歴史学と歴史教育の目的(その2)

 信じたくない歴史上の事実を否定するのは何もわが国に限ったことではない。漢民族が西方から渡来したとする説がある。ドイツのキルチェルが古代文字の比較からエジプト説を出したのをきっかけとしてバビロニア説・スメル説・トルコ説・インド説などが出され、さらに実証的な考古学的発掘調査によって1904年にアメリカの考古学者パンペリーとウイリアムスが西来説を主張した。さらに、河南省の仰韶遺跡をはじめ甘粛省や青海省でも彩陶を発見したスウェーデンの考古学者アンダーソンが漢族の西来説を提唱した。それに対して中国の考古学者や歴史学者は猛烈に反駁し、ついにアンダーソンは自説を取り下げた。しかしながら、体型や、埋葬法さらには文法、発語法などから黄河中流域の民族が西方の民族の影響を強く受けた可能性は十分に存在するのである。(鳥越憲三郎『古代中国と倭族―黄河・長江文明を検証する』中公新書1517)
 インドにおいても、「ヒンズー至上主義」に立つ人々はアーリア人のインド侵入を西洋の学者の偏見であると断じている。彼らの主張によればインド人をアーリア人とドラビダ人という対立の構図の中で分裂させ、ヒンドゥー文化をおとしめ、さらにはヒンドゥー教徒の数を減らすために西洋の学者達が「アーリアの侵略という神話」を押しつけたというのである。西洋の学者がアーリア人の侵略の根拠としているベーダ教典の記述は単なる自然現象などを謳ったものにすぎないと言う。更に、インダス文化の担い手はアーリア人であると主張し、アーリア人の侵略の考古学的な証拠はないと主張している。
 これらの論争や主張を視ると、なんとなく日本における古代史論争の精神的背景の構図に大変似ていると筆者には思える。



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