名外科医とは

 
ンターネットを見ていたら、「名医」とは医療技術が優れている医師のことをいい、外科医について使用される場合が多く、「良医」は人間性が良い医師のことを指し、内科医にとって望ましい資質であるというようなことが書いてあるのが目に付いた。外科医にだって人間性なるものが必要だし、内科医にも技術は必須であると思うのだが、まあいいか。

 さて、先日、知人が「注射や血圧測りくらいオレにだって出来る」「専門家面してえらそうに」と看護職の人たちを批判していた。そこで筆者は、「もちろん出来ますよ、あなたにも」「それどころか、手術だって、少し練習すれば誰だって出来ますよ」といった。さすがにびっくりしたような顔をしていた。さて、その心は?

 
17年ほど前になるが、筆者の知り合いで、現在H県F市内の新幹線からよく見える場所で開業しているM眼科医がいた。その当時、彼は、今ではたいていの眼科医が行っている「眼内人工レンズ」の手術が出来ることを自慢にしていた。そして、この眼科医のもう一つの自慢が手品が上手と言うことであった。筆者も見せてもらったが、それはそれはすばらしいマジックで、目の前で見ていても種も仕掛けも分からない。マジックで十分飯が食えると思われるほどの名人で宴会の度にスターになっていた。彼は常々、自分ほどの手先の器用さがなければこの手術は出来ないと周囲に宣伝しまくっていた。田舎のこととて、善男善女は老いも若きも「神の手」を持つM眼科医を敬うことしきりであった。しかし、筆者は不思議でならなかったのである。医療技術であって、ごく一部の「神の手」を持つものにのみ可能などというものがあっていいのだろうか。医療技術というものは並の器用さの者が一定以上の訓練をすれば、一定以上のレベルを達成できるものでなければならないのではないか。当然のことであるが、人に対する手術は最も安全・確実に行われるべきである。すなわちその手法というのは安定したものでなければならないはずである。ごく少数の名人にのみ可能というのは、裏を返せばその手法が不安定で不確実と言うことではないのか。そして、並の者でも一定以上の成果が出る手技というのは、安定していて確実な方法であるといえる。スポーツにおける如何なる名プレーヤーも失策をするように、名人にだって不調の時もある。不安定な手技では手術される者はたまったものではない。

 
れから数年後、ある外科医に「名外科医」とは何かを問うてみた。「切るのがうまく、縫うのが上手なのが名外科医なのか」と。もしそうなら、手先の器用な中学生にほんの少し手ほどきすれば外科手術が可能ということになってしまう。その外科医は「幅広く深い知識を持ち、手術の前には基本を再度確認し、さらに予想される様々な事態を考慮に入れながら手術を進め、予想外の事態が出現してもあわてることなくその事態が出現した原因について的確に推測して、合理的で的確な対処が行えるのが名外科医である」と説明してくれた。この説明に筆者は深く深く納得したのである。



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