年 表 凡例:赤字は戦前の教科書に記載のない事項 青字は中国大陸・朝鮮半島関係の事項 |
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御代数 |
天 皇 |
御在位年間 |
紀元 |
西暦 |
年 号 |
事 項 |
BC 1万年 BC 7000 BC 4500 BC 3000 BC 1500 BC 1200 BC 770 |
縄文時代 |
隆線文様の丸底深鉢土器が作られる 竪穴住居の小集落が作られる、(青森 三内丸山遺跡) 平底土器が一般化する 集落が大規模化し、打製石斧や土偶などが作られる 殷王朝成立 周王朝成立 周王朝が洛陽に遷都し、春秋時代が始まる |
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1 |
神武天皇 |
元−76 |
元 2 4 76 |
BC660 BC659 BC676 BC585 |
元 年 2 年 4 年 76 年 |
正月朔日初めて即位の礼を橿原宮に挙ぐ 五十鈴媛命を皇后となす 功臣を賞し国造・県主を任ず 皇祖天神を鳥見山に祭る 3月31日橿原宮に崩ず |
2 |
綏靖天皇 |
80−112 |
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3 |
安寧天皇 |
112−150 |
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4 |
懿徳天皇 |
151−184 |
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5 |
孝昭天皇 |
186−268 |
258 |
BC403 |
晋が韓・魏・趙に分裂、戦国時代が始まる |
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6 |
孝安天皇 |
269−370 |
BC300 |
弥生時代 |
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7 |
孝霊天皇 |
371−446 |
440 |
BC221 |
秦の始皇帝、中国を統一 |
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8 |
孝元天皇 |
447−503 |
467 |
BC194 |
21年 |
衛氏、箕氏を滅して朝鮮に王と称す |
9 |
開化天皇 |
503−563 |
BC100 |
50年 |
漢、衛氏を滅して朝鮮を併はす 倭人、百余国に分立し、楽浪郡に朝貢する国あり(「漢書」地理志) |
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10 |
崇神天皇 |
564−631 |
569 573 575 580 604 624 625 628 |
BC92 BC88 BC86 BC81 BC57 BC37 BC36 BC33 |
6年 10年 12年 17年 41年 61年 62年 65年 |
天照大神を大和笠縫邑に祭る 四道将軍を派遣す 初めて人口を調査し税法を定む 勅して諸国に船舶を造らしむ 新羅国起る 高麗国起る 勅して地溝を開かしむ 任那援を請ふ、ついで鹽乗津彦をしてこれを助けしむ |
11 |
垂仁天皇 |
632−730 |
643 656 666 668 685 717 721 727 |
BC18 BC5 6 8 25 57 61 67 |
12年 25年 35年 37年 54年 90年 96年 |
百済国起る 倭姫命をして天照大神を伊勢度会に遷し祭らしむ 諸国に令して地溝を開かしむ 漢亡ぶ 後漢起る 倭奴国王が後漢に遣使。光武帝より印綬(「後漢書」東夷伝) 田道間守を海外に遣はす 仏教支那に伝はる |
12 |
景行天皇 |
731−790 |
731 742 755 757 767 770 773 783 786 |
71 82 95 97 107 110 113 123 126 |
元年 12年 25年 27年 40年 43年 53年 56年 |
田道間守海外より帰る 熊襲親征のため九州に幸す 武内宿禰をして東北の形勢を視察せしむ 日本武尊をして熊襲を討たしむ 倭国王、帥升らを後漢に遣使。生口160人を献ずる(「後漢書」東夷伝) 日本武尊をして蝦夷を討たしむ 日本武尊薨ず 東山・東海の諸国に巡幸す 御諸別王をして東国を治めしむ |
13 |
成務天皇 |
791−850 |
793 795 848 |
133 135 188 |
3年 5年 |
武内宿禰を大臣となす 国県を分ち邑里を定む 卑弥呼が邪馬台国の女王にたてられ内乱が治まる(「後漢書」東夷伝) |
14 |
仲哀天皇 |
852−860 |
859 860 |
199 200 |
8年 9年 |
熊襲親征のために九州に幸す 橿日宮に崩ず○神功皇后新羅を伐つ |
15 |
応神天皇 |
860−970 |
865 880 899 900 903 907 908 925 926 936 943 944 945 949 957 966 |
205 220 239 240 243 247 248 265 266 276 283 284 285 289 297 306 |
5年 20年 47年 76年 83年 84年 85年 89年 97年 106年 |
新羅初めて朝貢す 後漢亡ぶ 邪馬台国女王卑弥呼が魏に遣使。親魏倭王に任ぜられ、金印紫綬を与えられる(「魏志」倭人伝) 帯方郡の大守が卑弥呼に遣使(「魏志」倭人伝) 卑弥呼、魏王に遣使し、生口・倭綿などを献じる(「魏志」倭人伝) 百済初めて朝貢す 卑弥呼、狗奴国王卑弥弓呼と交戦(「魏志」倭人伝) この頃、卑弥呼が死去。男王がたつも治まらず、壱与が女王となる(「魏志」倭人伝) 魏が滅び、晋が成立 壱与が西晋に遣使(「魏志」倭人伝) 高麗人初めて来朝す 百済縫衣の工女を貢す○弓月王帰化す 百済阿直岐を送りて良馬を貢す 王仁来朝して論語・千字文を上る 阿知使主帰化す 菟道稚郎子高麗の表文の無礼を責む 阿知使主を支那に遣はして織縫の工女を求めしむ |
16 |
仁徳天皇 |
973−1059 |
973 976 977 982 983 986 1044 1051 |
313 316 317 322 323 326 384 391 |
元年 4年 5年 10年 11年 14年 72年 |
都を難波に遷す 三年の間租税を免ず 東晋起る 初めて役を課して皇居を営ましむ 難波の堀江を掘り茨田堤を築く 橋を猪甘津に架し河内に通ずる大道を作る 仏教百済に伝はる 倭、渡海して百済・新羅を破り、臣民となす(高句麗好大王碑文) |
17 |
履中天皇 |
1060−1065 |
1060 1064 1065 |
400 404 405 |
6年 |
履中天皇即位 倭軍、帯方郡に侵入し、高句麗と戦い敗れる(高句麗好大王碑文) 始めて内蔵を建つ |
18 |
反正天皇 |
1066−1070 |
1066 |
406 |
反正天皇即位 |
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19 |
允恭天皇 |
1072−1113 |
1072 1073 1080 1081 1098 1103 1111 |
412 413 420 421 438 443 451 |
9年 |
允恭天皇即位 倭王讃、晋に遣使(「晋書」) 東晋滅び南北朝の乱世となる 倭王讃、宋に遣使、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝) 讃が死に弟珍が王に。珍、宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝) 倭王済、宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝) 倭王済、宋に遣使し、六国諸軍事を加号される(「宋書」倭国伝) |
20 |
安康天皇 |
1113−1116 |
1113 |
453 |
安康天皇即位 |
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21 |
雄略天皇 |
1116−1139 |
1116 1117 1122 1123 1128 1131 1138 |
456 457 462 463 468 471 478 479 |
元年 6年 7年 12年 15年 22年 |
雄略天皇即位 大臣(平群真鳥)大連(大伴室屋・物部目)相並びて朝政を輔く 皇后に蚕を養はしめらる 済が死に、興が倭王に。興が宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝) 陶工・鞍工・画工及び錦織の職工を百済より召す 使いを支那に遣はして織縫の工女を召さしむ 始めて大蔵を建つ 豊受大神を伊勢山田に遷し祭る 倭王武が宋に上表文を送り、使持節郡督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王の称号を受ける(「宋書」倭国伝) 倭王武、斉から鎮東大将軍の称号を受ける(「南斉書」) |
22 |
清寧天皇 |
1139−1144 |
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23 |
顕宗天皇 |
1145−1147 |
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24 |
仁賢天皇 |
1148−1158 |
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25 |
武烈天皇 |
1158−1166 |
502 |
倭王武、梁の武帝から鎮東大将軍の称号を受ける(「梁書」) |
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26 |
継体天皇 |
1167−1191 |
1167 1172 1173 1182 |
507 512 513 522 527 528 |
6年 7年 16年 |
継体天皇即位 任那の地を割いて百済に与ふ 百済五経博士を貢す 司馬達等来朝す 筑紫国造、磐井の反乱 物部麁鹿火、磐井の乱を鎮定(「日本書紀」) |
27 |
安閑天皇 |
1191−1195 |
1191 |
531 |
安閑天皇即位 |
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28 |
宣化天皇 |
1195−1199 |
1195 |
535 538 |
宣化天皇即位 仏教伝来(「上宮聖徳法王帝説」) |
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29 |
欽明天皇 |
1199−1231 |
1199 1200 1212 1214 1222 |
539 540 552 554 562 |
元年 13年 15年 23年 |
欽明天皇即位 物部尾輿大伴金村を弾劾す 百済仏像・経論などを上る(「日本書紀」) 百済医・易・暦の諸博士を分番せしむ 新羅任那の日本府を滅す |
30 |
敏達天皇 |
1232−1245 |
1232 1237 |
572 577 |
6年 |
敏達天皇即位 百済仏工・寺工などを貢す |
31 |
用明天皇 |
1245−1247 |
1245 1247 |
585 587 |
2年 |
用明天皇即位 蘇我馬子物部氏を滅す |
32 |
崇峻天皇 |
1247−1252 |
1247 1248 1249 |
587 588 589 |
元年 2年 |
崇峻天皇即位 馬子法興寺を建つ 隋支那を統一す |
33 |
推古天皇 |
1252−1288 |
1252 1253 1254 1255 1262 1263 1264 1265 1266 1267 1268 1270 1271 1275 1278 1280 1282 1283 |
592 593 594 595 602 603 604 605 606 607 608 610 611 615 618 620 622 623 |
元年 2年 3年 10年 11年 12年 13年 14年 15年 16年 18年 19年 23年 26年 28年 30年 31年 |
蘇我馬子の命で東漢直駒が崇峻天皇を暗殺12・8 推古天皇即位 聖徳太子を摂政となす○四天王寺を建つ 仏法興隆の詔を下す 高麗の僧恵慈来朝す 百済が新羅を破る 百済の僧観勒暦本及び天文・地理などの書を上る 冠位十二階を定む 憲法十七条を制定す○隋の煬帝立ち明年大業と改元す 鳥仏師をして丈六の銅・繍の仏像を造らしむ 太子勝鬘経・法華経を講ず 法隆寺を建つ○小野妹子を隋に遣はす 高句麗が百済を破る 妹子隋使を伴なひて帰朝す○再び妹子を隋に遣はし留学生を従ひおもむかしむ 高麗の僧曇徴来朝す 菟田野に薬猟す 太子法華経疏を著す 唐起る 聖徳太子蘇我馬子と天皇記・国記などを撰す 太子薨ず、王妃すなわち天寿国曼陀羅を作る 鳥仏師をして釈迦三尊像を造らしむ |
34 |
舒明天皇 |
1289−1301 |
1289 1290 1292 |
629 630 632 |
元年 2年 4年 |
舒明天皇即位 犬上御田鍬・薬師恵日を唐に遣はす 唐の使来朝す |
35 |
皇極天皇 |
1302−1305 |
1302 1302 1303 1305 |
642 642 643 645 |
元年 2年 4年 |
皇極天皇即位 蘇我蝦夷墓を造りて陵といふ 蘇我入鹿山背大兄王を弑す 蝦夷・入鹿の父子誅せらる |
36 |
孝徳天皇 |
1305−1314 |
1305 1306 1307 1308 1309 |
645 646 647 648 649 652 |
大化元年 同 2年 同 3年 同 4年 同 5年 白雉3年 |
始めて年号を立つ○左右大臣・内臣・国博士を置く 改新の詔を賜ふ 渟足柵を造る 磐船柵を修む 八省百官を置く 第一回の班田終わる |
37 |
斉明天皇 |
1315−1321 |
1315 1318 1319 1320 1321 |
655 658 659 660 661 |
4年 5年 6年 7年 |
斉明天皇即位 安倍比羅夫蝦夷を伐つ 比羅夫再び蝦夷を伐つ 比羅夫三たび蝦夷を伐つ○皇太子中大兄皇子始めて漏剋を造る○百済援を請ふ 百済救済のために九州に幸す○朝倉宮に崩ず 中大兄皇子が称制(「日本書紀」) |
38 |
天智天皇 |
1321−1331 |
1323 1325 1326 1328 1329 1331 |
663 665 666 668 669 670 671 |
2年 4年 5年 7年 8年 10年 |
我が軍唐軍と白村江に戦ひて敗る○百済亡ぶ 百済の遺民を近江に置く○唐の使来朝す 百済の遺民を東国に置く 即位の礼を大津宮に挙ぐ○近江令成る○高麗亡ぶ 藤原鎌足薨ず 最初の全国的戸籍、庚午年籍が作られる 法隆寺炎上 始めて漏剋を用ふ |
39 |
弘文天皇 |
1331−1332 |
1331 |
671 672 |
壬申の乱 |
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40 |
天武天皇 |
1332−1346 |
1332 1341 1345 |
673 681 684 685 |
9年 13年 |
天武天皇即位 律令を改定せしむ○帝紀を撰せしむ 八色の姓を制定 民家に仏像をまつらしむ |
41 |
持統天皇 |
1346−1357 |
1346 1349 1350 |
686 689 690 694 |
朱鳥元年 3年 |
天武天皇が没し、皇后野讃良皇女が称制 令を諸司に頒つ○陸奥及び越の蝦夷に仏像などを賜ふ 太宰府に命じて仏教を大隅に伝へしむ 持統天皇即位 唐則天武后が国号を周に改名 藤原京に遷都 |
42 |
文武天皇 |
1357−1367 |
1357 1360 1361 |
697 698 700 701 |
元年 4年 大宝元年 |
文武天皇即位 薬師寺の建立 忍壁親王・藤原不比等らに律令を撰定せしむ 大宝律令成る |
43 |
元明天皇 |
1367−1375 |
1367 1368 1370 1371 1372 1373 |
707 708 710 711 712 713 |
和銅元年 同 3年 同 4年 同 5年 同 6年 |
元明天皇即位 武蔵秩父より和銅を献ず○和同開珎銭を鋳る 都を平城京に遷す 蓄銭叙位の法を定む 太安萬侶古事記を上る○調庸の銭納を許す 豪富の家をして米を路傍に売らしむ○風土記を撰せしむ |
44 |
元正天皇 |
1375−1384 |
1375 1378 1380 1381 |
715 718 720 721 722 723 |
霊亀元年 養老2年 同 4年 同 5年 6年 7年 |
元正天皇即位 藤原不比等に律令を刊修せしむ 舎人親王日本書紀を上る 始めて日本書紀を講ず 良田百万町歩開墾を計画 三世一身法の制定 |
45 |
聖武天皇 |
1384−1409 |
1384 1384 1388 1389 1390 1395 1401 1403 1407 1409 |
724 724 728 729 730 735 740 741 743 747 749 |
神亀元年 同 5年 天平元年 同 2年 同 7年 12年 同13年 同15年 同19年 天平感宝元年 |
聖武天皇即位 多賀城成る 渤海始めて朝貢す 藤原光明子を皇后となす 長屋王の変 皇后宮職に施薬院を置く 吉備真備帰朝す 藤原広嗣の乱 諸国に国分寺を造らしむ 東大寺を建つ 墾田永年私財法の制定 東大寺大仏を鋳る 僧行基寂す |
46 |
孝謙天皇 |
1409−1418 |
1409 1412 1414 |
749 752 754 755 757 |
天平勝宝元年 天平勝宝4年 同 6年 7年 天平宝字元年 |
孝謙天皇即位 大仏開眼の式を挙ぐ 唐僧鑑真来朝す 唐 安史の乱 橘奈良麻呂の乱 |
47 |
淳仁天皇 |
1418−1424 |
1418 1421 1422 |
758 761 762 |
天平宝字2年 3年 天平宝字5年 同 6年 |
淳仁天皇即位 この頃、「万葉集」が成立 鑑真、唐招提寺(金堂)を創建 秋田城成る 孝謙上皇落飾す |
48 |
称徳天皇 |
1424−1430 |
1426 |
764 766 |
天平宝字8年 天平神護元年 天平神護2年 神護景雲3年 同 4年 |
称徳天皇即位 恵美押勝(藤原仲麻呂)が乱を起こす 道鏡が太政大臣禅師となる 僧道鏡を法王となす 和気清麻呂道鏡の非望を挫く 阿倍仲麻呂唐に死す○小塔百万基を諸寺に置く |
49 |
光仁天皇 |
1430−1441 |
1430 |
770 |
宝亀元年 |
光仁天皇即位 道鏡を貶し清麻呂を重用す |
50 |
桓武天皇 |
1441−1466 |
1441 1448 1454 1457 1461 1462 1463 1464 1465 |
781 784 788 792 794 797 801 802 803 804 805 |
延暦7年 11年 同13年 同16年 同20年 同21年 同22年 同23年 同24年 |
桓武天皇即位 長岡京に遷都 僧最澄延暦寺を建つ 軍団を廃し、健児を徴集 都を平安京に奠む○勧学田を大学寮に寄す 続日本紀成る○坂上田村麻呂を征夷大将軍に任ず 田村麻呂蝦夷を平定す 胆沢城を築く 志波城を築く 最澄・空海唐におもむく 最澄帰朝し天台宗を伝ふ |
51 |
平城天皇 |
1466−1469 |
1466 |
806 |
大同元年 |
平城天皇践祚 空海帰朝し真言宗を伝ふ |
52 |
嵯峨天皇 |
1469−1483 |
1469 1471 1476 1481 1483 |
809 810 811 816 821 823 |
弘仁元年 弘仁2年 |
嵯峨天皇践祚 蔵人所を設置 藤原薬子の乱 坂上田村麻呂薨ず 空海金剛峰寺を建つ 検非違使庁を設置 空海萬農池の堤を築く 東寺を空海に賜ふ |
53 |
淳和天皇 |
1483−1493 |
1483 1487 1488 |
823 827 828 |
弘仁14年 天長4年 同 5年 |
淳和天皇践祚 経国集成る 空海綜藝種智院を起す |