ちょっと待ったその議論

 先日、社会を批判するものは「消極的」で「後ろ向き」な「ネガティブ野郎」である、とのご意見を聞いた。いかにももっともらしい「ご立派な」ご高説である。
 しかし筆者は、「社会の現状に何も問題を感じない人や、問題を感じても何も発言せずひたすら我慢したり我が道を行く人」が果たして積極的だと言えますか、と問いたい。
 このような議論は、自分が非行や犯罪を犯しておいて、それを社会のせいであるといい、自分の責任を棚上げにして社会を批判する低劣な人間の言い訳と、社会をよりよくするための第一段階であり前提である、不正や矛盾に対する問題提起や批判を同一視する「味噌も糞も一緒」の議論といわざるを得ない。
 さて、人に対して理不尽な言いがかりをつけたり、無礼な態度をとっておきながら、それに対する反撃をうけると自分の無茶や非礼を棚に上げてあべこべに「なんという事を言うのか」とか、「礼儀を知らないやつだ」とか言うやつがおる。ひどいのになると、さんざん人に嫌がらせをして、相手の声が少し大きくなったりすると「脅迫だ」とか「暴力的だ」の急に被害者面をするやつも居たりする。
 横で見ているやつにもアホが居て、とってつけたような丁寧な言葉づかいで道理の通らぬ要求や、根拠のない「因縁」をつけるやつを「丁寧な言葉遣いをするいい人」と思い、それに対して抵抗、抗議する人を「下品な悪い人」と判断したりする場合が多かったりする。このような判断力のない大衆を世間に充満させるために洋の東西を問わず行われてきたのが「愚民政策」である。



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