男の祖先・女の祖先 DNAで日本人のルーツを探る

父から息子へ、母から子へ
 日本人のルーツについては明治以来様々な論議が行われてきた。しかし、残念なことに純粋に科学的な議論が行われてきたとは言い難い。政治的・イデオロギー的に「こうあってほしい」あるいは「こうあってはほしくない」という感情に理性が押し流され「信じたいことを信じる」
科学とは無縁の「学説」が公然と大手を振ってなされてきた。しかし、最近になって生物の設計図であるDNA(デオキシリボ核酸deoxyribonucleic acid)によって日本人のルーツを探ることができるようになった。
 DNAは細胞の核および細胞内の小器官であるミトコンドリアの中に存在する。DNAは遺伝暗号を書き記した文字である4種類の塩基(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン)が延々と並ぶ長大な分子で、A-T、G-Cが対になる形で2本のDNAが螺旋状になって存在している。核のDNAは細胞が分裂するときに小さく折り畳まれいくつかの固まりとなって分かれる。これを染色体という。この中に性染色体と呼ばれるものが一対ある。男性の場合だとXY、女性の場合はXXという組み合わせになる。したがって
Y染色体を形成するDNAは父から息子へと遺伝していく。これに対してミトコンドリアのDNAは母親から子(男女両方)へと受け継がれていくのである。

「縄文男」と「弥生男」
 男性には「縄文系」と「弥生系」があるという。Y染色体は、睾丸や精子の形成にかかわっている。Y染色体に書き込まれた文字数は6000万個に上る。他の染色体に比べて、Y染色体の多型は極端に少なく、およそ200カ所見つかっているが、Y染色体のDNAのある特定の場所に挿入された、およそ300の塩基からなる
『YAP』(ヤップ)という部分がある。中堀豊・徳島大医学部教授らの研究グループによれば、Y染色体のYAP多型は東アジアでは日本人にしか見られず、昔から日本にいた人たち特有のものと考えられている。日本人で数パーセント見いだされ、それもアイヌ人、沖縄人で頻度が高い。宝来聡教授の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられるという。
 ところが、韓国をふくめユーラシアでも、この突然変異の遺伝子はほとんど見つからず、
日本以外で唯一見つかるのはチベットだけであるという。世界的に見てもそのほかには黒人にしかみられない変わった遺伝子型である。このことから、ヤップがあるのが縄文系男性、ないのが弥生系男性と判断できる。
 東アジア人で4タイプに分かれ、日本人男性も「タイプ1」から「タイプ4」まで4つに分けられる。中堀教授らの研究グループは、1999年にY染色体にあって胎児期に睾丸を作るよう命令する「SRY遺伝子」の465番目の塩基が、人によってC(シトシン)かT(チミン)かの違いがある「多型」であることを発見した。中堀教授は<1>ヤップの有無<2>SRY遺伝子の465番目の塩基がCかTか<3>DXYS5Yの塩基の違いという、Y染色体中の3つのDNAの型をもとに、日本人の男性を縄文系と、タイプの異なる3つの弥生系の4つに分類した。
 YAP+タイプ2の集団は、都市部では北から南まで均等に分布し、金沢、福岡、大阪、札幌のいずれで調べても、人口の約25%程度を占める。しかし本州や四国の山間部では5割を占めていた。弥生人に追われた縄文人という通説にほぼ合致する結果である。
 日本の男性は1万年以上前から日本列島に住んでいた縄文人、縄文時代後期に大陸や朝鮮半島から移住してきた弥生人にルーツを持っているのである。ついでながら、中堀教授らのグループの研究によれば、縄文人の系統とされる「タイプ2」の男性の精子数は、弥生人系より2割以上も少なく、2〜4倍も無精子症になりやすいという。

母親の系譜
 
宝来聡博士などの研究グループは、いままで、外見の特徴から白人に由来すると考える研究者さえいたアイヌの人々のルーツを探るため、1960年代に採血された血液からミトコンドリアDNAを分析し、さらに、縄文の人骨5体のミトコンドリアDNAを分析して、アイヌのルーツが縄文人であることを突き止めた
 さらに、東アジアの5つの集団のミトコンドリアDNAを分析し、日本人の成り立ちを調べた。それによると、本州では、日本人固有のタイプは4・8%、それに対して韓国人や中国人と共通の配列を持つ人がおよそ50%に達し、
アイヌや沖縄と共通のタイプを持つ人が4分の1であった現代の日本人が北アジア人、特に韓国人に最も近い遺伝的類似性を持っていることを確認した。このことは、弥生時代以降に大陸や半島から日本へ遺伝子の拡散が生じたとする従来の説と一致する。さらに、宝来博士らは太平洋を隔てたアンデスの先住民が、日本のアイヌや沖縄の人々と非常に近いことを示したのである。つまり、1万2千年前に日本列島に移動し、縄文の文化を築いた集団がいた。それから1万年後、別の集団が再び日本列島に渡ってきて弥生文化を築いたのである。
 最近の研究では、縄文集団も決してひとつではないことが分かってきた。沖縄と、アイヌの人々のDNAを較べると、少なくともひと文字は違うのである。これはそれぞれの祖先が、日本列島に渡ってきた当時からすでに別の集団だったことを示しているという。

外国の場合
 今日のヨーロッパ人をミトコンドリア遺伝子で見ると、20%がアナトリア(現トルコ共和国のアジア部分)の農民由来で、Y染色体遺伝子でみると、22%が同様にアナトリアの農民由来だという。残りの約80%は4万年前から1万年前にかけてヨーロッパに進出した狩猟採取民の遺伝子だという。アナトリアの農耕民が先住の民族を征服した結果、ヨーロッパにインド・ヨーロッパ語と農耕が伝わったのである。

征服なくして文化伝播なし
 文化の交替は、基本的には新しい住民の進出により生じるのであり、それがないところで文化だけが伝播するということは、基本的にはないと思う。弥生人の進出により、縄文世界の崩壊が起こったのである。
征服なしでの文化伝播の例としてよくあげられる明治維新にしても、かろうじて「征服」から逃れたものの、「征服」を免れるための方途として西洋文明を受け入れているのである。圧倒的な武力の前に屈している点では征服されたのと同じである。

 「『征服』に近い事態があった、と感じていますが、政治的、あるいは差別の問題につながってしまうからみんな言及したがらないのです。形質的にみると、今の日本について、こう言えるかもしれません。二千数百年前から1500年ほど前に渡ってきた人たちの子孫は威張っているが、それより前とか、後に渡ってきた人たちの子孫は虐げられている。歴史の皮肉ですよね。」 (日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは縄文系?それとも弥生系? 隈元 浩彦 新潮OH文庫)



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