『遠交近攻』−−−敵は近くにいる?
1.遠交近攻の策
『遠交近攻』とは中国の戦国時代に范雎(はんしょ)が唱えた戦略である。遠方の国と親しくして、近い国を攻め取る外交戦略で、「史記」によると、もと魏の臣であった范雎が秦王に、秦から遠い齊や楚とは同盟し、近い韓・魏・趙などを攻めよと説き、秦はこれを入れて6国を滅ぼしたという。では何故遠方の諸国は秦と同盟したのであろうか。「寧ろ鶏口と為るとも牛後と為る無かれ」、蘇秦の説く合従策によって秦と対抗してもよかった筈である。思うにこれは秦から遠い国々は秦に対する敵対心は薄くそれに比べてその間にある国々に対しては、境を接しているぶん日頃から足の引っ張り合いを演じていたので、より大きい敵愾心を抱いていたのであろう。さらに自分たちの国々に比べて遙かに巨大な秦に対して頭を下げるのは許せても自分たちと大差のない国々と手を繋ぐのはイヤだといった感情があったのではないか。遠くにいる本当の敵に対するより、隣人に対する憎しみの方こそ日常的だったのである。その感情を秦は巧みについてついには同盟諸国をも滅ぼし大中国を統一したのである。
2.隣人を愛せよ
さて時代も地域も異なるが、新約聖書のルカによる福音書にはイエスの「隣人を自分のように愛しなさい。」との教えが記されている。自分を愛するように他の人々を愛せとの意味であろうが、あくまで隣人を愛しなさいといっているのであって、他の人々を愛しなさいと言っているのではないことに注意したい。つまり日常生活においてほとんど無縁な人々を観念的に愛することはさほどに難しいことではないが、日々顔を見合わせている隣人に対しては憎しみや妬みの心を抱きやすく容易に愛せないから、イエスは特に愛することが難しい隣人を例に挙げて教えたのではないだろうか。
3.隣の芝生
「隣の芝生は青い」「隣の花は赤い」ということわざがある。「自分の持っている物より他人の持っている物のほうがずっと良いように見えてくる」という人間の気持ちを表現している。家を建て、隣家の庭を見てみると、自分の所の庭の芝生の色よりもきれいに見える。自分の持っている物に満足しないで、他の人が持っている物の方がもっと良いのではないかというふうに考える。すなわち不安と猜疑に基づいて生じる嫉妬である。
家を買ったり、旅行に行ったり、きれいな服を着たりする中で少しでも他人より良い物を手に入れたい。他人よりも良い生活をしたい。人よりも良く見られたい。この気持ち自体は別に悪いことではないのである。その気持ちを基に努力して自分の生活を豊かにしていくならまったく正しいことである。しかし世の中には努力が生まれつき大嫌いな人間がいて、ひどい連中になると、人のものを盗んだり詐取したりと言うことになり、そこまでいかなくても、妬みひがみの感情を肥大させて中傷、陰口、足引っ張りや嫌がらせなどを行う連中はそれこそ無限にいる。
4.手の届く足を引っ張る
以前、高名な演歌歌手がラジオのインタビュー番組で、「足を引っ張られるのは、あなたの足が手の届くところにあるからだ」と言われて、それなら手の届かないところまで自分を高めようと努力した。ということを話していたが、まさに多くの人間は人の足を引っ張る場合には必ず手の届くところにある足を引っ張る。無理をしてまで手の届かな位置にある足をひっぱろうとはしない。そこでターゲットにされるのが向こう三軒両隣、職場の同僚やら、学校の同級生である。攻撃の対象はいつも近くにいる人々でありかけ離れたものは対象にならない。敵は案外近くにいるのである。
「嫉妬心は自分とあまりにかけ離れているものに対しては生じません。嫉妬心から生じる正義は巨悪よりもむしろ小悪に向くからです。」 『好き嫌いで決めろ』河上和雄 講談社文庫 |