和蘭開國を幕府に勸む

一、近年英吉利國王より支那國帝に對し、兵を出して烈く戦爭せし本末は、我國の舶、毎年長崎に至りて呈する風説書にで既に知り給ふへし、威武盛りなる支那國帝も久く戦ひて利あらす、歐羅巴洲の兵学に長せるに辟易し、終に英吉利國と和親を約せり。是よりして支那國古來の政法甚た錯亂し、海口五所を開きて歐羅巴人交易の地となさしむ。(略)
一、謹で古今の時勢を通考するに、天下の民は速に相親む者にして、其勢ひ人力のよく防く所にあらす。蒸気船を創制せしよりこのかた、各國相距ること遠きも猶近きに異ならす。かくの如く、互に好みを通るの時に當り、獨り國を鎖して萬國と相親まさるは、人の好みする所にあらす。貴國歴代の法に異國人と交を結ふ事を厳禁し給ひしは、歐羅巴洲にて遍く知る所なり。老子曰、賢者位に在れは持によく治平を保護す。故に古法を堅く遵守して反て亂を醸さんとせば其禁を弛むるは賢者の常經のみ、これ殿下に丁寧に忠告する所なり。今貴國の幸福なる地をして兵亂の為に荒廃せさらしめんと欲せは、異國人を厳禁する法を弛め給ふへし。これ素より誠意に出る所にして、我國の利を謀るには非す。夫れ平和は懇に好みを通するにあり、懇に好みを通するは交易に在り、冀くは睿知を以て熟計し給はん事を。【天保十四年和蘭國王より幕府に送れる國書】

阿蘭陀國王歐羅巴洲中専ら風聞有之侯事承り候に、北アメリカ共和政治司より軍船日本に差越商買相遂度所存有レ之候由に侯。
北アメリカ洲共和政治司は歐羅巴洲中強勇の國と其勢威異候義無御座候、右申上候軍船は許多に而、其船或は蒸気仕掛、或は尋常帆前之船に候。右様之仕組に候得共、殺罰之始末におはす、柔順の願振不仕事哉、何とも難申上候。
一、右様之次第に有之、阿蘭陀國王相考侯に、日本往々の御煩御用心専一の御事と奉存候。(略)
一、世上之記説、往昔よりの説にも天の然らしむる所は、地上遠隔の所といへとも、此所の足らさる所の物、缺たる所の禮、互に習ひ或は索め、双方の辨利を旨とするとなり、雖然日本の御國は御威勢盛にして、聊是等の説に御泥み被為成候様の儀は有之間敷侯得共、諸方の國々より湊ひ來り、強て望を逢せんとする時に至て、御國而已世界の列を御離れ、他に御関係なく、首尾能御防は可出来候得共、甚以御煩しき事哉に奉存侯。
一、右様之始末に至る時は、窮て兵器の沙汰におよひ、永永血戦之患不免しては相鎮り申間敷奉存候。自然右様御混雑之事とも相起り候桂之事、萬一有之候時は、右御混雑の為阿蘭陀人迄も日本に罷出候義、瞥暫の間たりとも難協様之場合に趣候様之義に成行候之事にも至候ては、實以歎敷次第奉存侯。
【嘉永五年蘭領印度総督よりの書翰】



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