常識の嘘、高床式「倉庫」

1.高床式建築は全て倉庫なのか

 弥生時代に出現する高床の建物は、すべて米を貯蔵する「倉庫」と教えられてきた。誰がこのような「定説」を常識として流したのか知らないが、
稲作民族は、人間様よりお米様の方が大事と考えるとでも言うのであろうか、住居の方は縄文以来の竪穴だと説明し、床の高い建物は全て倉庫と見る思想が主流を占めてきた。
 
稲作には一般に低平地が適している。従って水田の側に住まう人々は湿気を避けられる高床式住居に住むというのが稲作文化の伝わった地方に共通の住文化である。ところがひとり日本のみが相変わらず穴住まいであったという。弥生の人々は洪水の時には真っ先にながされ死んでしまうような竪穴住居にこだわって水田稲作を行っていたのだろうか。それもお米様だけは水に濡れないように高床式建物の中に貯蔵しているのにである。母屋よりも納屋や倉の方が豪華である様な農家を筆者は今まで見たことがない。ほんとうに古代日本人は人間よりも米を大事にする主客転倒した考えをもっていたのか。もしそうであれば、筆者にとっては全く驚きとしか言いようがない。

2.貴族住宅と庶民住宅という考え方
 竪穴住居があらわれるのは、今からおよそ7000年くらい前の縄文時代早期の終わり頃である。一方、高床住居は、弥生時代、稲作技術と共に日本に入ってき。もともとは作った米を貯えておく穀倉であったが、古墳時代に入って、豪族の住居としても用いられるようになった。
高床住居は竪穴住居と比べ、開放的で夏向きにできている。
 生活形態や経済力の違いを主な理由として、貴族は高床住居に住み、庶民は竪穴式住居に住んでいたという考え方がある。庶民にとって住宅は、夜、寝に帰るためだけのもので昼間は大して用がなく、単に寝るためだけの住居なら、閉鎖的である方が都合が良かった。さらに閉鎖的な構造の方が、安上がりで造りやすかったという。それに対して貴族は昼間も家の中でゴロゴロしていられたし、開放的な構造にするには建具が必要であったりするため金がかかったのだという。平安時代の貴族の寝殿造りも、高床式住居である。

3.何故か存在しない竪穴住居の埴輪
 銅鐸や鏡に描かれている建物は高床式である。埴輪も竪穴住居を模したものなど聞いたことはなく、全て高床の建物である。第一、本当に竪穴住居は安上がりで高床住居は高くつくのか。そうであれば何故、日本以外の稲作民族は竪穴に住まずに高床に住んでいるのか。しかも稲作には雨期と夏の暑さが不可欠であるのだから。
少々金がかかろうが手間がかかろうが、開放的で湿気の来ない高床の方がいいのではないのか。梅雨の大雨でながされて何回も竪穴を掘るより、高床住居を建てた方が経済的ではないのか。

伝讃岐国出土銅鐸の表面に描かれた高床建築 奈良県宝塚古墳出土銅鐸表面の高床式建築


4.東アジアにおける二つの住文化
 
東アジア及び東南アジアには太古から二系統の住文化があった。それは長江流域にその起源を有すると言われる稲作民の創案した「高床式住居」と、黄河流域に起こった、粟を中心とし黍やコーリャンを主食とする畑作民が選択した「土間式住居」である。

5.倭族論
 弥生文化の特質を稲作と高床式建物であると説くのが
鳥越 憲三郎の「倭族論」である。すなわち長江流域に源を発する稲作民族は水田稲作と高床住居の文化を携えて各地に拡がったというのである。倭族には他にも共通する文化的特徴がある。日本の神社といえば鳥居であるが、倭族の村にも鳥居の語源がすんなりと理解出来る、鳥の象形物が止まっている鳥居がある。倭族の住居には日本の神社の社殿と同じく千木が飾ってある。その他にも歌垣の習俗など無数の文化的共通項が存在する。はやくも明治35年に雲貴高原を踏査した鳥居龍蔵は、この地方の文化の中に日本と共通するものが多いことに注目している。

アカ族の住居。母屋と突き出た露台がある。 アカ族の村の門。上に鳥がとまっている。 千木。神社のものとそっくり。
倭族の一つアカ族の住居、村の門、千木。(鳥越憲三郎著『古代中国と倭族―黄河・長江文明を検証する』より)
中国前漢時代に雲南省にあったテン王国の高床式住居


6.日本神話と竪穴住居
 日本神話には大きくわけて二つの民族が登場する。天孫族と国津神・荒ぶる神系の先住民族である。天孫は先住民族と戦うだけでなく、よく彼等を懐柔し、彼等の仲間割れを誘って次第にその勢力を拡張していく。
弥生の遺跡から竪穴住居が発見されるのは、渡来人に従った縄文人の住居と考えれば日本神話で語られる物語と矛盾なく一致する。筆者は弥生遺跡の住居跡には、渡来してきた征服者の住居である高床式と被征服民族で征服者に隷従したものの住居である竪穴式の二系統が存在していると考える。

7.間違った常識を払拭せよ
 高床住居は、柱の「穴」しか遺構がないので発見されにくいという。しかし、以前から弥生の遺跡には、竪穴住居と高床倉庫の組み合わせでは説明出来ない掘建柱遺構があることが早くから気がつかれていたのである。それなのに「高床式とくれば倉庫」という常識が疑いなき真理として現在に至るまで考古学の主流を占めているのである。
そしてこれらの考え方の大前提になっているのが弥生人渡来説をかたくなに拒否する「文化のみ受容説」である。
 
常識が全て真実であれば、あらゆる科学は不要であろう。日本考古学があらゆるドグマから解放された科学になるのはいつの日であろうか。

吉武高木遺跡の高殿



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