第1160回 阿弥陀如来の救い 〜結ぶ絆から、広がるご縁へ〜

 平成27年 4月23日〜

いのちと死をみつめて〜結ぶ絆から、広がるご縁へ〜
という、ご本山発行の冊子に 次のような文章がありました。


 阿弥陀如来という仏さまは、どのようにしたら、あらゆる人々が「しあわせ」になれるだろうかと考え、
願いを立てて修行され、「お浄土」を用意してくださいました。
なぜ、お浄土が私たちにとって救いとなり、しあわせをもたらすのでしょうか。

 阿弥陀如来のお浄土は、お念仏によって、誰もが生まれていくことのできる世界です。
お浄土へ生まれると、私たちは仏となります。

仏になるとは、慈悲の心で、あらゆるものを救おうとしつづける方になるということです。
つまり、私たちは、この世でのいのちが終わると、阿弥陀如来のはたらきによってお浄土へ生まれ、
あらゆるいのちを救おうとする仏になるのです。

ですから、お葬儀はお別れ会なのではありません。

仏教の視点からいえば、むしろ、仏さまとの新たな「ご縁」を結んでいくための場所なのです。

 お葬儀の場では、さまざまな「つながリ」を実感することができます。
参列された方々といっしょにお念仏を称える時、先立たれた方を思う気持ちがお念仏の声の中で
一つとなり、仏さまを通して、互いにつながり合っていることを実感します。


 また、先立たれた方は、仏さまとなって私たちのしあわせを願ってくださっているのですから、
「死」によって断ち切られることのない「ご縁」でつながっていると感じることができます。
あらゆるものを救おうと願う慈悲のはたらきとなって、今まさに私たちを包んでくださっているのですから。


 このお念仏によるつながりは、すべて阿弥陀如来の願いによるものですから、今ここで、
私自身が阿弥陀如来とつながっているという「ご縁」にも気付いていくことができます。

 このように、私たちが仏さまの願いの中にあることを知らされ、そのはたらきをそのまま
受けとめていくことを「信心」といいます。

信心とは、阿弥陀如来の願いの中にいる自分の存在に気付き、阿弥陀如来の救いに身を
ゆだねていくことなのです。


 大切な方との死別を経験すると、私たちは悲嘆にくれます。
この苦しみを釈尊は「愛別離苦」と説かれました。
その悲嘆は、つながりが切れることに由来しています。

しかし、本当のつながり、つまり仏教でいう「ご縁」とは、私たちが簡単に断ち切れるようなものではなく、

仏さまによって永遠のつながりとして与えられているものなのです。

 そのつながりを「ご縁」としていただいていく中に、死別の深い悲しみが、温もりによって
包まれていたのだと受けとめていく道が開かれていくのです。


                             重点プロジェクト いのちと死をみつめて 4 より


         


           私も一言(伝言板)