「大乗非仏説」論と日蓮
お盆
お盆にちなんで仏教について書いてみたい。「盂蘭盆会」を略してお盆という。盂蘭盆はサンスクリット語のウッランバナの音写ともアヴァランバナの転訛とも言われ、逆さ吊りになったような苦しみのことだという。盂蘭盆会の拠り所となる経典は、「盂蘭盆経」とされている。この経典によれば、舎利弗と並んで釈尊の弟子の双璧をなす目連が餓鬼道に落ちた亡き母の苦しみを救う手段を釈尊に尋ねた。目連が釈尊から教えられたとおりに、7月15日に過去7世の亡父母等祖先のために仏僧を供養するこしたところ、亡母は餓鬼道から逃れ成仏した、と説かれている。しかし、この経は中国で出来た「偽経」らしい。
盂蘭盆の語源については、インドの農耕儀礼が仏教と結びついた習俗であるという説やイラン語のウルヴァン(霊魂)の音写が「盂蘭盆」で、イラン民族による死者の霊魂を祀る行事が収穫祭と結びつき、西域経由で中国に伝わったという説などがある。多分こちらの方が本当ではないかと思うが、ともかく、我が国においては仏教以前からの先祖崇拝が盂蘭盆会の中核を成すと考えられる。なにはともあれ、お盆は、お坊様達の稼ぎ時ではある。
大乗仏教
日本で行われている仏教のほとんど全ては「大乗仏教」である。大乗とは「大きな乗り物(マハーヤーナ)」という意味で、大乗経典として最初に出現するのは「般若経」である。当然この経の成立以前には、すでに「大乗仏教運動」が行われていた。大乗運動を推進した菩薩たちは、利他を中心にし、多くの人々を救う勝れた教えであるとの自覚に立ち、伝統的な部派仏教の出家者が自己の成仏を求めて自利の立場に終始したのを捉えて「小さな乗り物(ヒーナヤーナ)」と貶称した。大乗経典には、保守的・伝統的仏教を非難し軽蔑した言葉がそこらじゅうに出てくる。
釈尊滅約後500年のころ、すなわち西暦元年ごろ、インドにおいて大乗運動が興隆し始めた。紀元前180年にマウリア朝が崩壊し、その後バラモン教が国教となったりして、仏教は長い間苦しい状態におかれた。さらに、仏教内部は種々の派に分かれて(部派仏教)抗争を繰り広げていた。また世俗から離れて煩瑣な教理についての学究を行うのみで、悩める民衆に手をさしのべることをしなかった。大乗仏教運動家たちは、民衆の中に飛び込み、教化していくことで釈尊の精神を取り戻そうとした。この姿勢を「菩薩(Bodhisattva)」と言うのである。
このような時期に、大乗仏典の多くが成立したらしい。このことから、大乗仏典は釈尊の教えではないという批判(大乗非仏説論)がある。もちろん、日本の仏教徒は、仏教伝来以来明治に至るまで一貫して大乗経典が仏説であることを信じて疑わなかった。
大乗非仏説論
ヒンドゥー教から見れば、釈尊も神の一化身にすぎない。このような思想風土の中では、釈尊以外の仏陀が過去にいた、あるいは現在もいるという考えは容易に出現し得る。過去七仏が信仰されるようになり、ついで、十方世界一仏多仏論(三千大千世界がいくつもあり、それぞれに仏陀がいる)との説が登場し、東方の阿シュク仏、西方極楽の阿弥陀仏などの信仰がうみ出される。さらに進んで、歴史上のブッタは、真理そのものである法身仏が人間の姿で現れてきたものに過ぎないとの立場から、法身仏である毘廬遮那(大日)を建てる。これに対して上座部(小乗)の人々は、大乗経は「非仏説」であると攻撃した。
歴史学的立場からの「大乗非仏説」
大乗教典を読むと、象徴的表現、詩的表現なのであろうが、SFまがいの荒唐無稽なことが説かれている。大乗教典の代表格である法華経には、釈尊の眉間から光が出て東方の世界を照らし出したとか、大地から多宝塔が涌き出て、空中にとどまったとか、大地が裂けてガンジス河の砂の数以上の菩薩が出現したとかの記述がある。実証主義的考古学や文献学にもとづく合理主義的歴史学によれば、大乗経典はもちろん「非仏説」である。江戸時代に富永仲基は『出定後語』で、釈尊自身の教説は阿含の数章だけで他は後の教説を「加上」(=付加)したものであるとし、仏典の矛盾を指摘した。
大乗仏教側からの反論
大乗非仏説論に対して、大乗経を奉じる仏教学者たちは以下のように反論した。もし「仏説」を「釈尊の直筆」というのであれば、大乗経典に限らず、最も古いとされている阿含経などの原始経典にしても、釈尊滅後200年頃までに逐次成立したと推定されており、これらの経典もまたすべて非仏説であることになる。なぜなら、すべての仏教経典は、釈尊滅後において仏教徒により編纂されたものであるとからである。また双方ともに、編纂者による修飾が加えられている点においても同じである。
すべての経典は、編纂者が釈尊の悟りを追体験し悟りの精神を言葉を媒介として表現したものであるから、すべてが仏説といえるのである。経は「釈尊が説いたことそのままを文章にしたもの」であるから、底に流れる教えの真理を読みとる必要がある。釈尊が発見した普遍的真理とその実践を実現していくのが仏教徒に課せられた使命であり、大乗経典は、釈尊の説かれた真理と実践を実現している真の「仏説」なのである。
法華経
鳩摩羅什の漢訳が有名な妙法蓮華経(法華経)は、全部で二七(羅什訳は二八)品あり、紀元前後に徐々に完成した。インドにおいて、この経典を伝持していた教団は、その記述内容から見て、仏塔信仰を重視し、他の教団と厳しい対立関係にあり、経巻を信仰の対象とした点が特徴であるらしい。
法華経には、他の経典に登場する多くの仏や神が登場し、様々に法華経の素晴らしさを礼賛する。しかしどういうわけか最後まで、法華経の教えの中身が具体的に説かれることなく終ってしまう。極言すれば、法華経に説かれていることは「法華経のすばらしさ」だけなのである。これに関しては、教えの中身は他に説かれた様々な経典であり、それらが法華経のもとでひとつとなる様を描くことによって、当時の、仏教諸派の融和と統合を目指して作成されたからではないかとも考えられる。
インドでは、経典とそれを伝持する教団とが対応していた。中国では、いずれも仏説と主張する経典の内容があまりに違っており、時には矛盾することから混乱が生じた。そこで、どの経典が大事か判定する教相判釈が行なわれた。天台宗の開祖・天台大師智ギは経典を成立時期別に五つに整理した(五時教判)。智ギは、華厳経→阿含経→維摩経、勝鬘経→般若経→法華経、涅槃経の順に釈尊が説法したと考え、法華経を最上位に位置づけたのである。
日蓮と法華経
数ある大乗経典の中で、天台大師が釈尊の本意を最も高いレベルで伝えているとしたのは法華経である。そして、「法華経の行者」と自らを呼んだ日蓮こそ日本における法華経至上主義者の最高峰であることに異を唱えるものは少ないと思われる。
妙法蓮華経 安楽行品 第十四には、
「菩薩摩訶薩、国王・王子・大臣・官長に親近せざれ。諸の外道・梵志・尼ケン子等、及び世俗の文筆・讃詠の外書を造る、及び路伽耶陀・逆路伽耶陀の者に親近せざれ。亦諸の有ゆる凶戯の相扠相撲、及び那羅等の種々変現の戯に親近せざれ。又旃陀羅、及び猪羊鶏狗を畜ひ畋猟漁捕する諸の悪律儀に親近せざれ。」
訳:「菩薩は、国王や大臣など地位や勢力のある人に近づいてはならない。外道の法を説くものや、つまらない文筆をもてあそぶ者や、長いものに巻かれる主義の人、逆に何でも反対主義の人などに親しんではいけない。つまらない勝負ごとや、魔術などに魂を奪われてはいけない。旃陀羅や牧畜業の者や狩猟者などに近づいてはならない。」
近づいてはならない極悪人として、インドにおいて三千年の間虐げられ続けているアウトカースト「旃陀羅」が例示されている。ところが、法華経の行者日蓮は、自ら書簡のなかにおいて「日蓮は、日本国東夷東條安房国海辺の栴陀羅が子なり。いたづらにくちん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石に金をかふるにあらずや。各々なげかせ給べからず。」訳:「日蓮は、日本国の東の片田舎なる安房の国東條の郷の海辺のせんだらが子である。空しく朽ち果てるべきこの身を、法華経のために捨てることは、石を黄金に替えるように貴く、身に余る仕合せというしかない。どうぞ、お嘆きにならないでほしい。」と言っているのである。
日本では、僧侶の世界でも貴族の子弟が重んじられるなど、世俗の序列が大きく反映されていた。既成の秩序に立ち向かった日蓮ではあるが、なぜあえて自らをインド社会の最下層の人びとである「栴陀羅」の子、といったのであろうか。
よく知られているように釈尊は、「我」(常住不変・永遠不滅の実体)を否定した。我がなければ輪廻も当然存在しようがない。輪廻こそはカースト制を合理化するイデオロギーである。こうして釈尊は、教団内部においての「四姓平等」(四姓:バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシヤ・シュードラ)を表明したのである。 インドにおいて法華経を伝え奉じていた教団も、やはりヒンズー社会の常識の中にあった。前世の悪業の報いのために不浄な仕事を押しつけられ、虐待されている旃陀羅こそ悪人の代表であったのである。しかし、日蓮は、法華経を編んだ者よりも正しく釈尊の真意を理解していたのである。
揚げ足取り国学者と教祖の真意を理解せぬ信者
日本に伝わった仏教のほとんどは、密教を中心としたヒンズー教化した仏教である。日蓮が「栴陀羅の子」と自称したのは、当時の仏教の常識から見て革命的なことで、日蓮の仏教理解の本質であると筆者は考える。しかし、これが後になって困った事態を引き起こすことになる。江戸時代の国学者平田篤胤は、実は密教の影響を受けて成立した神道の浄不浄観に基づいて、日蓮とその宗派に対する攻撃に使ったのである。
「伝教、弘法、法然、親鸞なども、日蓮がやうには、我慢の悪口雑言を云はず、また彼がやうに、高ぶりもせなんだが、彼宗旨ばかりが、どうして斯のやうに、けしからぬ我慢の、穢はしきことをするぞ、また日蓮は、なぜにあのやうな、我慢の悪を云て、高ぶつたものぢやと、年ごろ考たることだが、是は斯やう有べき謂がある。日蓮贔屓の人々、必ず腹を立つまいぞ。其訣と云は、日蓮は元来、はなはだ以て、穢はしき者の胤ぢやに依て、其世の人が用ひなんだ故に、其憤る心より、我慢の悪口も発し、また高ぶりも致したことと見えるでござる。」
これに対して日蓮を奉じる側から、栴陀羅の子というのは「漁師の出身」ということで賤民などではないとか、「本当は聖武天皇の血を引いたお方だ」とかの見当はずれな反撃がおこなわれた。
誹る側も反論する側も、どっちもどっちの低レベルな論争である。日蓮が生きていたなら、さぞかし怒り且つ驚いたことであろう。