中国のウラ文化(その一)
中国4,000年の歴史と文化の偉大さは、今更論ずるまでもない。「そんなことはない」と思いたい人がいくら居ようとも、日本文化などは所詮様々な時代における中国文化の亜流の集合体にしかすぎない。しかし、中国文化にだってオモテもあればウラもある。オモテ文化の一つ中華料理は世界三大料理の一つ。さまざまな食材を利用し、なんでもおいしく料理してしまう。その食材の一つが人肉だと聞いたときには、筆者もびっくり仰天しまくったことは申し上げるまでもない。例えば、春秋戦国時代、宋の都が楚の大軍に包囲されたとき、城内で飢餓に苦しんだ人々が、お互いに子供を取り替えて食べたという。しかしこんなのは日本の飢饉の時にだってあったと言われている。ところが、「春秋左氏伝」「菅子」に、春秋戦国時代、斉の桓公の調理人が「赤ん坊の蒸したのはまだ食べたことのない」といった桓公のために自分の子供を蒸して薦めたという。ほんまかいな。なんだか眉唾な話ではある。さらに、水滸伝には人肉饅頭が出てくる。しかし所詮物語でしょ。
さて、古代から人肉を食べる習慣は世界各地にある。生前の人を忍ぶ為、相手の力を取り入れる為など。この他に憎い相手を食する民族もあり、漢民族がそうだった。春秋戦国時代、「捕虜をスープにするぞ」と言って敵将に進軍を思いとどまらせようとした話が多い。孔子の弟子の一人も敵に殺され食べられた。漢の高祖も、裏切った将軍のツクダ煮を諸将に配っている。近代でも、魯迅の身近な人物が食材にされたという事実がある。魯迅の同郷で光復会の一員、徐錫麟の蜂起が露見し、徐錫麟は処刑され、その心臓はいためられて食べられたという。「狂人日記」や「薬」という作品の背景にはこの様なすさまじい背景があった。さらに、ずいぶん前に某新聞で読んだ話であるが、文化大革命の時にも「反動右派分子」「裏切り者」「敵の回し者」「修正主義者」とかの「犯罪者」が食われたという。それどころか、中国には元来、人を食う文化があり市場には他の獣肉と一緒に人肉も公然売られていたという。なんだか、怖い気分になったのを覚えている。もう一つおまけに言うと、アジア地域で「首刈り」の習慣を持つ民族の分布を視ると何故か中国の周辺で中国人との接点のある地域であるという。台北で薬として猿の脳みそを売っていたが、猿よりも人間の脳みそが効くと言うことなのか。