第1227回 万人平等の

平成28年 8月4日~

 新宗教などでは、現世の利益を説くものがおおいようですが、
浄土真宗でも、現世利益は説かれています。

親鸞聖人は「現世利益和讃」をお作りになり。
「南無阿弥陀仏を称う(となう)れば、この世の利益きわもなし」とか

「七難消滅の誦文には、南無阿弥陀仏を称うべし」等と言われ、
また「教行信証」では「真実の信心を獲れば現生に十種の利益がある」と
はっきりおっしゃっています。

阿弥陀仏のお心に順って(したがって)生きる人は、おのずからに
仏の加護(かご)を得、仏の不思議の功徳を身に頂戴するのであります。

しかし現世の利益をあてにして信仰を求めるのはまちがいであり、
またもっと深い確かな真の利益を真宗は教えるのです。

 迷信や邪教は、個人的部分的救済を利益としますが
正信(しょうしん)つまり真宗は、万人平等かつ全存在的救済を教えます。

 個人的救済とは「自分さえよければよい」という願いを満たそうと
するものです。

幸福を願う気持ちはだれでもありますが、自分の幸せ、家族の幸せを
願う時、他人の不幸は何とも思わないどころか、ややもすると他人の
不幸を心のどこかで喜んでいるのが凡人の根性ではないでしょうか。

真実の教えは、その様な私たちの姿を「恥ずべし、痛むべし」と
照らし出し、万人が平等に救われる道に立たしめるものです。

 部分的救済とは、例えば「病気が癒る」「お金が儲かる」
「無事息災を約束する」というものです。
しかし病気が癒ってもまた病気になるということがあり、
たとえ健康であっても必ず死ぬのです。

「死なない宗教」はありません。

 真宗の教えは、一言でいえば「生活全体に大切な意味が見出される」
ということです。たとえ病気になっても、病気を通してかえって
人生の深い意味が見出されてくる。

病気をして初めておのれを知り、生きることの有難さを知り、
また他人のあたたかい思いやりの心をも知らされ、さらに
病気の人とも心から同感できる身にもなれましょう。

 真宗で教えられる真の利益は、ある条件が満たされることではなく、
全生活、全人生に素晴らしいかけがえのない意味と生きる喜びが
見出されることであります。

人生の苦難や失敗を通して、かえって大切な意味が見出されるならば
すべてが無駄なく生きてきます。 

これは、単に考え方を変えることではありません。
真実の教えに遇うことによって、今まで立っていた立場が転ぜられ、
人生を支えていた大いなる生命そのものの世界に目覚め、
今ここに生きて在ることは実にスバラシイという感動を持って
生きられる身となることです。

過去の出来事の一切が、今の自分に無くてはならないものであったと
いただかれ、同時に輝く未来をも約束するという、
過去・現在・未来の三世(さんぜ)を貫く利益に目覚ましめる教えが真宗です。

                 (本多惠/東本願寺教化センター通信 No.57)


         


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