大学の統廃合と医専

 昔、医師になるための学校として、帝国大学医学部や旧制医科大学の他に医学専門学校というものがあった。略称「医専」という。戦時中に促成栽培の軍医を大量に養成するために国内外に多数の医専が設立された。これには、高等医専と普通の医専の2通りがあり、修業年限は高等医専が5年、医専が4年であった。また、単独の医専と大学に附属した医専の2種類が存在していた。
 医専には、旧制中学を卒業して入学する。それに対して、大学は、「旧制高等学校」を卒業しなければ入学できない。ここには天地、雲泥の差があった。旧制高等学校は誰しも知っているとおり当時のスパーエリートのみが入学を許される難関中の難関で、旧制高校さえ卒業していれば東京帝国大学の一部の学部や学科などを除いてどこにでも好きな大学、好きな学科に進学できたと言われている。要するに、現在のように有名大学が狭き門ではなくて「旧制高校」こそが狭き門となっていたのである。このような事情から、今でも旧制大学卒業の医師のなかには医専を「散髪屋の学校より少し程度が良いくらいの学校だった」とか、「医専卒業の医者は商売だけはうまい」等と酷評する人がいるくらいである。一方、医専卒業の医師はどういうかというと、例えば京都帝国大学医学部附属医専を卒業した医師は、「私は今の京大医学部を卒業した」という風に言う。これを聞くと、「では当時の京都帝大医学部卒業の人はいったい何と言えばよいのだろうか」と不思議になる。
 現在のいわゆる新制大学においても、「うちの大学の前身は、旧制何々医科大学であって、あそこの大学は昔は大学ではなく医専にすぎなかった。」等というものがいる。しかし、上述したように帝国大学医学部や医科大学には附属医専が併設されていたわけで、「それらの後身は一体どうなったのですか」と言いたくなってしまう。また、戦後の一時期、旧制高校を卒業して新設された大学の医学部に進学した人たちがいる。これらの人たちの中には、自分が医専の後身の学校を卒業したと言われると腹を立てる人がいる。曰く、「自分は国によって大学とされたところを卒業したのである。また、医専とは全く難度が違う。」とのことである。確かに、医師不足に対応するためと称して「一県一医大」のかけ声の下に新設された医学部や医科大学は「あそこは昔医専だった」などとは言われないわけで何となく気持ちが分かる。
 さて、今では医師は既に過剰状態であり、統廃合問題が現実味を帯びてきた。すると、「新設医大を廃止統合すべし」という意見と、「旧帝大は大学院大学にでもなればよい、医師は頭ではなくて心が大事なのだ」というふうに全く違った意見が出てくる。前者の意見は、難関大学出身者に多く、後者の意見は、医専出身の医師や難易度の低い私立医大出身の医師に多い。人間、立場が異なれば斯くも意見が異なる。要するに、
「人は真実を信じるのではない、信じたいことを信じるのである。」ということであろう。



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