陰謀はいかに機能するか
世間では、ある歴史的な事件について「その原因はこれだ」といった言い方をする場合が多い。しかし、歴史的事実は他の一般の現象と同様に、重大なものから些細なものまで、実に多数の要因が絡み合って生じてくる。一切が関連して一個の全体をなしているのである。したがって、どんなに些細な原因でもその結果は終局にまでおよび、たとえわずかであっても究極の成果に変化を与えるのである。そして原因となる事実を生ぜしめた原因もまた同様である。
ある歴史的出来事の原因をさぐるさい、その出来事に関与している複数の原因のそれぞれの持ち分・寄与度を弁別することが重要である。そして、ある要因が歴史的事実の発生を十分に説明できるからといって、この要因に誤った重要性が与えられると種々の弊害が生じることになる。
ある現象を発生させるために用いられるいかに手段も、その効果は究極の目的にまで達する。謀略もまた究極の目標に効果をおよぼすべくとられる有用な手段の一つである。そして、謀略を練るものがその効果を最大にすべく死力を尽くすのは当然である。しかし、いかに巧妙に企てられた謀略といえども究極の目的を必ず達成できる保証はどこにもない。ただ謀略がたくみであればあるほど目的達成の確率が上がるにすぎないのである。これは何も謀略に限ったことではない、戦争や暗殺においても確実に目的を達成する手段は存在しない。ただその達成確率を上げる手段があるだけである。
第二次大戦において各当事国は当然のように諜報活動を行った。諜報とは情報収集とその分析、活用だけをいうのではない。情報を操作すること、つまり、情報をでっち上げたり故意にねじ曲げたりしながら、敵に誤った判断をさせること、すなわち謀略も重要な任務である。
軍や国家の指導者達が決断するとき、その決断の過程は複雑であり、また第三者の目に見はえないものである。それゆえ、ある謀略がその指導者の決断過程にどれほど寄与しどれほど有効であったかの判断は結果から推測するよりほかはない。しかし、もちろん謀略の意図することと結果がたまたま一致したからといって、それを謀略の効果だと断定することはできない。謀略が有効であるための客観的な条件が存在しないところでは、謀略はその機能を発揮することはできない。たとえていうなら、蟻の一穴が千里の堤防を破るといっても、堤防の内側に水が満々とたたえられていなければ、堤防は決して決壊しないし、そもそも、堤防がコンクリートでできていればさすがの蟻もトンネルを掘ることすらできないのである。味方の諜報網が敵のそれよりも上回っていれば敵の諜報活動は難渋をきわめるにちがいないし、不動の決心を固めた指導者の心を動かすことは至難の業である。有効な謀略とは、あたかも大雨の後の川の堤防に蟻の一穴をうがつようなものをいうのである。その穴の位置により洪水の向きは右にも左にも変えられるであろう。
昭和の日本には、確固とした長期戦略もなければ、国全体を導く信念ある指導者もいなかったといわれる。いわば各部門の有力者の談合によって、その場限りの決定が繰り返されていただけであった。このような状況でこそ謀略が有効に働く、あたかもつき固められていない堤防に穴をあけるに似ているからである。
さて、日中戦争で漁夫の利を得て、一番トクをしたのは中国共産党である。毛沢東は、日本人が来て、「侵略して申し訳ありませんでした」というと、「謝る必要はありません、日本のお陰で私たちは、勝利を収めることができたのですから」といったそうである。
冗談のようでもあるが、日本軍と国民党軍を衝突させる謀略をまんまと成功させた中国共産党のトップとしてはまさに本音だったのかもしれない。
以下、第二次大戦の帰趨に大きな影響をおよぼした「有効な謀略」のいくつかを挙げてみたい。
参考文献
『大東亜戦争への道』中村粲、展転社、1990
『戦争論〈上中下〉』クラウセヴィッツ、岩波文庫
『日米開戦の真実―パール・ハーバーの陰謀』新井 喜美夫、講談社+α新書