偏向裁判官 裁判官はやっぱり中立などではなかった

 日まで世界を騒がせていたアメリカ大統領選挙がようやく決着した。この騒ぎの中で最も重要な鍵を握り、そのため一番注目を集めたのがアメリカの裁判所であった。そして、筆者には、裁判官がその党派色を鮮明にし、意見がはっきりと二分されたことがもっとも印象に残った。
 
メリカ合衆国は、自他共に認める自由世界の盟主であり、民主主義がもっとも発展した国家である。くっきりとした三権分立の制度を持ち司法権の独立性も高い。そして司法の政治的中立性も高いと信じられていたと思う。しかし、その合衆国において、大統領選挙という政治的に最も重要な局面における究極の判断に際して、ついに、裁判官達にも実は政治的・思想的・党派的な色分けが存在することが露わになったのである。
 
わゆる発展途上国や○○主義国家などでは、裁判官など所詮、独裁的権力者の走狗としての役割しか持っていないことはいわば常識であった。政権が変わった途端に死刑囚から英雄になったり、そのあべこべであったりするのは日常茶飯である。また東南アジアの某国なででは裁判官の買収など当然のことである。しかし、今度ばかりは驚いてしまった。あのアメリカ合衆国においてさえ、裁判官は政治的に中立などではないことが判ったからである。
 
て、では我が国の裁判官様達はどうなのであろうか。以前、右翼民族系の出版社の本で全国の裁判官の政治的色分けを見たことがある。そこにははっきりと○○党系の裁判官である旨の表示があった。おそらく党籍のない隠れ党員であろうと推測される。また、相当以前になるが、最高裁長官が、左翼系法曹団体のメンバーが裁判官になるのは好ましくない旨発言して物議を醸したことがある。要するに裁判官にはそのような連中が一杯いると言うことである。もちろん、出世欲だけの体制べったりのお方も大勢いらっしゃるわけで、どちらにしても、一般大衆の持つ「神にも等しい人格の持ち主」という裁判官のイメージにはほど遠い現状であろうと思われる。何はともあれ、裁判などとは、生涯無縁に過ごしたいとただただ祈るばかりの筆者である。



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