第530回 仏法に卒業はない

 平成15年 3月20日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな文章に出会いました。


「仏法に卒業はない」という梯実円先生の文章です。

三月になって、卒業式のシーズンがきました。
それぞれの学舎を巣立っていく子等の前途を
心から祝福したいと思います。


私が勤めている行信教校でも卒業式がありますが、
利井明弘校長の訓辞には、毎年「この行信教校は、
入学はあるが卒業のない学校です」という一節が
必ず入っています。


そういえば、五十数年前に私が卒業したときも、
当時の校長であった先代の利井興弘先生が
同じ言葉を私どもに贈ってくださったのを
思い出します。


たしかに学校には卒業はありますが、仏法には
卒業はありません。
たとえ仏陀となったとしても、それは限りない
利他教化の第一歩だからです。


 『蓮如上人御一代記聞書』に、
「心得たと思ふは心得ぬなり、心得ぬと思ふは
心得たるなり」という謎のような言葉がでてきます。
「仏教のことはよくわかっている」と思っている人は、
まったく仏法がわかっていない人で、むしろ「私は、
まことのことは何もしらない愚か者である」と心得て
聞法を楽しむ人こそ、本当に仏法を心得ている
人なのです。


 人間の思いはからいを超えた本願の世界は、
聞こえてくださる通りありがたく聞き受けて
喜ぶものです。

それも二十歳の時には二十歳の感動がありますし、
七十歳のときには七十歳の味わいが恵まれるのです。


これですべてがわかったというようなことは
決してありません。
ですから仏法はいつも新鮮で、飽き足りるという
ことがないのです。
これで卒業と思う心が出てきたときは、仏法の
世界から落第していると思うべきでしょう。


梯実円先生の「仏法に卒業はない」という文章でした。

それぞれの年齢に応じたお念仏を喜び、お聴聞を
重ねて味合わせて頂きたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月27日に新しい内容に変わります。

   月刊大乗平成15年3月号 巻頭言より

          

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