東大正門 「東大閥」より怖い「○○大学閥」 赤門

 官僚様はもとより、某特定政党のお偉いさん階層、新興宗教の幹部にもいわゆる「東大閥」が幅を利かせているらしい。それに対して、色々批判やねたみがあるのもまた事実らしい。確かに東大閥の先生方は、頭もいいが頭も高い、エリート意識が鼻につく、人を見下したような態度をとるなどのいやな連中が多い気がしないでもない。しかし、それでは「東大」の代わりに「○○大」の出身者や「高校卒業」の人たちが、同じようにグループを結成して国や、地方公共団体、宗教団体、企業などの主導権を握ったときのことを想像してみよう。はたして、ほんとうに現状よりもよくなるであろうか。これは結構、疑問である。
 人間、頭の善し悪しもあれば、運動神経がどうの音楽的才能がどうのと個性を言い出せばきりがないくらい多様である。人の良いヤツ、悪いヤツ、朗らかで優しいヤツから陰険で冷たいヤツまで性格も多種多様である。しかし、どんな人間にも共通することは、食欲、性欲、物欲などの「欲」の感情である。これは頭が良かろうが悪かろうが皆「平等」である。また頭のいいヤツに悪いヤツが多いと言う証拠もなければその逆もない。もちろん知能の高低によって犯罪の種類が変わってくるといった現象はあるようである。
 どんな人間であろうと「欲」は同じであるから、「権力は腐敗する」との箴言通り「○○大閥」の人たちも結局のところ権力をカサに「ふんぞり返り」「人を見下し」「利権に群がる」だろう。一般に知的レベルが低いと「欲」を抑制する力が弱い。いきおい横暴な振る舞いは加速し腐敗もまた加速する。しかも、一般に仕事の内容、効率は知力が優れているほど向上するから、「東大閥」が「○○大閥」に変わっても、腐敗は今以上、仕事は今以下ということになる。また、自分より能力が高い者に対するねたみや足下をすくわれまいとの注意などから組織の発展向上も望めなくなり、下に仕える者にとっては「良い迷惑」になるのが落ちであろう。



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