薩摩言葉の謎

 
本史の常識として世間一般に流布している説に、
「薩摩弁は、幕府の隠密に国情を知られないようにするために作られたものである」
というものがある。果たして本当のことであろうか。

 
州の方言は、3つに大きく分かれる。福岡県の博多から佐賀県、長崎県、熊本県にかけて、地域によって多少の違いはあるものの、九州以外の人間が聞くとほぼ同じに聞こえる、「よか」「なんばしょっと」「〜たい」「〜じゃった」「そがん」「そげん」等々の言葉で代表されるような方言が分布している。大分や福岡県の北九州地方の方言は、博多弁などとは違う言葉である。さらに、宮崎県南部から鹿児島県にかけては、以上の二つの方言とは全く違う言葉が話されている。そして、よそ者の耳には、南部宮崎の言葉も鹿児島の言葉もさして違わない。

 
鹿児島弁は個々の単語の特異性のみならず、そのイントネーションが大変特徴的である。これは、鹿児島弁を初めて聞く人に共通の印象であろう。筆者も初めて鹿児島のタクシーに乗ったとき、運転手さんの話の半分も理解できなかった。おまけにテレビに登場する「西郷どん」とは違って、鹿児島の人々は大変な早口である。

 
て、上記の日本史の常識によれば、薩摩藩は幕府隠密に国内の事情を知られることがないように特別な言葉をこしらえたというのである。言葉を一体どのようにして人為的にこしらえるのか知らないが、仮にそのような言葉を作ったとしても、どうやって領内の人々に教え広めるのであろうか。士族だけに教育するのなら藩の学校で「新・薩摩弁教室」でも開けばよいかもしれないが、下級士族でも農作業に従事していた国柄で、日々の農作業などで手一杯の士族以外の人々にまで、学校も先生もいないのにどうやって新たな言葉を教えるのであろうか。おまけに、あの特有のイントネーションまで教えたというのであろうか。明治以来、義務教育で「標準語」を繰り返し教育しても、地域文化の精髄である方言は決してなくなりはしなかった。それどころか、これほどマスコミが発達し。NHKが「標準語」を連日放送しまくっている今日ですら、若い世代にも方言は根強く残っているのである。そもそも、ここで言うところの幕府とは当然「江戸幕府」のことである筈だが、幕府に対する対策で言葉を換えたというのであれば、江戸幕府成立以前と成立後で薩摩言葉が変わった証拠が文献などでみつからなけれなならない筈である。もちろんそのようなものは存在しない。第一、公儀隠密対策に言葉まで変更したりしたことなら、それこそ「御公儀に弓引く不埒な藩」として取りつぶされるのが落ちである。筆者には、このような「常識」は断じて信じられないのである。

 
ころで、筆者の私見であるが、鹿児島弁は「琉球方言」と鹿児島、宮崎南部以外の九州島の言葉の中間に位置するのではないかと思う。さらに日本の古代史に出てくる「隼人」の勢力圏と「鹿児島弁」を話す領域がほとんど一致していることに注目したい。ところで「隼人」はおそらく、南方マレー・インドネシア系の種族であろうというのが戦前から人類学の有力説である。鼻が高く彫りが深い「海人・うみんちゅ」の居住していた地域に北方から征服者がやってきた結果の現れが「海幸・山幸」の伝説であり「鹿児島弁」だと思うのである。

【参考:東条操の方言区画】
全国の方言区画

九州地方の方言区画



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