「医師免許更新制度創設」に思う

 新聞報道によると、政府の規制改革・民間開放推進会議(議長・宮内義彦オリックス会長)は3月15日、小泉首相に提出する答申のなかで「医療ミスの続発を防ぐため医師免許の更新制導入の是非について05年度中に結論を出す」らしい。具体的施策は25日に閣議決定される「規制改革・民間開放推進3カ年計画」に組み込まれるという。医師免許の更新制は、医療の質向上のため、問題のある医師の処分や再教育制度の確立とともに答申に盛り込まれた。これに対し、日本医師会は「医療への行政の関与が強まるのは好ましくない」と主張しているという。
 またオリックスの宮内様かとイヤになるが、それはさておき、既得権保持のためにライブドアのような「成り上がり者」の企業買収を阻止する株取引の規制をお考え中のお偉方が、今度はまた、医療にも新たな規制を導入しようと言うことである。規制撤廃を規制緩和と意図的に「誤訳」し、会議の名前も規制緩和でなく「規制改革」とするような「頭脳プレー」をおやりになる方々らしいお仕事ぶりだと大いに感心させられる「やり口」ではある。

 ところで、
筆者には、最近マスコミで騒いでいる「医療ミス」が実のところよくわからない

 医療は契約の一種であるが、契約には、対象物を引き渡してもらう変わりに金銭を給付する売買契約や契約した内容の完成を約束する請負契約等、多岐にわたるものがある。医療契約は準委任契約であると言われる。準委任契約は民法第656条(および民法第643条から第655条)に規定されている契約で、法律行為以外の事務(事実行為)を委託する契約のことである。ちなみに、法律行為とは「それを行う者の意思表示の内容通りの法的効果が発生する行為」である。
 準委任契約があると言うことは委任契約があるということであるが、委任契約とは、法律行為を任せる契約である。たとえば弁護士に離婚調停を依頼する場合などが挙げられる。この契約は、離婚できることも出来ないこともあり得ることが当然の前提となっている。請負のように、完成させる義務はないから、依頼された弁護士は離婚できなくても、報酬を受け取れるのである。
 準委任契約は任せる行為が法律行為ではないという点が委任契約と異なるだけである。病気を治すことを医師に依頼する場合で言えば、病気が治ることも治らないこともあり得ることを当然の前提とする契約なのである。

 医療が準委任契約であるということと一昔前の世間の常識との間には乖離はなかった。しかし、最近医療に関する世間の考え方は全く違ったものになっているように思える。要するに医療が請負契約になってしまっているのである。「病気が治ったのは先生のおかげです」と言った声は、相当に牧歌的な古き良き日本の残る地域でしか聞かれなくなった。今や「病気は治って当然、治して当たり前」の世界になってしまったのである。だから、医療機関にかかって、患者さんが悪い転帰を取った時には、全て医者のせいになってしまうらしい。もちろん、その中で「医療ミス」とまで非難される割合が幾らくらいかはわからないし、さらに、どれくらいの率で訴訟が提起されているのかを筆者は知らないが。

 しかし、よ〜く考えてみればわかるように、人間を始め生き物はいつか死んでしまう。それも大概は病気で死ぬ。もちろん、将来老化を止める「不老長寿」の薬でも開発されれば別であるが。
 話題はがらりと変わるが、筆者が乗っている車は最近ガタが来たようである。もう11年になる我が愛車は、走行距離8万キロで、相当大事に乗っているのにである。この車を元のような性能に戻すには、一つ二つの部品を換えたくらいではダメであろう。まして油を差したり磨いたりしても当然ダメである。ただの物=無生物でさえこの有様である。ましてや生身の人間、どんな名医がどんな治療をしたところでいつかは病気で死ぬ。病気によっては若くして死ぬ場合も当然ある。それもこれもみんな医師のせいと言われてはちょいと困ると思うのである。
 もちろん、
筆者も医療訴訟の中には正当なものが多いとは思っている。ただ、中には相当に無理のある場合もあるように見える。

 さて本題であるが、最近、医師の質の「低下」を言う向きが多い。しかし、筆者に言わせると、古い医師に比べて今の医師は、総体的に見て、遙かに技術力も高く知識量も多いと思う。さらに言うなら、これに関しては今も昔も同じであるが、医師の間の個人差が大きいと感じる。個人差は、知識や技術のみではなく「判断力」「論理的思考力」に関しても大きいと思う。そしてこれが一番大事だと筆者は考えている。

 筆者は、医師の質の向上にとって大事なことは医師養成機関の入り口と出口のハードルを高くすることだと考える。無定見なマスコミは、ついこないだまで「医師は知識や技術よりも人格だ」と言ってきた。多分今でもその主張を維持しているのであろうが、一方では知識や技術の不足による「医療ミス」をあげつらう。両方必要なのだと言えばそれまでだが、実際には、どちらに高い優先順位を与えるかが問われていると思う。具体的に言えば私立の医科大学・医学部の問題だ。慶応大学など一部の一部の医学部をのぞいて、今まで「人格」と「やる気」を重視すると称した低偏差値医学部・医大が乱立した。しかも、「人格」と「やる気」を重視する一部の有力医師会員の圧力なのか知らないが、医師過剰にもかかわらず、日本の医師国家試験の合格率は他の国家試験や世界標準から比べて異様に高いままである。

 医師免許更新制度を導入しようがしまいが勝手にすればいいが、「その前にやるべきことがあるのではないですか」と筆者は言いたいのだ。医学生の「学力」の問題や国家試験の難度の問題だけではない。たとえば、医師に力量の違いがあっても同じ医療費を支払う制度で良いのかどうかとか、さらに株式会社病院の是非の議論の前に、医療費抑制のためにとられた病床規制が今や「既得権維持」の制度ともなっている事態に関する議論をすべきではないのか、などなど医療を巡る論点は多いのである。



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