少年法を廃止せよ |
1.アメリカが示したグローバルスタンダードは「断固報復」
世界最強の覇権国家アメリカがテロ攻撃にあった。多くの罪なき人々が殺された。これに対し、アメリカ政府はテロ集団を撲滅すべく軍事報復に出た。これに対して世界には「暴力に対して暴力で報いてはならない」とか「報復はいけない」とか、立派なご意見を言われる方がおられる。
アメリカは断固報復戦争をやり抜いた。筆者はこれを支持する。何故か。「やられたらやり返す」ことを天賦の人権と考えるからである。アメリカは自由民主主義国家のリーダーでありチャンピオンであり、世界のグローバルスタンダードを決する国である。そのアメリカ合衆国が自由民主主義は「やられたらやり返す」ことを自然権・天賦人権であると考えるのだ、と言うことを世界中に知らせたのである。
現在のところ、世界を一つにまとめる地球国家は存在しない、恐らく将来に渡っても出現することはないであろう。だから、世界の国と国との紛争を解決したり、悪い国家を罰するような権力は存在しない。そこにあるのは弱肉強食の原則である。国際連合にはこの原則を改変する力など有りはしない。いわば世界は無政府状態なのである。国際法と呼ばれるものだって要するにヨーロッパの列強が自分たちの都合にあったように作ったものにすぎないし、強国の都合でどうにでも解釈され変遷してきた。このような無政府状態においては、報復が当然の権利なのだと言うことをアメリカは今までも示してきた、そして今回も示したのである。
さて、戦後の「文化人」様たちはこぞってマルクス神話の信奉者か理解者であった。左翼かぶれにならなければインテリではないといった風潮があり、一種のファッションのようになっていた。それこそが「進歩的」だといって、「進歩的文化人」の称号を左翼政党からもらって喜んでいた。進歩的文化人様は、ことある度に「アメリカでは」「フランスでは」と外国を礼賛したため「出羽(では)の守(かみ)」などと揶揄されていた。しかもどういう訳か「ソ連では」とか「中国では」というのは少なかった。このような左翼や文化人様は今回の米国の行動にたいし「暴力に対して暴力で報いてはならない」とか「報復はいけない」とかいうのもいささか矛盾しているように筆者には思える。
2.犯罪者天国日本
日本列島すべてに道徳の崩壊が起きている。ルール無き社会というものが出て来てしまった。政界、官界、大企業のトップクラスから庶民に至るまで道徳性が欠如している。最低限の道徳ともいうべき法律を守るという心すらなくなってきている。
日本人の心の腐敗は、安保騒動後から生じてきたと思う。アホウな社会主義幻想と手前勝手なエリート意識を持って、安保の時に大暴れしたり、付和雷同して騒ぎまくった連中が一旦闘争に敗れるや、今度は一転して、連中の人格の本質をむき出しに自分たちの生活だけを良くしようという「自己中心主義」を貫徹した。この「エゴ意識」こそ現代の道徳欠如社会を生み出したのである。
この道徳欠如社会を築き揚げた社会正義のなんたるかを知らない連中に後押しされた「進歩的文化人」様、日○系弁護士様達が、犯罪被害者やその親族の人権を全く等閑視し、遺族の絶望的な悲しみと怒り、無念を理解しようともせず、ただひたすら凶悪犯の人権のみを守り、人間として当然にある報復感情を無視することこそがよいのだとうそぶいているのである。この連中こそが「犯罪天国日本」の旗手である。彼等は、殺されてしまった者はもう戻らないからもはや考えなくて良いという。全く「人道」の対極にいる連中である。
3.刑罰の本質と日本の刑罰の軽さ
刑罰の本質についてはすでに行われた犯罪に対する応報であるとする応報刑主義と将来犯罪が行われないようにする予防手段であるとする目的刑主義の対立がある。さらに刑罰の目的として、一般予防主義と特別予防主義がある。前者は、刑罰を予告しまたは犯人に刑罰を加えることによって社会を威嚇し、一般人が犯罪を起こさないようにする目的である。後者は、犯人に刑罰を科することによって犯人を改善し、再び犯罪を起こさせないようにする目的である。
刑罰の基本に応報があるのは当然である。人間は自ら犯した罪に応じた代償を払わねばならない。刑罰は犯罪の重さや非難に比例するものでなければならない。日本の刑罰は世界有数に軽い。人一人殺して懲役7から8年が普通なのだ。アメリカでは人一人を殺せば「終身刑」か「死刑」少なくとも長期の拘禁刑である。イギリスの謀殺罪は終身刑のみ。フランスでも終身刑ないし長期の拘禁刑が普通である。欧米では刑事司法手続きに乗せる前に犯人を射殺することが当たり前のように行われている。日本で死刑判決が出るためには、信じられないほどの「残虐非道」な犯罪でなければならない。
寛刑で知られた裁判官が、自宅に窃盗に入られた後急に厳しくなったという実話がある。自らの欲望のためだけに人を惨殺した人間と、何の罪もなく惨殺された人間。人権がまるで前者のためだけにあるように聞こえるのはなぜだろうか。
4.国家と報復
国家成立以前の個人と個人の関係は現在の国と国の関係と同じであった。原始的な社会においては、人一人の殺害は部族全体を巻き込む際限のない報復劇に発展した。つまり弱肉強食の原則のもと、犯罪にあえば自力救済以外に道はなく、「目には目以上を」を自力で実行していた。そのうち国家が出来、様々な歯止めがかかるようになった。「目には目を、歯には歯を」は報復の内容方法を「制限した」ものである。国家がこのような自力救済を認めていては社会の秩序が保たれず国家そのものの存立も危うくなってしまうため、報復を禁止する代わりに国家権力が犯罪を罰するシステムができあがったのである。いまやほとんどの国で報復は禁止されている。国家は私人から報復感情を満足させる権限を奪った代わりに、それを満足させるに足るだけの刑罰を厳正に執行すべき責務を負ったのである。ここで注意しなければならないのは「報復」が悪であるのは国家成立にとって害があるという点であって犯罪者に報復することそのものが悪であるとは考えていないという点である。
被害者や遺族は、どれほど憤りを覚え苦しくても、その気持ちを加害者にぶつけることは許されず、ただじっと感情を押し殺して生き続けることを強制される。無事刑を終えた犯罪者が一市民として社会に復帰することが許されることと対比させれば、それはあまりにも均衡を失している。
国家が犯罪者に対して罰を与えてくれないなら自力で報復する「天賦人権」を取り戻さなければならなくなるであろう。
5.少年法は廃止すべきだ
日本の少年法は、1948年に公布された。日本国憲法と同様、GHQが、アメリカで当時できていたアメリカ用の少年法草案を日本に取り込んだ法律である。今や、どの国もこんなおめでたい法律を持ってはいない。米国では、はやくから、日本に適用した理想主義的な少年法の誤りに気付き、大幅に修正し、米国の少年法では、少年容疑者の特定につながる報道を禁じている連邦法は存在せず、州法でもマスコミが実名や顔写真を出すことを規制するきまりはない。1980年代以降は、小さな少年犯罪は犯人の個人情報がもれないが、重大犯罪の少年被疑者については、すべて実名や顔写真が公になっている。ちなみに、性犯罪者が刑務所から出てきたときには、近所にその旨知らせるという制度もある。イギリスでは、10歳の少年2人が幼児を誘拐して殺した事件があった。英国の新聞・TVは当然のように実名で報道され、犯人には無期懲役が言い渡された。
暗殺されたイスラム黒人指導者故マルコムXの妻のベティー・シャバズさん(61)がニューヨーク市郊外の自宅で大やけどを負い、その後死亡した事件では、放火容疑で逮捕された12歳の孫の顔写真やくわしい生い立ちまでもが報じられた。
日本では、犯罪者天国の仕掛け人の「進歩的文化人」様、日○系弁護士様達が少年法改正に反対している。筆者は、深読みにすぎると批判されようとも、「これらの反人道主義者達は、我が国を犯罪が横溢する地獄にすることによって社会不安を醸成し、人々の不安と絶望感を煽り、国家転覆という
『昔見た夢』を実現しようとしているのだ」、と主張するものである。
参考:『日本の司法文化』 佐々木知子 文春文庫