「叩き上げ」考
夢の中の話である。K州地方S県のI前知事のことを「叩き上げの知事」と表現したエリート役人がいた。謙虚で心優しい彼は、なるべく低学歴で「頑張った」人を評価してあげたいとの心で言ったのである。しかし、筆者はちょっとばかり引っかかった。叩き上げの政治家、叩き上げの役人、叩き上げのスポーツ選手等々どうもしっくりこない。
辞書によると、「叩き上げ」とは「下積みの時代から鍛えられ、苦労を重ね一人前になること。また、その人。」(広辞苑)「下積み時代の苦労を経て、腕を磨いて一人前になったこと。」(大辞林)だそうで「叩き上げの職人」といった具合に使うらしい。学研大辞典によると「〔学歴などがなく〕苦労して上の地位につくこと。また、その人。」だそうである。
そこで、I前知事様について考えてみる。旧制中学まで行かせてもらったにもかかわらず、勝手にぐれて不良になった。当然の結果として旧制高校へは進学できなかった。無試験で県庁に潜り込み、某有名代議士の縁者を嫁にした。近隣の付き合いなど「銭にならない」ことは一切せずに、ひたすら上司に対するごますりの腕を上げ、さらに業者とつるむ腕も鍛えた。だが、これは本来の能力を向上させたに過ぎないので、大した苦労ではなかった。そして、一人前の「悪党」になり、権謀術数を駆使してライバルや先輩を陥れたりけ落としたり脅迫したりして、ついには知事にまでなった。
さて、これが本当に叩き上げといえるのだろうか。どんなエリート公務員でも最初はヒラから始まるわけで、(試験なしのヤミで)ヒラの公務員から始めたからといって下積みなどと言う表現は当たらない。確かに腕を磨いたが、磨いた腕は「悪事」に関する腕だった。しかも、生まれついてのアコギな性格をのばしただけで、大した苦労はしていない。一人前になったのは確かだが、一人前の「悪党」になっただけである。もし、悪党でも何でも「腕を磨き」「一人前」になりさえすれば「叩き上げ」だというのなら「叩き上げの暴力団組長」という表現も良いことになってしまう。さらに、学研大辞典の言うところの〔学歴などがなく〕に関しても、当時、旧制中学まで行けたのだから恵まれた家庭であるし、決して低学歴などではない。ましてや、自分勝手にぐれて進学できなかったのである。こんな輩に「たたき上げの知事さんだから立派」などと言う表現を用いるのは、社会的・経済的な逆境を跳ね返し本当に苦労して責任ある地位についた、たとえば、田中元首相や野中元幹事長のような真の「叩き上げ」の人たちに申し訳ないと思う。