悪貨は良貨を駆逐する

 十数年前に筆者は、岡山県下のとある病院に勤務していた。勤めだしてまず驚いたのはそこが非常に高齢化した病院であったことである。「高齢化」と言っても入院患者さん達に高齢者が多いことではない。そんなことは他の病院だって同じことで、今更言うことでも驚くことでもない。筆者が驚いたのは、従業員の平均年齢の驚くべき高さである。特に看護婦さん達を中心とする女子職員の年齢の高さにはびっくりした。当時の院長が40歳代後半の方だったが、職員の平均年齢は50才を優に超えており、看護婦の平均年齢は50の後半であった。筆者が思わず吹き出したのは、患者移送用のストレッチャーと呼ばれるベッドに乗せられていた患者さんが、それを移動させている人達よりもはるかに若年である場面に出くわしたときだった。もちろんストレッチャーを移動させている年老いた看護婦さん達は真剣そのもので笑ったりしては失礼であるのだが、未熟な筆者は思わず吹き出した次第である。
 筆者も20代の半ばの青春真っ盛りで元来話好きでもあったが、さすがにそこでは、お話しする相手もほとんどいなかった。僅かに事務のお兄ちゃんや、理学療法担当の若い衆と一緒にドライブに行った程度である。
 ある時同じ病院に勤務する外科医の先生達と飲みに行った。その際筆者が、「何でうちの病院は年輩の従業員しか雇わないのですか」と聞いた。すると、「新たに若い従業員を雇っても、すぐに辞めていくのだ」という。訳を尋ねると「いじめがあるからだ」との由。若い人はよく働くし、患者からも他の従業員からも評判がよい。そこで、収まらないのが従来からいる大先輩やら、お局様達やらである。何せ年のせいで若い人のように動けない。患者やドクター連中の扱いにも狎れているというかスレているので、要領はよいが愛想は悪い。とにかく、皆低レベルなところで機嫌良く「カンフタブル」に一日を過ごしてきた先輩諸姉達は、能力の高い「新入り」が目障りである。彼女たちは集まって謀議を凝らすわけではないものの、そこは長年のつきあいで以心伝心、何も言わなくても一致団結して、人気の「若造」ならぬ「若姉ちゃん」をいびり倒すという寸法である。さすがにこう集団で組織的にいびられては、少々気の強いお姉さんでも「ノイローゼ気味」になり、ついには退職といったおきまりコースをたどるのである。
 筆者はこの経験から組織の活力を維持することの重要性と難しさを学んだ。組織や集団は一度その構成メンバーの平均的能力が落ちてしまうと、能力の高いメンバーを加えても、能力の低い集団にとけ込んで保身を図るか、出ていってしまうかになり、結局のところ組織の水準向上は達成できない。この事は特に組織の上層部の構成において重要だと思う。筆者が、瀬戸内海に浮かぶ造船の島にいるとき、その東証一部上場の造船会社が傾いた原因について聞いたことがある。もちろん造船不況は他の重厚長大型産業と同様に構造的なものであるのだが、会社の上層部に某旧制専門学校卒の閥が出来てしまったために、旧帝大卒など能力の高いものが中枢から遠ざけられ、結果アホ社長が自分の出身地に自己の名を売るためだけに無謀な新工場を建設したことが最終的な引き金を引いたとのこと。いやはやどこの世界にも似たような話があるものである。



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