第1223回 老いのよろこび

平成28年 7月7日~


中川真昭さんがまとめていただいた
東井義雄先生の記録を見ておりましたら、
こんな詩がありました。

 老

「老」というのは
 失われること
 視力が 失われる
 聴力が 失われる
 体力が 失われる
 社会的な役割が失われる
「老」のさみしさは
 失われていくことの さみしさ


 そして、またこんな詩も詠まれています。


  老

 「老」は
 失われていく過程のことではあるけれども
 得させてもらう過程でもある
 視力はだんだん失われていくが
 花が
 だんだん美しく
 不思議に見させてもらえるようになる
 聴力はだんだん失われていくが
 ものいわぬ花の声が聞こえるようになる
 蟻の声が聞こえるようになる
 みみずの声が聞こえるようになる
 体力は どんどん失われていくが
 あたりまえであることのただごとでなさが
 体中にわからせてもらえるようになる
 失われていくことはさみしいが
 得させていただくことは よろこび
 老も、死も、み手のまんなか
 「老」のよろこびは
 得させていただく
 よろこび


 お念仏に生きられた東井義雄先生だからこそ、気づかれ、
受け取られた大きなよろこび。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の仏さまと一緒の生活は、
煩悩に曇った目で見る苦悩いっぱいの世界ではなく、

仏さまと同じような真実の眼で、この世界を見る智慧を与えて
いただけるのでしょう。

 老いることは、失うものばかりのようですが、よくよく味わうと、
たくさんなものを、新たに受け取っていることに気づかせていただけるのです。
有り難うございます。お陰さまでという言葉が、素直に味わえる世界。

お念仏・南無阿弥陀仏に照らされ、育てられた、成熟した豊かな人生を
喜び多い人生を受け取らせていただけるのです。

      本願寺出版社 中川真昭著 東井義雄さんの軌跡
              「人が生きる根を育てる」


         


           私も一言(伝言板)