母と歌われた端野イセさんと同じ悲しみに涙かれるまで
泣かれた自井先生は。

  仮の御身を 吾子とあらはし
    常住のみ法をつげて とく還ります    と詠まれました。

自分の子だと ばかり思っていたが、あれは如来さまが仮りにわが子となって、
我執強い私に本願に耳をかたむけるようもっともつらい手段をもって

導いて下さったのであった、というのです。

 とすれば、社会でつらく当たる上司も、非行に走るわが子も、
一向に仏法に耳をかそうとしないあの人も、夫も妻も、みんなみんな

ことごとく順縁逆縁の手だてをつくして、私に信を取れとすすめて
下さる還相のボサツかもしれないのです。

           霊山勝海著 「やさしい真宗講座」より


         


           私も一言(伝言板)