蝦夷は「人間」ではなかった!
「四海同胞・人類皆兄弟」どっかで聞いたような言葉である。しかし、ヨーロッパに古くから伝わる言葉に「人間が人間にとってオオカミであるHomo homini lupus.」というのがある。人類皆兄弟どころか、なんと、人類はリクリエーションの延長として同じ人類を殺害していたのである。マン・ハンティングと呼ばれるものだ。南アフリカでは、黒人ハンティングがレジャーとして行われていたし、タスマニアの原住民が白人入植者のマン・ハンティングによって19世紀に絶滅させられたのもその一例である。アフリカで奴隷を買い付けたり奴隷狩りを行ったりしていたヨーロッパ人たちがアフリカ人を人間であるなどとはつゆほどにも思っていなかったことは言うまでもない。フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、「人間の終焉」というテーマを提出し、「人間が始まったのは、近代のことである」という含みをもたせている。
「人間」などという概念が成立したのは、世界史的にみればごくごく最近のことでしかない。まして、古代的世界にあっては、いかなる意味でも「人間」という概念は存在しなかった。殷は多くの羌を「獲物」として捕らえ、生け贄にしている。また、中国人から見ると「倭人」なる「人間」がいたのではなく倭人という「生物」がいただけなのである。
さて、古代日本における中央の支配層は、自分たちの用いていた「日本語」の通じる地域を日本、「日本語」の通じない地域は日本ではなく「外国」であると考えていた。日本の上流階級が自分たちの仲間と認め、下層階級といえどもコミュニケーションして理解しなければならないと思ってきたのは、日本語の通じる「日本語人」だけであった。それ以外は「外国」の異民族であるから、理解する必要などなく、何ら慈悲を垂れるに値しなかった。『古事記』の倭建命は火焚きの老人とは歌を応酬できたが、熊曽建などに対しては残虐としかいいようのない征服を行っているのである。
『続日本紀』には蝦夷と話をするのに通訳が必要であったことが明記されているし、さらに時代が下った『日本後記』においても「夷語」は習得しなければ理解できない言葉とされている。つまり、大和朝廷にとって蝦夷の住むところは「外国」である。そして、蝦夷は「生物」「獲物」であって人間などではない。弘法大師空海も『性霊集』に、蝦夷を「羅刹の流(たぐ)いにして非人の儔(ともがら)なり」(人を食う鬼の類であって、非人=悪鬼の仲間である。)とか「人面獣心」であると言っている。学問の神様菅原道真も、蝦夷の性は「狼子」であり、「野心」をもっているとのべているのである(『菅家後集』)。さらに、帰服した蝦夷である俘囚でさえも、律令国家の渡来系の支配層や平民とは民族的に違うことから、『類聚国史』には「夷俘の性、平民に異なり」とかかれているし、『日本三代実録』にも、「夷俘の性、本より平民に異なる」などと記されているのである。
井沢元彦の「逆説の日本史」によれば、桓武天皇は、「平安京」を造営し、徴兵制による常備軍を廃止して、死刑も事実上なくした。人間を殺すことによる怨霊化を恐れたためだという。一方で「蝦夷征伐」には熱心に取り組んだ。つまり、桓武天皇は、古代世界の常識によって、蝦夷たちは「人間以外」であると考え、無惨に殺せばタタリをなすのは「日本人」であって「異民族」ではないから、蝦夷を「征伐」できたというのである。
参考文献
隈元浩彦『日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは縄文系?それとも弥生系?』 新潮OH!文庫
浅田秀子『敬語で解く日本の平等・不平等』 講談社現代新書
石渡信一郎『日本古代国家と部落の起源』三一書房
井沢元彦『逆説の日本史〈2 古代怨霊編〉聖徳太子の称号の謎・〈3 古代言霊編〉平安建都と万葉集の謎』小学館