第1159回 お寺の名前の意味は 〜佐賀の聞書 葉隠に〜

 
平成27年 4月16日〜

巡番報恩講の手作り冊子にこんな文章を掲載しました。

お寺の名前には、山号と寺号があります。
ご本山、西本願寺も正式には、龍谷山・本願寺です。


山号は、寺院が昔、山間部に建立された名残ですが、浄土真宗では山号も寺号も、
その寺院建立にご縁のあった方の法名等、ご法義の根幹である、真や信、
専・光・浄・願・称・正・明・蓮などが多く、それぞれのお寺には、
様々な由来があります。

他の宗派から真宗に転じられたお寺もあります。
その中で「覚」は、一般には「さとる」の意味で、他力念仏の教えにそぐわないようですが、
仏説無量寿経の中で、法蔵菩薩が四十八の願をたてられ、その四十八願のそれぞれの言葉に、
「もし私の願いが成就しなければ、自分は正覚をとらない( = 仏と   ならない)」とあり
有り難い大切な言葉です。

小倉山・妙念寺の由来は

全国的によく知られる佐賀の「聞書・葉隠」は、鍋島藩二代藩主・光茂候の側近であった
山本常朝が、藩の中枢で見聞した膨大な記憶を、後輩が聞き取り書き留めたもので、
この中に建立の由来が詳しく書かれています。

三歳で父と死別した光茂が、藩主に就任出来たのは、大伯母の小倉の局が命がけで

護り育ててくれたお陰と、十三回忌に、そのご恩に報いるため、寺院の建立を決めました。

しかし、幕府が新寺院の建立を禁止しており、東田代にあった廃寺の名を受け継ぎ、
念を寺号に、小倉を山号にしたと記されています。

妙念は、たまたま、小倉の局の法名でした。また、念仏者の小倉の局に育てられ影響を
受けた藩主光茂候が、非常に慈悲深く、家臣思いであった言動も、聞書葉隠の随所に
綴られています。


         


           私も一言(伝言板)