悪徳政治家 土建立国日本の自叙伝

「そりゃあんた、土建屋あっての政治家、政治家あっての土建屋やさかいね。」
ブルドーザーで金集め

1.日本は民主主義国家にあらず「官主国家」である
 日本では、民主主義はせいぜい憲法の中だけにある。現在、日本人の多くは官僚体制の腐敗に辟易しているが、民主主義社会では、国民が権力を持ち、国民の代表である政治家を通じて官僚は国民の奉仕者として働くのが本来である。しかし、日本の近代化は、官僚主導であって、ある時期は非常に効率も上げて来た。そしてこの日本の権力構造は、明治以来ほとんど変わっていない。すなわち、全ての権力は官僚にあり、国民の側になどは無い。そして政治家は公共事業などのブローカーにすぎないのである。政治家が官僚の下働きから脱却し民主政治のあるべき姿に戻す事が重要である。
 しかし、考えてみれば、官僚機構は一人や二人の政治家がコントロールできるようなやわな組織ではない。戦前の軍事官僚機構を大元帥陛下ですら制御できなかった。官僚機構というものは、いわば制御不能な組織である。中国歴代の王朝を亡ぼしたのは、腐敗した官僚機構である。官僚機構が誕生し増殖して一人歩きをはじめると、腐敗は不可避的に進行する。これは、個々の官僚の個人的な問題ではない。

2.日本人の精神構造
 どうも日本人というのは、昔から共同体意識は強いが個人の主体性が持てないようである。だから、お上やボスの命令には従順である。しかし、主体性が確立していないので、希望や勇気が持てない。それこそが「村社会」と呼ばれる日本社会の後進性である。
 一方、アメリカは移民の国であるため、様々な人々が生き残りをかけて競争するなかで発展してきた。常に新しいものが作られそこに様々な人々が集まってきた。そのため、分かりやすく公平なルールを保証し、公平な評価がなされるというシステムが確立している。つまり、才能と努力が正当に評価される。
 日本人は何か変えるのを厭がる民族のようである。失敗をした人間が責任を取らないでそのまま生き延び、既得権益者が温存され、公平な競争がなされない社会である。そして、こういう社会がいいという人がいっぱいいる。結果、時代の変化について行けなくなり、日本の繁栄は終わって現在では急降下しつつある。
 憲法を神棚に上げて護憲護憲と言っているだけで民主主義が実現できると思う人たちがいる。一方、保守的な人々は従前通りのお上崇拝である。明治以来百数十年の歴史を有する、天皇を最高位に頂く巨大な官僚ヒエラルヒーの中で、政治家が官僚に世話になって利権を貰うという構造をありがたがっている。

3.日本の政治と土建屋
 日本の殆どは狭い海岸から急に山間地区に入るという地形である。日本の選挙区で一番多い型がこのような中山間地区である。ここには大中小の「領主様」がいて、逆らったら村八分に遇う中世のような世界、いわゆる典型的な「村社会」がある。同じ人が何年も政治家をやるようになり、二代目三代目と世襲する。もう一つは準都市圏のような所である。ここは政策や政党ではなく、二派に人脈が分かれ、対立はあるが政治はない。人脈でどちらに付けば利益が上がるかが最大の関心事である。そして、最後に東京のような大都市の選挙区がある。ここにいたって初めて政党選挙ができる。このように生活スタイルが異なり、感覚にも時代差がある三つの違う人達が選挙をしているのである。
 何故に中山間地区が強いのかというと、都市部で稼いだ税金を地方の政治家がそこへ運び、公共事業を餌として住民を手なずけて行く、というシステムがあるからである。これでは何度選挙をやっても世間が変わるはずはない。
 公共事業と選挙の関連は、だれでも知っていることである。票を持ってくるのは地域の末端の土建屋である。自民党も野党も土建屋を選挙基盤にしている。地方行政で公共事業の入札の談合に協力すれば、たやすく選挙資金が捻出できる。入札を透明化すれば選挙資金の捻出は難しくなる。議員も土建屋も行政もどっぷりと利権の連鎖に浸っている。公共事業の配分見直しが叫ばれて久しいが一向に変わる気配はないのはこのためである。
 かつて土木工事は農閑期に偏っていた。農家の大きな収入源を握っているのが、地域の土建屋であるから雇用と票とが交換されることになる。平坦部の農村ならばまだしも山村にいけば、収入源のほとんどが「土木」ということになる。収入の100%が土木という村落も決して珍しくない。公共事業費はいわば生活保護費のようなものであるが、しかし、ただでカネをもらうのはプライドが許さない。生活保護費として直接、税金を渡せば、直ちに公共事業−国会議員−土建屋の悪しき連鎖を断ち切ることができるのに、もらう方がプライドを持ち出すものだからややこしくなる。そして、いつまでも土建屋と国会議員の思うがままの世界が続き、さらには、不必要な自然破壊にまでつながるのである。いまや公共事業は不必要なダムや砂防工事で自然を壊している。つまり、土木事業こそ、税金無駄遣いの親玉、談合屋の巣窟、そして自然破壊の元凶である。
 敗戦後の日本人は、スコップ一丁を引っさげて誰でもなれる土建屋になった。敗戦後の復興を支え「みんなを食えるように」した基幹産業こそ土木事業である。しかし、すでに国家そのものが財政的な破綻を来している。

4.衆愚国家日本
 大衆の不平不満を吸い上げるのが非常にうまい政治屋がいる。残念ながら国民の政治意識には非常にミーハー的な要素が多い。そこで、本質的で構造的な部分ではなく目立つとこだけ、受けるとこだけつまみ食いして大衆の感情に訴える。さらには、わざとらしくトンチンカンなナショナリズムを持ち出して煽る。要するに大衆迎合の衆愚政治屋がわんさかいる。このような政治屋連中に支配され続けている日本に将来の希望は果たしてあるのであろうか。



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